過ぎた話ではあるけれど、9月5日、6日に行われた「はこね学生音楽祭」について、僕の中で大切な経験になりそうなので書き残してみる。この音楽祭が生まれたのは4年前。1位賞金100万円!という太っ腹な学生対象の音楽祭が生まれた事を、たしかどこかのホームページで知ったと思う。合唱をやっている大学生を対象にしたものだ。世の中にはお金があるんだなぁと思っていたところに、東大の合唱団で指揮を振っていた友人のY野君から声がかかった。「コンクールに出るから課題曲の箱根八里をアレンジして欲しい」と。そう、この音楽祭の最大の特徴は、課題曲が箱根八里であること、ただしアレンジは自由、というところにあった。編曲を試みたことのある人から身に染みてわかるだろうが、箱根八里はひたすらトニック。稀にドミナント。ほとんど和声的に変化しない旋律が、これでもか!とばかりに並列されているばかり。誤解を恐れずに書くなら、この曲が名曲だなんてとんでもない!駄曲だ。瀧廉太郎だって他にいい曲がたくさんある。これで、課題曲が例えば「荒城の月」であったり、「花」であったらこの音楽祭の実情も現在はもっと変わったものになっただろう。しかし、「はこね学生音楽祭」である以上、最大のご当地ソングである課題曲を変えるわけにはいかない事情もよくわかる。この辺の事情を知るためには、それぞれの曲の合唱出版譜を調べてみればわかるだろう。箱根八里は、僕の知る限り信長貴富氏によるアカペラ(女声、男声・混声)のアレンジと、林光氏によるピアノ伴奏アレンジの2種類しか出ていない。他に出ていたとしても、愛唱曲集の中に独創性のない、通常の和声付けの楽譜が混ざっている程度だろう。曲の知名度から考えてもあまりに選択肢が狭いのは、編曲の事情が絡んでいるとしか思えない。聴き映えするような編曲しにくいもん。僕も、当初はそんな印象しか持てなかったから、和声のソプラノ課題を解くが如くに向き合って、和声的な味付けを変える程度にしか工夫を凝らせずに編曲を終わった。この時点では、根本的な発想転換をして独創的なアレンジ、などとは考えられなかった。あとで報告を聞いたら、アレンジのパンチがイマイチ弱かったらしい。けど、箱根八里で原曲に忠実なアレンジやったってそもそもそんなもんだよ、と反発を感じた記憶がある。ピアノ伴奏ならね、まだ伴奏でごまかしていけるけど、アカペラだと通常の和声付けで発想している限り限界がある。結果は予選落ち。2年目にもう一度この音楽祭にチャレンジしたい、ということで「とにかく数多くの箱根八里に負けないインパクトのあるアレンジを」と、懲りずにY野君は再び委嘱をしてくれた。「そうは言ってもあんまり原曲から離れちゃ変だよ」という彼女の至極真っ当なアドバイスを半ば無視して、「箱根八里パラフレーズ」路線で再度編曲に挑戦。無駄に長いなら要らない部分を使わなければいい。あとは動機の展開のように楽想を展開すれば。そうやって殆ど新たに作曲したかのような箱根八里が生まれた。相当演奏の難しい(ように一見思える)楽譜だ。中には連続五度とかをふんだんに仕込んであるので、実際には、聞こえる派手さ程には難しくない。ただ、曲を充分に歌いこなすには至れなかったようで、この時も予選落ち。3度目の正直。今度こそ、ということでこの時から指揮を頼まれた。去年のアレンジで、より高い演奏水準で。ただ、基本的な指揮法を習ったとは言え、僕には殆ど指揮経験はない。見よう見まね。自由曲には派手さはないが着実な名曲を持ってきて、ひたすら純正調でハーモニーを作る練習。そして楽譜から自然な表現を引き出す練習。それなりに基礎作りの意味はあったろうか、東大生たちには本当の意味でハモるということの入り口は見せてあげられたかな。ただ、攻めていく派手さは作らなかったので、この年はようやく予選突破したところで結果が落ち着いた。この音楽祭のあとに、同じく瀧廉太郎の歌曲に、箱根八里と同じような発想で新たに息を吹き込んだ「瀧廉太郎の6つの歌」という編曲集が生まれた。鈴優会の委嘱だが、葉っぱ会の委嘱した箱根八里の存在抜きには語れない。そして今年。再び指揮の依頼。また僕に頼まれたということは、今度こそ1番を取らなければ意味がない。僕だって去年よりは指導経験も増えて、より的確な指導や練習ペースの配分を身につけている。自由曲の選曲を、「瀧廉太郎」一色で統一する事にした。ただし、勝ちに行くためにアクロバティックなアレンジを中心に。本選の最後に歌うために、毛色を変えたシェーファーのガムランも据える事にした。けっこう攻撃的な布陣。ところがふたをあけてみたら充分な練習回数が確保できない。効率優先で練習しないといけないため、無駄な繰り返し練習を最小限にとどめられるように、練習プラン、指示の共有を前提に置いて乗り越えた。時間がない時にでもある程度以上に仕上げてしまうのは東大生の持っている重要な武器と言える。結局時間が足りなくて、二日目に歌うガムランの仕上げ練習は初日の夜にはじめて行うと言う有様。だけど、それが功を奏して、本番に至るまでモチベーションを高め続けながら演奏する事が出来た。僕が去年より成長したのは、各部各部の表現を聞かせる事よりも、より全体の構造の中でベクトルを打ち出せるようになった事。これができると聞いている人に安定感をもたらす事が出来る。優れた指揮者というのは特にこういう部分が優れた人の事なのではないだろうか。今回は歌い手の成長もあって、いろんなことがうまくはまってめでたく100万円を手に出来た。1年目から依頼し続けてくれている東大の学生たちの4年にわたる成長あってのものだろう。学生の団体はどこでもそうだろうが、毎年顔ぶれが入れ替わる中で水準を保ち続けたり、上げて行くのはとても難しい。他の出場団体を見ていても、昨年からわずか1年で急成長を見せた横浜の大学生、京都の大学生がいるかと思えば、去年の輝きが嘘のように消え去っていた東京の大学生がいたりして、諸行無常、驕れるものは久しからずを目の当たりした。水準の維持・成長って本当に難しい。他の団体はさておき、4年かけて東大のみんなと一緒に成長して来れたことはとても嬉しいし、その結果が具体的な評価となって表れたということは、各人の誇りとしてこれからも生き続けるだろう。打ち上げの酒のおいしかった事。作曲のような個人作業をやっているとなかなかわからないものだが、仲間と成果を確認しあえる充実感はこれほどだったか。ひとつの曲に4年付き合うと言う、貴重な経験をさせてくれたメンバーたちと、はこね学生音楽祭に感謝!
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