作曲・編曲

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運良く疲れが残らなかったので元気に作曲。今書いている楽章のクライマックスは見えてきたんだけど、まだ前半の流れが定まらない。うまい具合にこちらの世界に引き込むような導入を設定したいけど、イマイチなアイディアばかり出てくる。こう、喉のところまで出かかっているような実感はあるんだけどね。久しぶりに演奏スケジュールを更新しました。今年の秋は演奏機会が少し増えます。まだ確認取ってないので名前は出しませんが、全日本合唱コンクールの東京支部でも作品を演奏してくれる団体があります。8月の後半から9月頭にかけてはニワカシキシャになって練習にいそしみます。はこね学生音楽祭はこのご時世にかなり太っ腹なコンクール。年々レヴェルが上がってきている中、どこまで上位に食い込めるか。練習時間が限られているので指揮者の方でイメージをかなり固めておかないと仕上げが間に合いません。

昨日、今日と2日間、神奈川の合唱団「相模台グリーンエコー」さんの合宿にお邪魔してきました。来年の5月に初演予定の委嘱曲について話し合うためです。グリーンエコーさんについては、2年前に1度、拙作「野菜畑のソクラテス」の演奏を聴いたことがあるだけで、合唱団の性格も指向もあまりわかりません。委嘱者を良く知りたい、という僕の希望に応えてくださったかたちで今回の合宿参加が実現しました。もっぱら練習を聴かせていただいて、あとは委嘱曲のテキスト、イメージについて話し合うだけのつもりだったのに、話の流れで、団内アンサンブルコンテストにまで参加して歌ってきました。カプレの3声のミサ。久々に楽譜を見て、恋い焦がれていた事を思い出しました。清澄で美しい世界。こういう、シンプルに輝く女声の曲も機会があれば書きたいなぁ。 委嘱曲のテキストについては、僕からも何種類か候補を提示して、合唱団側からもいくつか候補を出していただきましたが、話し合った今の段階では矢沢宰さんになる可能性が高いです。矢沢宰といえば萩原英彦先生の作曲した「光る砂漠」が有名ですが、あれには使われなかったテキストの中にも、まだまだ素敵な詩がたくさんある。やわらかく光り放つような世界が、グリーンエコーさんの音色、音楽にはマッチするんじゃないかな。まだまだ選択の余地はありますが、しばらくは矢沢宰の方向を探っていきます。

ここ数日、オタマジャクシを書いていてもちょっと違和感があります。メロディってどうやって作るんだっけ?とか、詩に音をのせるってどうやればいいんだっけ?とか、そういうことが飽和状態になったような感じ。書けども書けども何か違う、こうじゃないような気がする、という感覚から離れられない。結果、一日頑張って書いてもほんのちょっとしか進めなかったりする。こういう時には技術でなんとかするもの!って気もするけど、それだけでもないだろうしなぁ。いったい何が起こってしまったんだろうか。はやく抜けだしたい。お待たせしている皆様、すいません。

「アメリカインディアンの3つの詩」というタイトルはどうもマスコミ的にはヤバイ(インディアンが差別用語と取られかねないらしい)ということが判明してからは「アメリカ先住民の3つの詩(仮)」として作曲作業をしてきたけど、このタイトルじゃ、どう考えてみても詩的魅力に乏しい。「インディアン」という単語で多くの日本人の脳裡にワッと広がるイメージが、「アメリカ先住民」という単語には無いから。そこで何か良いタイトルは無いか〜とずっと考えていて、最近やっと一つのアイディアが出てきました。ある絵本のタイトルから拝借してメインタイトルを「おれは歌だ おれはここを歩く」としましょう。でもこれだけじゃいったい何の曲かわからないのでサブタイトルとして「〜アメリカ先住民の3つの詩〜」としようと。これである程度の詩的な魅力と現実的な対応の両方を実現出来るんじゃないかな。これからまわりの人に相談して、反応が良ければ正式タイトルとして決定します。

