作曲・編曲

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矢沢宰をテクストにして作曲している。少し前まではどうも距離を感じてしまって入り込めなかったけど、今日になってやっと自然に詩が入ってくるようになった。何度も詩集全体を読み返しながら少しずつ音を書き留めている(あとから取捨選択してまとめるつもり)のだけど、その作業中に何度も込み上げるものが溢れ出そうになって困る。なんと純粋な詩なんだろう。これほど無垢な憧れ、願いを持った言葉を音楽によって地に貶めてしまってはいけないと思う。この純粋をそのまま変質させずに伝えるような音楽を書いてみたい。それを書けるのは、今をおいて他に無いという気はしている。それが確信なのか勘違いなのかは、出来上がってみなければわからないけど。

今月末の締め切りで、シューベルトのロザムンデの「羊飼いの歌」を編曲している。原曲(合唱+オーケストラ)を合唱+クラリネット+ピアノに書き換え。楽譜を見た感じでは特に大きな凹凸もないシンプルな曲だけど、やっぱりシューベルトはすごい作曲家だなぁ。単純な和音でも充分に聴かせてしまうんだから。今回のアレンジでは、オーケストラの中にとけ込んでいるクラリネットの存在を、ピアノの中でどう浮立たせないかがポイント。(多分)今日の作業で大体4/5まで終わった感じか。残りはあと少し。

自衛隊の朝霞駐屯地まで行ってきました!大学の同期だったフルートのNさんが陸上自衛隊中央音楽隊に所属していて、自衛隊内の内輪な演奏会で僕の編曲を取り上げてくれるというので、物珍しさも手伝ってノコノコ出かけていったのです。僕の編曲と言うのはチャイコフスキーの弦楽セレナーデ(Op.48)の第1楽章。2群の木管5重奏への編曲です。編曲したのは大学2年の頃だから、実に8年前の編曲ですね。先日のアンサンブル金沢といい、過去の自分に否応なく向き合わされる機会が続きます。この編曲、学園祭の為に同期の友人から頼まれて書いたのです。当時はまだ作曲の勉強を始めたばかりで、やっとひととおりオーケストラの各楽器の音域を覚えたか?という段階でした。だから、管楽アンサンブルを書くのも初めて。それなら素直に木管10重奏で書いておけばいいのに、2群の木管5重奏なんかにチャレンジしているのがいかにも若気の至り(笑)。よせばいいのに再現部でパートを変えたりしているものだから、単純に音符数だけでも相当なもの。たしか清書まで含めて夏休みを丸々使ったかなぁ。今となっては遠い思い出。 で。8年前の楽譜にどんな感想を抱くかが楽しみだったんですが、聴いてみると(意外にも)昔の自分が頑張ってるんです!そんなに変じゃないし、ところどころいい響きだって見つけてる。初めてにしては上出来!という感じです。もちろん「音楽わかってないなぁ」って思うところも何カ所もあるんですけどね。でも、概ね意外にいい感じ。2群に分けた意味もちゃんと発揮されていました。何より面白いのが、楽譜が進むにつれてだんだん編曲が上手くなってるという事実(笑)「これ書きながらいろいろ掴んだんだぁ」なんて感慨に耽りました。光陰矢の如し。 演奏会そのものも面白かったです。木管アンサンブルあり、金管アンサンブルあり。オリジナルから編曲まで。「管楽器は弦楽器ではないんだなぁ」と、当たり前の感想を改めて持ちました。つまり楽器の性質上の限界が見えたということです。それを逆手に取って、弦楽器だとつまらなくなるであろう発想を持ち込んでいたオリジナルの曲は面白く聴こえました。そう、やっぱり「その編成だけの為に」というのが必要なんだろうな。しばらく管楽器から遠ざかっていましたが、また書いてみたくなりました。木管五重奏あたりに、1度本気で取り組んでみたいな。

