岸田今日子はスゴかった

岸田今日子さんの朗読、舘野泉さんのピアノによる「ぞうのババール」。2001年の録音です。
もう何度も聴いてますが、舘野さんのピアノの雄弁さにも唸らされるけれど、岸田さんの朗読がスゴすぎてスゴすぎて、思わず音楽は要らないから声を聴かせろ!!声をっ!!!と思ってしまうような内容。

声だけの表現、子供でもはっきり理解できるような、絵本を翻訳しただけの日本語(矢川澄子さんによる翻訳も実に巧みで上質な仕事です)なのに、自在に呼吸し変化する声が、振幅の広い奥行きある表現世界を形作ってます。
演奏や、あるいは作曲でも共通するけれど、「間」や「なんの変哲もない音」を怖がらずに語彙として使えるか、縮み上がって先を急いでしまうかで表現世界は根本的に違う次元に至ります。
岸田さんの朗読は、まさにそういう点で世界が違う。

ババールに興味を持った方は、いろんな朗読のCDが出ているけど、ぜひぜひ岸田今日子版をお求め下さい。
池袋のWAVEでは子供向けコーナーにおいてありましたが、こんなものを子供だけに与えておくのは勿体ない!

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で、また28日の宣伝です。

最近あるピアニストと、音楽プロデューサーの方と話していて「音楽家は自己プロデュースの能力のない人が多すぎる」とか「音楽用語を使わないとお客さんと会話できないようじゃあ、新しい聴衆を獲得できない」という話をしました。
全くその通り、とは思うものの、実践の伴っていない僕にとっては「じゃあどういう言葉で語れば?」という疑問が残ります。機会あるごとにそういう視点を持っていきたいとは思いますが、今回たまたま、編曲したそうのババールについて解説文を書く機会を貰ったので、さっそくそういう視点でチャレンジしました。
使ってしまった音楽用語は「プーランク」「オーケストラ」「室内オーケストラ」「ピアノ(楽器)」「メロディ」「編曲」。

「ピアノ(強弱)」「フォルテ」「ソロ」「トゥッティ」「メロディの展開」はどうにか使わずにやりくりできました。

願わくば、易しくするだけではなく、同時に本質を突いた文章に仕立てられるようにしていきたいですね。

たしか永平寺の住職さんの言葉だったと思うんですが

「難しい事を易しく 易しい事を深く 深い事を面白く」。

こういう事を文章でもできたらいいねぇ。難しいけど。
音楽の中で実現するのは、さらにもっと難しい。

というわけで以下が「ぞうのババール」解説です。
興味を持った人は28日に三島までおいで下さい。
http://www.watervision.or.jp/saishin/izu-nyc2007.htm
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フランス人の絵本作家ジャン・ド・ブリュノフの絵本「ぞうのババール」は、1931年に発表されてから今日までずっと世界中で愛され続けています。日本でもたくさん出版されているので、読んだ事のある人も多いのではないでしょうか?
親戚の子供たちが「ババール」に夢中になっているのを見て、この物語に音楽をつける事を考えたフランス人の作曲家フランシス・プーランクは、1945年に朗読とピアノのための作品「ぞうのババール」を完成させました。さらにこの曲を、今日のために新しく編曲したのが、これから演奏される室内オーケストラ版の「ぞうのババール」なのです。
ピアノはふつう一人で弾きますが、オーケストラは、たくさんの音楽家の集まりです。全員でいっせいに大きな音を出す事もあれば、あえて全員が息をひそめて小さな音を出す事だってあります。一人と他のみんなが対話したり、違う楽器の音色を聴かせ合ったりするのも、オーケストラならではの魅力です。物語の場面場面で変化するオーケストラの表情に注目してみるのも、オーケストラを聴く楽しみの一つです。
プーランクはこの曲の中で2つのメロディを大切にしました。1つは物語の最初に出てくる子守歌のメロディ。眠っているババールをママがやさしく揺らしている音楽です。もう1つは、ぞうのメロディ。体の大きなぞうがゆっくりと重い足音で歩くような音楽です。この2つのメロディが物語の進行に合わせて姿を変えながら、何度も出てきます。どの場面で2つのメロディが使われているか気にしてみると、音楽がもっと面白く聴こえてくるかもしれません。
ぞうのババールの音楽を、物語といっしょにお楽しみ下さい。
(堀内貴晃)


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