Articles by takaaki

You are currently browsing takaaki’s articles.

渋谷にあるシアターイメージフォーラムで今月末までブリテンのウォーレクイエムに映像をつけた作品を上映しています。配給はアップリンク・ファクトリー。音楽作品に後付けで映像がついたりすると、何か違和感を覚えることがありますが、この作品はそういうのを感じなかったな。音楽と映像がケンカしていないと言うか。もともとテクストがイマジネーションを広げている音楽であることが関係しているのかも知れないけれど、映像によって付け加えられた意味を自然と受け入れられます。もちろんウォーレクイエムだから戦争と死が大きなテーマになっているし、それについて考え直すことも大きかったんだけれど、それよりなにより、見えるもの、聞こえるものがただただ美しい・・・。間違ってもいわゆる「癒し系」の美しさなんかじゃないんだけどね。最後までじっと心を傾けていると、静謐な、深い感動に包まれます。ホントにただただ美しかった。これはきっと言葉では書けない。きっとあの時間を共有しないとわからない類の感動じゃないかと思うのです。東京での上映は今月末までです。もうあまり日がありませんが興味のある方は是非。ローレンス・オリヴィエの遺作でもあります。僕もなんとかもう一度観ておきたい。いろいろもろもろを早く片付けないと行けない・・・(涙)この作品の監督、デレク・ジャーマン氏は、思いっきりドイツ人ぽい名前をしていながらも実はイギリス人。9月末から10月頭にかけて連続レイトショーもあったらしいのに、情報を仕入れるのが遅くて観損ねてしまいました。悔しいなぁ。他の作品でどういうことをやっているか観てみたかった。もはやこの監督は故人。新作は見られないとしても、他の作品に触れてみたいです。昨日からなぜか左手親指の付け根の関節が痛む。どこかにぶつけたような感じなんだけど、目立った傷も記憶もないので原因不明。どうしたのかな?ピアノを弾いていても痛みが気になるので憂鬱な土曜日でした。集中すれば気にならなくはなるんだけどね。

天気の良い一日。朝から楽譜を書いていたけど、あんまり天気がいいので、昼食後にちょっと自転車で町の探検。思えば4月から始まった中村橋生活なのに、駅から自宅までの一本道以外の事をまだ殆ど知らないからなぁ。と、そんなわけでウチと反対方面に向かって走ってみて鷺宮駅あたりまで。途中にはリサイクルショップや珈琲豆の専門店もあることが判明して嬉しい限りです。特に珈琲豆のお店は、中村橋からも徒歩5分くらいのところにあるから、これからはわざわざ江古田まで行かなくても済むかな。残念ながら今日は休みだったけど、店頭看板にあった「コーヒー大福」ってのが、かなり気になりるところです。和菓子屋さんが味のバリエーションのためにコーヒー大福をやることはあるんだろうけど、何故にコーヒー屋さんが大福を!?餅部分は外注するのかなぁ?それとも自作してるんでしょうか。1個150円と、強気な値段なのも気になります。おいしいのか勘違い商品なのか?試さないわけにはいかないなぁ。近日中に実現させます。その他にも実は近所に美術館や図書館があることとか、スーパーやマクドナルドがあることも発見。怪し気な面白そうな中華屋さんや焼肉屋さんもいくつか見かけました。中村橋って結構飲食店に溢れた町なのかも知れない。少しずつ開拓してみます。

白ばら会合唱団が定期演奏会(今年の12月8日です)で猫祭を取り上げてくださるとのことで、練習に行ってきました。本郷にある東大構内での練習。この合唱団は東京大学の学生とお茶の水女子大学の学生を中心に構成された、非常に歴史のある合唱団。現在の人数は7、80人と聞きましたが、多分今までで一番人数の多い猫祭になると思います。大体自作の練習に立ち会う時は、指揮者の方に練習を進めていただきながら横からコメントを挟んでいくかたちを取る事が多いのですが、今日は違いました。前半に普段通りの練習を見せていただいて、後半には完全に僕が前に立って振りながらいろいろ伝えていくというかたち。何しろいきなりだったので僕の指揮もかなりアヤシかったはずですが、合唱団のみなさんが集中力の高さでちゃんと合わせてくれました。大学の合唱団は良くも悪くも、長い練習期間の間に表現を体に染み込ませるように表現の純度を上げていく一方で、表現の自由度が狭まってしまう団体が多いような気がしますが、白ばら会の人たちはあまりそういう感じはなかったですね。何か言った時にパッと切り替えて新しい表情を見せてくれる。適応力があります。前半に見せていただいた練習でも基礎的なことに重点を置いていましたし、そのあたりが適応力につながっているのかもしれません。楽譜の意図を、音楽の呼吸という視点から少し話させてもらいましたが、きっと本番までにまだまだ変化してくれることでしょう。楽しみです。ところで練習後の会話で、お茶の水女子大が茗荷谷にあることを初めて知りました。上京してから8年間、お茶の水にある大学だと信じて疑わなかったのに・・・。いやぁ、驚いた驚いた。