今日はGlovillが主催した「ピアノ表現の可能性ー内部奏法の新たな思索」というレクチャーを聴いてきました。会場は日比谷に移転したスタインウェイサロン・松尾ホール。松尾楽器で調律師をされている方を講師に迎えてのレクチャー。とても面白かったです。作曲家なら誰もが1度は内部奏法に憧れるでしょうが、現実にピアノの内部奏法を選択する際にどんな影響が出てくるかまで考えきるのは難しいですよね。難しいから、実際僕などは今まで内部奏法を選択した事は無いわけですが。ホールのピアノが、公共の、レンタルする共有物である点を軸にして、実際に音楽する側(作曲・演奏)、貸すホール側、メンテナンスする技術者の3者それぞれの立場における利害を再認識し、その上での技術的な諸問題を実に詳しく解説して下さいました。ピアノの機構すら満足に把握していなかった僕にとっては大収穫でした。僕以外にも意外に知識不足な人は多いんでしょうね。ピアノ程メジャーな楽器にも関わらず、あれほどブラックボックス的な楽器も無いと。学部時代に音楽美学の先生が「ピアノ科が自分の楽器について一番知らない」と言っていたのを思い出しました。それは、他の楽器なら自分で組み立てたりある程度のメンテナンスをするのに、という流れでの発言でしたが。2回目、3回目があったら是非行きたいです。ひょんなことからフィンランドの長編叙事詩カレワラを読みたいと思ったのだけど、調べてみると岩波文庫版も講談社学術文庫版も絶版になっているらしい。高校生くらいの時には手に取った覚えがあるのになぁ。その頃買わなかったのが行けなかった。ああ、後悔。図書館や古書店で見つけるしかないのかなぁ。 と、思っていたところに、とある方々から宅急便が届きました。朝日賞受賞のお祝いということで、ワイングラスを頂いてしまいました。気を使っていただいて、嬉しいことです。ありがとうございます。大切に使わせていただきます。<(_ _)>よく見てみたら、これがなんとフィンランドのメーカーのグラスでした。タイミングの一致に驚くばかり。カレワラも古本見つけて手許に置くぞぉ!

改訂

今日はどうも作曲に集中できなかったので、楽譜の改訂。「おれは歌だ おれはここを歩く」の気になっていたところに手を入れました。響きが整うように調整したり、小節数を少し引き延ばしたり、ピアノの細かい音型を、より弾きやすいように変更したり。これでより仕上がりが良くなったかな?ただし、良かれと思った改善が、客観的には改悪だったりすることもあるので、改訂には注意が必要です。

今書いている曲の中でクロマティックピッチパイプ(調子笛)を使おうと思って、かつて買ったピッチパイプを探したが見つからなかった。どこに行ったんだろう。いつまでも探していてもしょうがないので、インターネットで資料が見つからないか探してみたらびっくり。あれって高音用と低音用があったんだね。調べてみたら低音用はAからAまでの13半音、高音用はEからEまでの13半音だっていうところまでは判明したものの、具体的にどのオクターヴかっていうところまではわからなかった。やっぱり基本的には楽器とみなされてないのかなぁ。他の楽器ならたいてい音域表くらい見つかるのになぁ。もう少し調べてみて見つからなかったらしょうがない、買うかなぁ。そんなに高いものじゃないし。でも、音域調べるためだけに買うって言うのもなんだかなぁ。 というわけで、ピッチパイプをお持ちの方がこれをお読みでしたら、音域を教えていただけると嬉しいです。「うちのは低音用、ト音記号で下第2線のラから第2間まで」とか。あるいは「実は中音用がある」「超高音域用を開発した」「こんな細工をしたらキッカリ四分音下がるよ〜」などなど、全国のピッチパイパーな皆さんから教えていただければ幸いです。

73円。45円。 これ、何の金額だと思いますか?僕にまつわる金額です。答えは……             著作権料。(涙)今年の1月から3月の、僕の著作権収入の明細がJASRACから届きました。73円というのは著作権使用料(消費税3円込み)で、45円というのは、そこからJASRACの委託手数料21円(消費税1円込み)と所得税7円を引かれた金額です。まぁ通年の金額じゃないし、1月から3月は大きな演奏会がなかったからなぁ。しょうがないんですが(CANTUS ANIMAEで「薔薇」の演奏はありましたが、あれは初演団体の特例扱いにしたので著作権使用料が発生しない。)45円の振込明細を送る為にJASRACはいくら使ったんだろう。明細を見ると、僕の女声合唱の「子守唄」がどこかで演奏されたようです。どの団体がどんな機会に演奏したのかは、JASRACの明細ではわからないようになっているんです。だから、演奏者から個別に僕のところに連絡でもない限りは、演奏の実態は知る由もない。金額から考えると、どこかの無料の演奏会で演奏してくれたのだと思います。どこのどなたかは存じませんが、演奏して下さった指揮者さんと団員さん、ありがとうございました。おかげで著作権収入ゼロの事態は免れました。今回のを明細をバネに、今後もっと演奏してもらえるような良い楽譜を作っていきます。 ポップス方面や売れっ子作曲家は別として、僕レベルの作曲家の現実はこんなものです。だから、はじめに楽譜を書いた時に生じる収入以外は、ほとんど収入を見込めません。だからみなさん、お願いです。せめて出版譜のコピーはやめて下さい。財布に残ったなけなしのジュース代すら強奪されるような気分です。たとえ他人の楽譜だとしても、コピー譜を見ると胸がズキズキ痛みます。

