昼過ぎから和声の生徒を一人レッスン。それが終わって夕方からは作曲の師匠宅へ。ここしばらくに書いた楽譜を見て頂いてアドバイスを頂いたりした。リストの交響詩から学ぶべきことがあるらしい。早速見直そう。作曲の勉強を始めた頃に比べたら、それは多少なりともいい曲を書けるようになってきている。けれども本当に魅力のほとばしるような音楽を書くまでには至っていない。当然と言えば当然だけれど、それを諦めずに向上心を持ち続ければ少しは理想に近づけるかな。気づくようになる事、わかるようになる事、できるようになる事。この3つの間にある隔たりのなんと大きい事!人に教えながら、また人に教えられながらそんなことを考えて過ごした土曜日でした。
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明日が締め切り予定で頼まれた金管バンド用のアレンジ3曲完成。既にパート譜のプリントアウトも終わって、あとはクライアントに渡すのみ。締め切りに余裕を持って全てが終わるのは気持ちのいいもの。アイルランド民謡ばかり3曲を殆どサイズを変えずにアレンジするという注文だから、作業量としてはさほど多いわけではないんだけどね。ロンドンデリーの歌はもともとよく知っている。いろんなアレンジもある。庭の千草は今回改めて見直したけれど殆ど旋律構造が変わらないので和声付けが大きく印象を左右するはず。うっかりするとやたら単調な曲になってしまいます。フェルマータする部分の表情がなんとも言えない。もう1曲のガチャガチャバンドという曲は全く知らなかった曲。検索してみてもあまり情報が見つからなかった。シンプルながらも結構面白い曲。あちらの言葉で歌うと早口が面白くなるらしい。何日か前にテレビでやっていた舞踏家の大野一雄さんのドキュメンタリーの中でも庭の千草が何度も歌われていた。老いて殆ど体の自由の利かない大野さんが故郷の函館でステージに立って、それでもなお踊り続けていた風景が印象に残っている。手で舞うだけでも、異常な求心力を持って訴えてくる。あの手の動きは何なのだろう。技術とか型とかを超えたところにあの動きがあるような気がする。舞踏やダンスは、もっと若い人たちだけのものかと思っていたけれど、それが誤りだと知った。
作曲はじわじわ進めています。が、なかなかまとまった時間を作れないのが困ったところ。時間を上手く使えれば解決するのだろうけど、難しいですね。でもなんとかするしかありません。今書いているのは結構シュールな曲に仕上がりそうです。曲の中で大胆に自由に遊べたら面白い曲になってくれそうだな。今日は長い間溜めまくっていた著作権協会の作品登録申請書を書いていました。10曲くらいまとめて申請。1曲出来る毎に申請しておけばラクなんだろうけどねぇ。こういうところのルーズさも悪いところです。はやく直さないと。この申請書に書くのは曲名や歌詞(歌モノの場合)、権利者名(作曲者以外にも作詞者とかね。)、いつ公表されたか、などの項目に加えて曲の冒頭のメロディを5線譜で書く欄があったりします。一応「可能な範囲で書くこと」という但し書きはあるけれど、そもそもメロディらしきメロディのない場合にはどうするんでしょうね。(すぐに意地悪いことを考えてしまう僕)現代音楽の類は困る曲がかなりあるはず。例えばリゲティのアトモスフェールみたいな曲の冒頭部から、どこを取り出してきて記譜するのか。現代音楽でなくてもたとえばパーカッションアンサンブルとか、ラップとか、困る場面が多そうです。今回僕の申請したのはいたってありきたりの曲ばかりだったので問題なかったけど、そのうち困ることも出てくるだろうなぁ。その他には、歌モノの場合には歌詞の歌い出しの部分を書く欄があったりします。こういった各項目を書いていって、「この曲が他の曲とは違う自分の創作物である」という申請をするわけです。そして、作品が演奏会で演奏されたりする機会があれば使用料の一部が入金されてくると、そういうシステムです。(諸経費を差し引かれます)たくさん演奏されている人はどうだかわかりませんが、僕なんか年に何百回も演奏されているわけじゃないので入金されるのも雀の涙ほど。著作権協会に入会金も年会費も収めるから差し引いてみるとマイナスになることもあるくらい。「印税生活」なんて言葉が夢のような楽な生活の代名詞に使われたりしますが、僕にとってはまさに夢のような遠い世界の話です。シリアスミュージックの作曲をやっている限りは印税生活なんて夢のまた夢です。まぁ、儲けようと思って敢えて作曲を選ぶほど馬鹿じゃないし(絶対に他の職業の方が確実に稼げるでしょう)、印税生活できなくてもいいんですけどね。(と強がってみる。)