今日は自作の改訂と編曲。無伴奏混声合唱のための「薔薇」は、来年2月に向けて楽譜を書き直しています。初演の時は時間切れで、思うように掘り下げられなかった部分もあるので、納得できるようにと再チャレンジ。作曲家によっては終止線を弾いたら最後、二度と直さないってタイプの人もいますが、僕はなかなかそうできません。ヘビ年生まれで執念深いのか(笑)いつまでもより良くなるように書き直していたい衝動に駆られます。現実には締め切りがあるのでどこかで区切りをつけなくてはいけないんですが。なるべくその時々の時間的条件の中での最善は尽くしていきたいと考えています。今回の改訂の締め切りは今週水曜日の夕方。「薔薇」はたかだか3ヶ月前の楽譜だけど、やっぱり今見ると気に入らないところがたくさんあるので(^▽^;)細かいところも含めていろいろ変わりそうです。今日はイントロ部分で新しいアイディアの導入を実現。単純な音を少し足しただけだけど、少しは奥行きが出たかな。どうして7月に思い浮かばなかったんだろうなぁ。(涙)div.する部分も増えそうです。CANTUS ANIMAEのみなさんすいません。ちょっと難易度が上がるやもしれません。でも、音楽をより上質にしたい。尤も、作曲家にとっての改訂って客観的な視点に立ってみると「改悪」だったりもします。それでも最後には自分を信じるしかないんですけどね。滝廉太郎のアレンジも並行して進めています。もうすぐ第一便の楽譜を送りますのでいましばしお待ち下さい。>鈴優会のみなさま。一工夫ある滝廉太郎をお届けしますね。

今日は天気も良かったので散歩がてら、駅前の美容室へ。伸び放題だった頭を短くしてきました。似合っているかどうかは別として。(^_^;)美容室でいつも困るのは美容師さんとの会話です。もともと話下手ってのも関係あるんでしょうが、なんとも面倒。美容師さん「今日はお仕事おやすみなんですか?」堀内「在宅で仕事してます」美「お仕事は何をされてるんですか?」堀「作曲やってます」美「うわー、すごいですね!どんな曲作ってるんですか?」堀「まぁクラシックとかを・・・」美「やっぱりシンセとか使うんですか?」堀「生楽器用に書く事の方が多いですね」美「じゃあ楽器とかされてるんですよね」堀「一応ピアノも少し弾けますけど」美「やっぱり毎日練習するんですよね?」堀「作曲なんで弾かない事もあるんですけど・・・」美「じゃあ頭の中で作っちゃうんですか?かっこいいなぁ」堀「でも楽器も使います」美「やっぱり将来は作曲家で成功するんですか?」堀「ええまぁそうなったらいいな、と。難しいですけどね」美「つんく♂みたいなやつですね。」堀「いや、ジャンルが違うんですけど」なんて会話を続けていくのは僕には辛い。マイノリティは十分自覚してるから、知られていなくても別にヘコみません。だから、あまり突っ込まれるよりも放っておいてくれた方が楽なんだけど、どうやら美容師さん側は「相手の身辺環境を聞き出すのが会話の糸口」なんてことを教えられているようで、ほぼ例外なく上に書いたようなことを聞かれます。会話があまりに面倒になってきたらこっちから美容業界のことを聞いたり当たり障りない天気の話をしたりしてやりすごしたりもするんですけどね。通りすがりのお店にふらっと入って明らかに一度だけの付き合い、なんて時には申し訳ないけれど適当に嘘をついちゃいます。「サラリーマンで今日は休日。散歩のついでに寄りました」くらいに言っておくと、追求も少なくて楽。他の作曲家のみなさんはどうしているんでしょう?