今は、5月に初演予定の曲のことで頭がいっぱいです。日本語訳されたアメリカ先住民の民族口承詩をテキストにしようと思っています。あくまでテキストとして素材を求めるだけなので、民謡の作編曲とは全く違うものを計画しているのですが、ふと気がついてみると、僕はアメリカ先住民の音楽を殆ど聴いたことがないではありませんか。テキストには音楽と密接なものも含まれているのに、これではいかんじゃないかってことで、急遽CDショップのワールドミュージックに行ってみたものの、なかなかないんですね、アメリカ先住民の音楽が。そもそもワールドミュージックのコーナー自体が狭くて、小さいお店だと女子十二楽坊程度しか置いてなかったりします(笑)大きめのお店に行ってみると、ワールドミュージックは充実しているように見えるんだけど、なぜか北米地域の音楽は殆ど扱いがない。中南米(いわゆるラテン系各種)とかハワイ(高木ブーも発見!)は大変な賑わいなのに、北米はコーナーすらなかったり。結局、池袋のタワーレコード、WAVEとHMVでは発見できず。渋谷のHMVまで足を運んでようやく見つけることができました。レーベル名すら書いていない、あやしげな3枚組2000円ほどのCD。ポルトガル製。いろんな部族の歌が入っているみたいです。というわけで、苦労の末に入手したCDをこれから聴いてみます。これから書く作品に影響があるかどうかは、出来上がってからのお楽しみ。

みなさん、TOTOべんきのうたってご存じですか?ホームページを見ても良くわからないのですが、どうも自然発生的にできた歌のように説明されています。(ということは立派な民謡??)実は、ひょんなことから、この曲をチェロとピアノに編曲することになってしまいました。(-。−;)どうやらTOTOが主催するコンサートの中で演奏するらしいのですが、依頼者からは「そのままアレンジするのではなく、もっといろいろアイディアを盛り込んで賑やか楽しい感じで」って頼まれました。・・・原曲には単なる掛け声の部分もあるわけで、依頼に応えようとすると、チェリストに「TOTOべんきのうた、歌ってみよう!」とか叫ばせなくちゃいけないんじゃないかと危惧しているんですが、それは僕のせいじゃないからなぁ。在京プロオケのチェリストにそんなこと言わせるのは大変気が引けるんですが、ごめんなさい。これも仕事です。許してください。というわけで、締め切りはまだまだ先なのですが、面白いのか気が重いのかよくわからない仕事をひとつ、引き受けてしまいました。いったい世間一般にはどれくらい認知されているのかなぁ。コンサートの時に誰も知らなくて浮いてしまうのが何より心配です・・・。

夭逝の瀧廉太郎の呪いなのかなんなのか(^_^;)瀧廉太郎のアレンジが予想外に手間取ってしまいました。書き始めてみたら規模が膨らんで、単純なアレンジの枠を超えてしまった、というのが現実なので、手間取ったというよりも計画性が足りなかった、と言うべきなのかもしれない。「荒城の月」は一番最初に書きはじめたのに、脱稿したのは一番最後。最初に持った着想にこだわり過ぎて、うまくまとめられなくなったんです。最終的には、その着想を捨てることでどうにかまとまりました。楽譜を書いていると、小さなアイディアがポツポツと出てきて、それをうまく組み合わせられるように考えて行くわけですが、浮かんだアイディアは無駄にしたくないと言う哀しい貧乏根性のおかげで収拾がつかなくなることが良くあります。捨てる勇気が大切だってことは、言葉としては理解しているつもりなんだけどね。でもなかなか実行には移せません。最初に湧いた直感的なインスピレーションをありがたがりすぎているのかもしれないなぁ。勿論、一面では最初の閃きのようなものがイメージを助けてくれて、地道な作業からは生まれない発想を作ってくれることもあるんだけどね。取捨選択をうまくやれるようになりたいもの。おかげで鈴優会のみなさんには大変迷惑をかけましたが、でも初演は良くなりそうな予感です。ハーモニー感覚が抜群です。初見でも相当たしかな音楽を作ります。僕が言葉や身ぶりで少しサポートするだけで、音楽の構造や流れ、イメージを、つかんで描きわけるような引き出しもあります。本番の程良い緊張感の中で、どんな音楽を聞かせてくれるか。脱稿した側としてはわくわくして楽しみにステージを聴きたい一心。演奏する側はそれどころじゃないと思いますが。ごめんなさい。作品を委嘱するのは初めての体験、と仰っていましたが、世の中僕みたいな作曲家ばかりではないので、「作曲家」のイメージを僕基準にしないようにお願いします。(笑)「委嘱」ってのは多かれ少なかれスリリングな経験にはなりそうですけど。σ(^_^;)瀧廉太郎の曲は、ただ和声付け(単純であれ、コったものであれ)しただけでは、今日的感覚で新たに楽しむのにちょっと無理があるように思えたので、編曲の作戦として、原曲のメロディを尊重しつつも全く違う要素と結びつけて新しい世界に置いてみる、というやり口を主に使いました。トランスクリプションではなく、殆ど作曲ですね。お知らせが直前になってしまっいましたが、日曜の2時から、都合の良い方は是非是非こまばエミナースまでおいで下さい。他のステージの曲も充実した演奏が楽しめそうですよ!混声合唱団 鈴優会 第13回定期演奏会2003年12月21日(日)13:30開場 14:00開演こまばエミナースホール(京王井の頭線『駒場東大前』駅 徒歩6分)入場料¥1,800(全席自由)第1ステージ『Te Deum』KV.141 W.A.モーツァルト第2ステージ『瀧廉太郎の6つの歌』 堀内貴晃 編曲(委嘱初演)I. 荒城の月 II.雀 III.ひばりはうたひIV.秋の月 V.お正月 VI.箱根八里第3ステージ『昔の踊りうた(L.バルドシュ)』『谷茶前節(瑞慶覧尚子)』『ムダンサス(O.エスカラーダ)』『春の声(J.シュトラウス)』第4ステージ『どちりなきりしたん』 千原英喜指揮:名島啓太 ピアノ:太田由美子ゲスト出演:飯塚友浩(ダンス)