去年の夏ごろに書いた中学生向けの合唱曲「出発」(詩は高階杞一氏)が世に出ました。昨日あたりから店頭に並んでいると思います。楽器屋さんか書店で探せば見つかるのではないでしょうか。(この雑誌は学校で教えている音楽の先生を主たる対象に据えているので、身近な音楽の先生に尋ねてみるのも良いでしょう。)曲の質をなるべく高く保ちたい、ということと技術的な難易度を極力下げたい、ということは必ずしも相反する要素ではないけれど、簡単に両立できるものでもありませんね。そのことを今回は痛感しました。簡単なもの、質の低いもの、単に取り組みやすいだけのものを狙って作ることはできるでしょうが、僕はそうしたものを子供たちに与えることが良い教育だとは思えません。けれど一方では現実に、極端に少なくなっている授業時数の問題もあるわけで、そのことに対応しないと現場で使える曲にはなりません。値段は下げるけれど味は保つ吉野家のように努力・試行錯誤を重ねて、取り組みやすく、含蓄もあるものを書けるようになりたいものです。願わくば、小学1年生の1学期向けの曲と小学1年生の2学期向けの曲を書き分けられるくらいに違いを極められたら嬉しいのですが。難しいかな。「出発」の楽譜をご覧になったり実際に演奏した方がいらっしゃれば、是非ご意見・ご批判をいただけると嬉しいです。次回作以降に還元していきたいので。よろしくお願いいたします。
相模原市民文化祭という催しの中で相模台グリーンエコーのみなさんが無伴奏混声合唱のための「野菜畑のソクラテス」を取り上げてくださるというので生まれてはじめて相模原まで出かけました。小田急線はせいぜい新宿から代々木上原までくらいしか乗ったことが無かったので結構新鮮な感覚。うちの最寄駅からたっぷり1時間くらいですが、今日は出かけてみて良かったです。楽しかった。相模原はどうやら昨日今日と、地域一体になってお祭りだったようです。駅前から伊勢丹にかけての5分ほどの距離にとても活気が溢れていて今の不況もどこ吹く風、という感じ。また機会をつかまえて行ってみたい所です。野菜畑のソクラテスはコンクールの審査の時に非公開で演奏されたあと、一部が雑誌に載っただけなので、(僕の把握している範囲では)今回が公開の場での最初の演奏。ユーモアと言うか、諧謔のある詩に付曲しているのですが、今日の演奏中に客席の一部で笑い声が上がっていました。僕は全然予想しないで作曲してしまっていましたが、そういえば予備知識なしに聴くお客さんにとっては笑い所がある曲なのかもしれませんね。かぼちゃの歌が始まったと思ったらいつの間にか罵詈雑言の連発になったり・・・。(^^;)予想外のところに効果があったりするもんですねぇ。演奏も素敵でした。あまり時間が無くて団員のみなさんと存分に話して来れなかったのが残念ですが・・・。日本語のディクションの問題や、ハーモニーのピッチを合わせる問題、そこから派生して響きの色を変えていく問題、などなど、合唱を聴かせていくために必要な課題を乗り越えてホールを柔らかい雰囲気に包んでいたのが印象的でした。またチャンスがあれば是非ご一緒したい団体です。帰りに池袋のヤマハによっていくつか歌の楽譜を購入。フニクリフニクラの編曲用に、そもそも原曲の楽譜を持っていない!という大問題に気付いたため。何種類か出版されているようですが音楽之友社の世界の名歌集I(1500円)というのを見つけて買ってきました。他にもいろいろ名曲の類が載っているのでこれから他の曲の編曲を頼まれても大丈夫!(変な楽譜はいろいろ持っているくせにメジャーな曲を持っていないことが多いのです(^^;)やっぱり原譜は見てみるものですね。僕はてっきりフニクリフニクラは4分の2拍子で付点8分音符+16分音符のリズムだとばかり思っていたのに、原曲は速い8分の6拍子でした。サルタレッロになるんですね。(多分)改めて楽譜を見てみても、やっぱり良い曲です。メロディそのものが良いというよりも、盛り上げて行くための構成が立派。最後に繰り返しをしているところで何のアイディアも無いのがちょっと残念ですが、他はとてもいいなぁ。これなら歌っていて気分が良くなるのも頷けます。シェーンベルクやカセッラ、リヒャルト・シュトラウスはCDを探してみましたが見当たりませんでした。時間の関係もあるので今回は断念。一体彼らはこの曲に何を施しているんでしょう。いずれCDが手に入れてみたいところ。