今日は久しぶりにオーケストラのコンサート。新日フィルの定期演奏会に行ってきました。気がつけばサントリーホールに行くのも久しぶり。半年ぶりくらいかなぁ。今年はサントリーサマーフェスティバルもなんだかんだで行きそびれたので、本当にひさしぶりの溜池山王下車でした。で、新日フィルのコンサートに足を運んだ理由はプログラム。マルティヌーの交響曲6番と、クルタークのQuasi una fantasia、それからベルリオーズの幻想交響曲というプログラムだったからです。みなさん御想像のとおり、僕の目的としては1番)クルターク2番)マルティヌー3番)ベルリオーズという感じで足を運んだわけですが、聴いたあとの印象は1)ベルリオーズ、2)クルターク、3)マルティヌーという感じかなぁ。どれももちろん面白いには面白いんだけど、クルタークはその特徴である静謐な音響が他の作品(例えばミクロコスモス、古の幼子の声など)ほどに際立っていない事や、作品自体の規模の小ささ(おそらく、時間経験としてかなり長い間聴感覚を惹き付けないとクルタークの魅力は発揮されない)などに理由があってどこか入り込めない要素があったんでしょう。ただ、実際の演奏でクルタークに接したのは初めてなので収穫は多かったです。マルティヌーは面白いし、精神分裂みたいな楽想の展開がどうも普遍的ではないような気がします。個々の発想や音響としてはとても面白いし、興味深いんだけど。時間感覚が何か違うなぁ。きっと、この時間感覚がちょうどハマる人にはとても面白いんだろうけど、少数派じゃないかな。いや、もちろんそれでも面白かったですよ。東欧の作曲家独特の節回しは、個人的には大好きなんです。ベルリオーズはもちろん時代様式的に一番古いです。が、様式の中での語法の熟練度はやっぱり抜きん出ているし、(当時における)実験的な試みもたくさん。おまけにキャッチーな音響にも溢れています。やはり名曲と呼ばれるだけの理由はあるのかな。生で聴いてみると意外な程に面白かった。語法や技法を越えたところにある魅力の秘密を、もしかするとこの曲から見つけられるかもしれない。自分で良い曲を目指すのも大切だけれど、やっぱり過去の名品への適切なリサーチも必要です(きっと)。そんな意味で収穫の多いコンサートでした。もちろん、エラソウなこと言う前に自分の曲で示せ、ってのは当然ですね。頑張らねばいけません。ベルリオーズだったら来年(27歳)に幻想交響曲を書いてるわけですからねぇ。

引き続き滝廉太郎と取り組む日々。音楽之友社から「瀧廉太郎歌曲集」(¥1500)なるものが出ているのを知って、早速購入してみたんですがやっぱり知らない曲ばかり〜〜〜。 (T▽T)何人か周りの人にも聞いてみたけれど(いろんな年代の人に)、やっぱり知られているのは「花」「荒城の月」「箱根八里」と、せいぜい「お正月」くらいだという結論に至りました。ここで、この楽譜を買って仕入れた新しい知識を少し披露。1)「花」は組歌「四季」全4曲の1曲目である。2)この組歌(くみか?くみうた?)は   1曲目「花」が2部合唱+ピアノ   2曲目「納涼」が独唱+ピアノ   3曲目「月」が無伴奏混声合唱   4曲目「雪」が混声4部合唱+オルガン(!)+ピアノ  と、曲ごとに全く編成が異なるという、かなり前衛的な  体裁を取っている。3)荒城の月と箱根八里は1900年に文部省が募集した  新しい中学唱歌の為に応募した曲である。1人3曲  まで応募できるので、あと1曲「豊太閤」も応募した。  結果は見事当選。200曲以上の応募の中から勝ち抜い  て3曲ともが選ばれた。(当選作は全38曲だった。)4)水戸黄門こと徳川光圀公の短歌にまで曲をつけている。  (荒磯)5)滝廉太郎ではなく瀧廉太郎である。(あぁ、勘違い)こういう事はわかったけれど、それでもやっぱり曲は知らないボク。(-。−;)どうせ殆ど知られていない曲ならどれを選んでもそう結果は変わるまい、ということで僕が曲に興味を持てるかどうか、を基準にすることにしました。一通り楽譜を眺めたけど、やっぱり生き残っている曲は生き残るだけの理由があるなぁと実感。知られていない曲は、やはり魅力がほとばしっていないと言うか、技法がこなれていないと言うか。ドイツロマン派の音楽に憧れていたことは伺えますが、正面きってロマン派風にしようとした(であろう)曲は修得した和声を必死に使おうとしているような感じで、固さが残ります。日本風の風情と結びついたような曲は、あまり理論や技法のことを気にしていなかったのか、のびやかだったり、意外なくらいドラマティックだったりします。ただ、こういう系統は全部短調で色合いも似ているので、今回のように複数曲を持ってきてアレンジするには厳しいかな。せいぜい2曲程度にしないとくどくなるかな。他には幼稚園のための歌がいくつもあります。(「お正月」は幼稚園唱歌として書かれたものです。)これらは、ピアノ伴奏や和声の付き方は一様に固いですが(きっと当時の幼稚園の先生が弾けるように、という配慮でしょう)メロディはあまり肩肘はっていない感じで自然。ペンタトニック風なものが多いですね。きっと、自然に浮かぶメロディを書き留めた、っていう感じなんでしょうね。こういうのはメロディ自体が持つ和声の縛りも弱いので、いろんな角度から見ていけそうです。ただ、弱点は曲がどれも短すぎる事。(幼稚園向きだからしょうがないけれど)不自然にならないように繰り返したり、別の味付けを試したりしないと今回の目的には適わないかな。なにしろ「箱根八里」とか「荒城の月」と一緒に並べてもおかしくないようにしなくてはいけないので。いくつかをまとめてメドレーにする作戦もあるかもしれない。そんなわけで、ページをぱらぱらめくりながらあーでもないこーでもないと、想像を膨らませてます。締め切りまであまり日もないと言うのに。(^_^;)