今日は自作の改訂と編曲。無伴奏混声合唱のための「薔薇」は、来年2月に向けて楽譜を書き直しています。初演の時は時間切れで、思うように掘り下げられなかった部分もあるので、納得できるようにと再チャレンジ。作曲家によっては終止線を弾いたら最後、二度と直さないってタイプの人もいますが、僕はなかなかそうできません。ヘビ年生まれで執念深いのか(笑)いつまでもより良くなるように書き直していたい衝動に駆られます。現実には締め切りがあるのでどこかで区切りをつけなくてはいけないんですが。なるべくその時々の時間的条件の中での最善は尽くしていきたいと考えています。今回の改訂の締め切りは今週水曜日の夕方。「薔薇」はたかだか3ヶ月前の楽譜だけど、やっぱり今見ると気に入らないところがたくさんあるので(^▽^;)細かいところも含めていろいろ変わりそうです。今日はイントロ部分で新しいアイディアの導入を実現。単純な音を少し足しただけだけど、少しは奥行きが出たかな。どうして7月に思い浮かばなかったんだろうなぁ。(涙)div.する部分も増えそうです。CANTUS ANIMAEのみなさんすいません。ちょっと難易度が上がるやもしれません。でも、音楽をより上質にしたい。尤も、作曲家にとっての改訂って客観的な視点に立ってみると「改悪」だったりもします。それでも最後には自分を信じるしかないんですけどね。滝廉太郎のアレンジも並行して進めています。もうすぐ第一便の楽譜を送りますのでいましばしお待ち下さい。>鈴優会のみなさま。一工夫ある滝廉太郎をお届けしますね。

引き続き滝廉太郎と取り組む日々。音楽之友社から「瀧廉太郎歌曲集」(¥1500)なるものが出ているのを知って、早速購入してみたんですがやっぱり知らない曲ばかり〜〜〜。 (T▽T)何人か周りの人にも聞いてみたけれど(いろんな年代の人に)、やっぱり知られているのは「花」「荒城の月」「箱根八里」と、せいぜい「お正月」くらいだという結論に至りました。ここで、この楽譜を買って仕入れた新しい知識を少し披露。1)「花」は組歌「四季」全4曲の1曲目である。2)この組歌(くみか?くみうた?)は   1曲目「花」が2部合唱+ピアノ   2曲目「納涼」が独唱+ピアノ   3曲目「月」が無伴奏混声合唱   4曲目「雪」が混声4部合唱+オルガン(!)+ピアノ  と、曲ごとに全く編成が異なるという、かなり前衛的な  体裁を取っている。3)荒城の月と箱根八里は1900年に文部省が募集した  新しい中学唱歌の為に応募した曲である。1人3曲  まで応募できるので、あと1曲「豊太閤」も応募した。  結果は見事当選。200曲以上の応募の中から勝ち抜い  て3曲ともが選ばれた。(当選作は全38曲だった。)4)水戸黄門こと徳川光圀公の短歌にまで曲をつけている。  (荒磯)5)滝廉太郎ではなく瀧廉太郎である。(あぁ、勘違い)こういう事はわかったけれど、それでもやっぱり曲は知らないボク。(-。−;)どうせ殆ど知られていない曲ならどれを選んでもそう結果は変わるまい、ということで僕が曲に興味を持てるかどうか、を基準にすることにしました。一通り楽譜を眺めたけど、やっぱり生き残っている曲は生き残るだけの理由があるなぁと実感。知られていない曲は、やはり魅力がほとばしっていないと言うか、技法がこなれていないと言うか。ドイツロマン派の音楽に憧れていたことは伺えますが、正面きってロマン派風にしようとした(であろう)曲は修得した和声を必死に使おうとしているような感じで、固さが残ります。日本風の風情と結びついたような曲は、あまり理論や技法のことを気にしていなかったのか、のびやかだったり、意外なくらいドラマティックだったりします。ただ、こういう系統は全部短調で色合いも似ているので、今回のように複数曲を持ってきてアレンジするには厳しいかな。せいぜい2曲程度にしないとくどくなるかな。他には幼稚園のための歌がいくつもあります。(「お正月」は幼稚園唱歌として書かれたものです。)これらは、ピアノ伴奏や和声の付き方は一様に固いですが(きっと当時の幼稚園の先生が弾けるように、という配慮でしょう)メロディはあまり肩肘はっていない感じで自然。ペンタトニック風なものが多いですね。きっと、自然に浮かぶメロディを書き留めた、っていう感じなんでしょうね。こういうのはメロディ自体が持つ和声の縛りも弱いので、いろんな角度から見ていけそうです。ただ、弱点は曲がどれも短すぎる事。(幼稚園向きだからしょうがないけれど)不自然にならないように繰り返したり、別の味付けを試したりしないと今回の目的には適わないかな。なにしろ「箱根八里」とか「荒城の月」と一緒に並べてもおかしくないようにしなくてはいけないので。いくつかをまとめてメドレーにする作戦もあるかもしれない。そんなわけで、ページをぱらぱらめくりながらあーでもないこーでもないと、想像を膨らませてます。締め切りまであまり日もないと言うのに。(^_^;)