ヤマハで配布している国内版・外国版楽譜音楽書展望というフリーペーパーが意外に充実しているので時々気がついたら読んでいます。今日もヤマハに寄ったついでに貰ってきたんですが(10月号)林光さんのエッセイが面白かった。演奏会のプログラム(曲目ではなくて紙媒体のモノのこと)に触れつつ三人の会の事にも触れてありました。三人の会(團伊玖磨・芥川也寸志・黛敏郎による作曲家同人)のことは存在は知っていて、その活動のアウトラインくらいは把握しているけれどさすが、同時代の証言は歴史書とは違います。今まで全く予想もしなかったけれど、そうか、この3人の集団となると日本(もしかすると世界)?作曲史上初の〈裕福な〉作曲集団だったんだ!というどうでもいいような、しかし大切な現実が赤裸々に実例を織り交ぜて綴られています。興味のある方は早めに入手してみましょう。このエッセイは毎号読ませてくれます。
フニクリフニクラの編曲を頼まれたので、準備のためにいろいろ調べてみました。多分小学校か中学校くらいの時に音楽の授業で歌ったりしたことくらいはあるのに、何故か思い出せる歌詞が「おに〜のぱんつはいいぱんつ〜 強いぞ〜 強いぞ〜・・・」だけなんです。(^^;)授業でこんな歌詞は歌わないはず!と思って調べてみたら判明しました。上記の歌詞は替え歌でしたね。(^^;)他にも(僕は全く知らなかった)フニクラとかけてぐりとぐらを歌った替え歌があるらしいです。(これはどんな内容の歌詞なんだろう?)正規の歌詞(?)は「赤い火を吹くあの山へ 登ろう 登ろう・・・」と始まるもの。ただし、この日本語訳はイタリア語の本家と比べると意訳や創作の部類に入ります。まぁ、どうしても歌を日本語に訳すと1つの音符にシラブルを1つ、という独特の処理が必要になってくるので仕方ないですね。他にもそういう歌はたくさんあるんでしょう。イタリアの民謡かと思い込んでいたら、どうやら民謡ではなく、デンツァLuigi Denzaというイタリアの作曲家がイタリアのベスビオ火山に登山鉄道ができた時のキャンペーンソングとして作った曲のようですね。民謡だと思い込んでいたのはどうやら僕だけではないようで、かのリヒャルト・シュトラウスも「イタリアから」という曲(僕は存在すら知りませんでした)の終楽章でイタリア民謡のつもりで引用してしまっているらしいです。編曲はきっと数多あるんでしょうが、面白そうなところではシェーンベルクが室内編成で編曲しています。地道に編曲してるんでしょうか。それとも大胆に面白い編曲になっていたりするんでしょうか。気になるところです。日本ではNHKの「みんなの歌」で紹介されたために一気に広まったらしいですね。この時の歌詞が上記の正規の(?)歌詞。細野晴臣さんもどうやら自分のアルバムに収録しているようで、これもちょっと興味あります。検索している途中で偶然、ドナドナは離散したユダヤ民族の想いを裏に秘めた歌だった、という説も見かけました。牛が売られていくだけでも充分重い歌なのに・・・。意外な歴史を秘めた曲って結構民謡、童謡には多そうですね。と書いたところで、覚書も兼ねた今日の日記はおしまい。
こんなところに書いてちゃいけないタイミングなんだろうけど、ちょっと煮詰まったので気分転換に。Y君、気をもませてごめん。でもちゃんと締め切りには間に合わせます。(意地)明日いっぱいまでにちゃんとかたちにまとめます。「はこねはこねはこね・・・」って頭の中で繰り返してるうちに箱根はコネ箱根はコネ、に変化してきてしまう。箱根のコンクール用なので冗談にもできませんね(^^ゞ譜面を書いている時に考えていることなんて、人様に明かせたものじゃあないと思う。その中から時々いいアイディアが浮かんだりもしてきます。メールの返事が遅れている方多数。ごめんなさい。締め切り越えの明後日にはいろいろご連絡をば。書道の展覧会のチケットを頂いているのだけど(書の世界ではすごい人らしい。池袋駅でもポスターを見かけた)まだ行っていない。24日くらいまでだったか。何とかして行きたい。行ったところで書のなんたるかなんていうのは全くわからないだろうけれど、わからないことや未知のものに対する好奇心は常に開いていたい。素人なりになにか感じるものでもあれば儲けものでしょう。さて、そろそろ机に復帰します。♪箱根の山は〜