どうにか脱稿。仕上げた楽譜を渡すために、電車を急いで乗り継いで(中野坂上の高低差は何なんだ!)西新宿から練習場まで全力疾走。明日の筋肉痛も心配しないで、準備体操もなしでとにかく走りました。どうにか渡し終えて、帰宅したところで知人から電話。かなり久しぶりの電話だったので何の用かな?と思って出てみると「ああ、久しぶり〜。もしかしてさっき新宿を全力疾走してなかった?」だって。(笑)あまりに似ているので僕かなとは思ったけど、いくらなんでもそんなタイミングで見かけたりはしないだろう、っていう判断と、新宿にはあり得ないスピードで走るヤツは堀内であっても不思議はない、という判断で迷ったらしい。で、電話をかけて確認してきたそうです。走っているまさにその瞬間に電話をかけてこなかった知人は賢い。それだけ必死こいて走ってる人が電話に出るわけないもんね。壁に耳あり障子に目あり。天網恢々粗にして漏らさず。行動はいつも誰かに見られています。

ここ数日はずっと集中して作曲。ミューズがちょっとだけ遊びにきたけど、また去ってしまった。本格的に長期滞在してくれるのはいつの日だろう。とりあえず、今日まで出来た分を先方に渡して帰ってきたところで疲労困憊。今晩だけは休みを取ろう。明日からはまた作曲再開。どんどん先に進みたい。そんな感じで追いつめられていたので、今は電話なんて取りたくもない気分だが、夕方にかかってきた電話は一気に疲れを吹き飛ばしてくれる電話だった。相手はオーケストラ・アンサンブル金沢の方。11月のコンサートで7年前に書いた曲「小編成管弦楽のためのCapriccio〜あばれ祭りに寄せて〜」を再演してくれるというのだ。これは当時設立10周年だったアンサンブル金沢の、アンコール曲募集のコンクールで最優秀を取った曲。だけど、ストラヴィンスキーばりに1小節ごとに変わる変拍子が難しいと岩城宏之先生に言われ、初演以来全く再演の機会が無かった。今にして思えば、たしかにこんな変拍子、コンサートが終わったあとのアンコールでやるなんて怖くてできることではないと良くわかる。あの時は春の祭典も兵士の物語も暗譜する勢いでハマってたからなぁ。そういえば、最近こういうめまぐるしい変拍子って書いてないな。ちょっとは演奏家に優しい作曲家になったのかな。今度のコンサートでは指揮はギュンター・ピヒラー氏だそう。やたらエセ和風なこの曲が、西洋人の耳にはどう聞こえるんだろう。フジヤマゲイシャハラキリ風に感じるのかな。できれば練習から潜り込んで見学させてもらいたいところだけど、そうもいかなそう。せめて、当日は金沢に飛んで自分の(昔の)楽譜がどう響くのか確認したい。一部の売れっ子を例外として、作曲家にとっての再演というのはやっぱり貴重なものだと思います。オーケストラならなおさら。最大限事情をやりくりして立ち会いたいと思うのが人情ってもんじゃありませんか。

今日の午前中は名島啓太先生のオフィスにお邪魔して打ち合わせ。12月初演の鈴優会団歌のテキストについて。どんなイメージの歌がいいか、キーワードになるような言葉を集めておいてください、とお願いしてあったのだけど(人生初の作詞を覚悟していた)、学生指揮者の方が殆どまとまったテキストを書いてくださっていたので、それをもとにブラッシュアップするだけの作業で済みました。これからは出来たテキストをもとに作曲作業に入っていきます。午後は自宅に帰ってきて作曲。昨日の続き。まだスカッと抜けるようなアイディアが出てこない。

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