今日はお仕事少々。あとは編曲をしていました。12月にある混声合唱団 鈴優会 の定期演奏会のために頼まれている滝廉太郎の歌曲の編曲。条件は「滝廉太郎の曲で」ってことだけで、曲はこちらが選んでもいいんです。でも、滝廉太郎の曲って、名前の知名度に比べると意外なくらい知られてないんですよねぇ。かくいう僕も殆ど知らないんですが。「花」に関しては滝さん自身の手による合唱版があるので今回は断念。「箱根八里」は前に編曲してあります。(少しだけ手直しします。)あとは荒城の月とお正月くらいですよねぇ?「お正月」(もういくつ寝ると、ってやつです)だって滝廉太郎作曲だってのはあまり知られていないと思いますし。作品一覧を調べてみると「鳩ぽっぽ」とかが出てくるんですが、調べてみると「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ」っていうあの曲じゃないんです。思わぬフェイント。ピアノ曲の「憾(うらみ)」なんてのは一部で有名かもしれませんが、平行調に転調する部分が僕にはどうにも気恥ずかしいのです。無理矢理合唱に置き換えられるような旋律でもないしなぁ。そんなこんなでどの曲を選ぶか、という段階で既に困っているんですが、資料をそろえない事には始まらないので、とりあえず今日は荒城の月を編曲していました。はるこうろうのはなのえんの「え」の音が半音上がっている異版があるのは知っていましたが、調べてみたらびっくり。滝さんの原曲のほうが、半音上がりだったんです。で、現在(多分)一般的に知られている半音上がりしない方の荒城の月は、山田耕筰さんの編曲なんだそうな。(なんでも当時の日本人には半音階的半音がなじまなかったそうで。)原曲の方を異版と思い込んでいたなんてあな恐ろしや。滝さん、すいません。で、問題になるのは著作権料。編曲として山田耕筰の名前を出してしまうと多分著作権料が発生。なのであくまでも僕の感覚に基づいて原曲を編曲した結果シャープが取れました。ってタテマエを取るんだろうなぁ。きっと。この曲は様々なアレンジが為されているだろうけど、山田耕筰のクレジットを見た覚えもないし、きっと誰もが同じタテマエでやってるんでしょう。あと12年経って、山田耕筰の著作権が切れたら状況が少し変わるのかもね。ちなみに、山田耕筰には「哀詩」というタイトルのピアノ曲があります。副題は─荒城の月を主題とせる更衣曲─となっていて、時代を感じさせます。並記してあるフランス語タイトルはPoeme Variation Melancolique(アクサン省略)変奏曲っていう訳語の前にははVariationのことを更衣曲と言ってたんですね。一人の人間がどんどん洋服を着替えていく(でも来ている人間の本質は変わらない)さまが見えるようで、味があります。もしかすると変奏曲というよりもわかりやすいかも。で、この曲の中身を見たらびっくりなんだな。いきなり驚くような和声進行で始まって、タダモノじゃなかったことをうかがわせます。その後に続く12の変奏もなかなかのもの。現在簡単に入手できるのかどうかわかりませんが、興味のある方は調べてみて下さい。