今日はお仕事少々。あとは編曲をしていました。12月にある混声合唱団 鈴優会 の定期演奏会のために頼まれている滝廉太郎の歌曲の編曲。条件は「滝廉太郎の曲で」ってことだけで、曲はこちらが選んでもいいんです。でも、滝廉太郎の曲って、名前の知名度に比べると意外なくらい知られてないんですよねぇ。かくいう僕も殆ど知らないんですが。「花」に関しては滝さん自身の手による合唱版があるので今回は断念。「箱根八里」は前に編曲してあります。(少しだけ手直しします。)あとは荒城の月とお正月くらいですよねぇ?「お正月」(もういくつ寝ると、ってやつです)だって滝廉太郎作曲だってのはあまり知られていないと思いますし。作品一覧を調べてみると「鳩ぽっぽ」とかが出てくるんですが、調べてみると「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ」っていうあの曲じゃないんです。思わぬフェイント。ピアノ曲の「憾(うらみ)」なんてのは一部で有名かもしれませんが、平行調に転調する部分が僕にはどうにも気恥ずかしいのです。無理矢理合唱に置き換えられるような旋律でもないしなぁ。そんなこんなでどの曲を選ぶか、という段階で既に困っているんですが、資料をそろえない事には始まらないので、とりあえず今日は荒城の月を編曲していました。はるこうろうのはなのえんの「え」の音が半音上がっている異版があるのは知っていましたが、調べてみたらびっくり。滝さんの原曲のほうが、半音上がりだったんです。で、現在(多分)一般的に知られている半音上がりしない方の荒城の月は、山田耕筰さんの編曲なんだそうな。(なんでも当時の日本人には半音階的半音がなじまなかったそうで。)原曲の方を異版と思い込んでいたなんてあな恐ろしや。滝さん、すいません。で、問題になるのは著作権料。編曲として山田耕筰の名前を出してしまうと多分著作権料が発生。なのであくまでも僕の感覚に基づいて原曲を編曲した結果シャープが取れました。ってタテマエを取るんだろうなぁ。きっと。この曲は様々なアレンジが為されているだろうけど、山田耕筰のクレジットを見た覚えもないし、きっと誰もが同じタテマエでやってるんでしょう。あと12年経って、山田耕筰の著作権が切れたら状況が少し変わるのかもね。ちなみに、山田耕筰には「哀詩」というタイトルのピアノ曲があります。副題は─荒城の月を主題とせる更衣曲─となっていて、時代を感じさせます。並記してあるフランス語タイトルはPoeme Variation Melancolique(アクサン省略)変奏曲っていう訳語の前にははVariationのことを更衣曲と言ってたんですね。一人の人間がどんどん洋服を着替えていく(でも来ている人間の本質は変わらない)さまが見えるようで、味があります。もしかすると変奏曲というよりもわかりやすいかも。で、この曲の中身を見たらびっくりなんだな。いきなり驚くような和声進行で始まって、タダモノじゃなかったことをうかがわせます。その後に続く12の変奏もなかなかのもの。現在簡単に入手できるのかどうかわかりませんが、興味のある方は調べてみて下さい。

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