けっこうタイトなスケジュールが続いていたのがようやく終わり、久しぶりに時間に追われずに過ごしてます。1週間前には依頼されていた中学生向けの合唱曲を2日で完成。2日で1曲作曲というのは(規模の大きな曲で無いとは言え)僕としては結構なハイペースです。限られた時間の中ではそこそこのアイディアを盛りこんで書けたのではないでしょうか。次の締切は20日。ピアノ三重奏用に何曲かと、混声合唱向けの“オリジナリティ溢れる箱根八里”というやつを書かねばなりません。前者は単純なトランスクリプションなので特に問題は無いけど後者が問題。去年も一度編曲したけど、この曲に対していったいどういう味付けが可能か。いやみのない、遊びに溢れたアレンジができれば、と思うけど・・・。ピアノの上で遊びつつ楽想を練っています。
今日は懇意にさせていただいている合唱団、CANTUS ANIMAEさんの5回目の演奏会。猫祭を取り上げていただいて、今回でなんと2回目。とても良い演奏。そこここに僕が作曲当時に思い描いていたイメージを垣間見ることができて終曲では思わず落涙(大げさじゃなくて)。おかげで左目のコンタクトが外れて、舞台に呼ばれた時には段を踏み外しそうになりました(^-^;聴きながら、消しゴムに消された作曲当時の音符まで見えて来たような錯覚にとらわれましたが、これは僕の主観的な思いこみだけではないはず。それほどに音像が立体的に作られていました。作曲者冥利に尽きるというものです。※団員のみなさん、ありがとうございます。お話頂いた件も最大限の誠意を込めてお応えしたいです。楽あれば苦あり、というのが人生の常で、実は昨日までに終わりたかった作曲の師匠の手伝いが終わっていません。明日は9時27分発のスーパービュー踊り子号53号で伊豆に向かわなくてはいけないので、なんとかそれまでに全部の作業を終えねば。旅支度も明日使う楽譜の整理もまだです。何事も、早めに準備をして余裕を持って動くに越したことはないですね(涙)これから必死で今日の分の幸せを消化します(^-^;
とあるコンクールに出そうとして木管五重奏を書こうとしていたけれど、間に合いそうにないので断念。昨日の午後になって立て続けに仕事の催促の電話がきてしまったことが理由のひとつ。それまでにも他の仕事に時間を奪われてしまっていて、作曲に専心できるようになったのがようやく3日ほど前だった、というのも理由のひとつ。運悪く、向かいの小学校の壁の掃除だかなんだかが入ってしまっていて、業務用(?)の高圧シャワーか何かの音が朝9時から夕方6時までひっきりなしに鳴り続けていてとても集中できなかったのも理由のひとつ。特に最後の理由の「騒音」にはまいった。自分でピアノを弾いたり、和声や対位法の課題を解いたり、写譜や大雑把なアレンジをしているような時ならまだ耐えられるものの、自分の内にある音を聞き探っていく作曲のようなことをやっている時にあの騒音はどうしても気になってしまう。耳栓も効果なし。(涙)特に今書きたかったのは木管五重奏。音色での発想で音楽を形作っていこうとしているような時にはやっとイメージした音響イメージが一瞬で吹き飛ばされてしまう。とにかくタイミングが悪かった。今年のはじめごろにも運悪く、オケだったか合唱だったかを書いていた時に目の前の道路を掘り起こして一ヶ月ほどの間ひっきりなしに下水工事の轟音が鳴り止まなかったことがある。この時もとにかく辛かった。(涙)・・・今住んでいるのは小学校の目の前。普段は子供の元気な遊び声が聞こえてきたりする程度で、それは生活音としてそう気になることもないし、今住んでいる場所にとりたてて不満はなく過ごしているけど、作曲に集中している時に騒音が飛びこんでくるようなことが続いてしまったので思わず引っ越しが頭にちらついてしまう。東京に住んでいて生活音と無縁で生活できるとは思わないけれど、せめて作曲したい時に作曲に集中できる程度の環境を確保したい。今回みたいに日中ずっと同じ音が絶えず鳴り響いているのはまっぴら。で、木管五重奏は近い将来、何か他の機会を目指して書くことに切り替えたので依頼を頂いた楽譜作りに勤しむことにします。ひとつは中学生用の合唱曲。詩人の高塚かず子さんにお願して何篇か若い人向けの詩を送っていただいている。うまくいけばまた高塚さんのことばに曲を寄り添わせることができるわけで、久々の楽しみな作業。もしうまくいかなかった時のための詩も数篇探してある。ひとつはピアノトリオ(Vn,Vc,Pf)のためにアレンジを少々。展覧会の絵など。ひとつは「箱根八里」の混声合唱用のアレンジ。【クラシカルにオリジナリティあるアレンジで】だそうです。再作曲に近いような作業になりそうで、これはこれで楽しみ。他にもいくつか。課題はいろいろあります。自分の作曲や勉強も進めていきたいしね。