今日は浄書のお仕事。先月から、とある月刊誌の譜例を作るお仕事を頂いているのですが、それを作ってました。先月はいちおうベ−ト−ヴェン先生の楽譜を入力していたのですが、今月入力するのはあややこと松浦亜弥。(^▽^;)昨日まではブルーベックとかコルトレーンとかの採譜のお仕事をやっていたのでギャップがキツイっす。( ̄ー ̄;別にあややが嫌いなわけじゃないし、浄書ってのは中身にはタッチしないで依頼通りの楽譜をつくるのが仕事ですからね。不平不満はいけません。いけません、が、さすがにいい年してキーボードに向かって「胸がキュルルン♪」なんて入力していくのは恥ずかしい。(^_^;貴重なお仕事でした。

今日は面白い経験をしてきました。本郷にある東大に行って実験室で脳波の測定をしてきたんです。お題目は「音楽家が音楽をしている時の脳の状態を調べる」です。とはいえ、こういった研究はまだ始まったばかりの段階なので基礎的な実験を行っている段階。音楽家が音楽をしている時にはきっとかなり複雑な事を瞬間瞬間に感じたり考えたりしているのではないかと思うのですが、それらを全て解析できるようになるにはまだまだ時間がかかるんでしょう。多分。「どういうメロディーを名曲として聴いているか」なんてのがわかったら、今後(職業的に)便利になりそうだし、興味あるところです。(笑)ただ、一方で「どれだけ研究を重ねてもわからないところに感動があるから音楽には神秘がある」なんてことを信じてみたい気もするんですけどね。実験はかつてO真理教がつけていたヘッドギアみたいなやつを頭に付けて行われました。そこから照射されるレーザー光線の戻り具合で大脳皮質あたりの血流がわかるらしい。血が盛んに動いている辺りはその瞬間に働いている部位だ!って結論になるようです。(ちなみに照射されるレーザーは人体に害はないようです。)僕は髪の量が多くて毛もけっこう太いのでヘッドギアをつけるのにも苦労していましたが(こういう人はレーザーが届きにくくなるみたいです)なんとか装着完了。ヘッドギアを付けたら電子ピアノの前に座ります。電子ピアノの上にはモニタが置いてあってその画面に映る楽譜を見たり指示をうけたりしながら実験は進みます。実験は大きくわけて4パターン。1)楽譜を見せられて初見視奏2)流れてくる音を聴く3)親指を他の4指とランダムにくっつける運動。(指の体操みたいに)4)体を動かさずに楽譜を読む。多分脳波を音楽している時と区別するんでしょう。短い休憩を挟みながら、それぞれをごく短いスパン(15秒とか)で4、5回行います(毎回課題は違う)。4パターン全てが終わると長めの休憩をとってから、同様の実験をもう一度行いました。きっとこれはデータの平均化を測っているんでしょうね。実験素材は全部がJ.S.バッハ。パルティータやフランス組曲あたりから取り出されていました。いろいろな意図があってこれらの曲が選ばれたようですが、僕は緊張と実力のためにボロボロになりました。(T△T)初見ができるかどうかは実験の目的じゃなかったようなので支障はないんですが、でも、あまりに弾けなくて精神的なダメージが。そういうダメージも脳波に出てるのかな。(笑)計測が終わった後に「なんでバッハが素材なんですかぁ?」と質問をしたり、「バッハの位置づけってどんな感じですか?」なんて質問をされたりして実験は終わりました。実験結果はデータを解析しないとわからないそうですが、実験していた先生がひとこと「堀内さんの場合はとっても脳波がキレイです!」と言ってくれたのが印象に残りました。これは果たしてホメコトバなのかなぁ?(笑)作曲家はほぼ例外なく左脳型人間なんですって。そんな中、僕だけ右脳型人間、なんて結果が出ないように祈りつつ本郷をあとにしたのでした。結果が楽しみ。

« Older entries § Newer entries »