練習・演奏

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前の投稿でお知らせしていた安積道也合唱講習会が無事終了致しました。

参加して下さった皆さん、ありがとうございました。

運営的には、私の気づかなかった中にもいろいろ不手際な点もあったかと思います。今後改善していければと思いますので、忌憚のない意見をお聞かせ頂ければ幸いです。

また、今回キャパシティの関係で、あるいは日程の関係で参加できなかった方も多くいらっしゃるかと思います。2回目の開催を、との声も早速届いていますので、案内をご希望の方は、よろしければ私までメールをお送り下さい。開催が決まった際には要項発表と同時に案内メールを送らせて頂きたいと思います。

 

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今日は神戸愉樹美ヴィオラ.ダ.ガンバ合奏団の練習にお邪魔して、24日に演奏してもらう「亡き王女のためのパヴァーヌ」の編曲の確認。ヴィオラ・ダ・ガンバ用に楽譜を書いたのは全く初めてだったので、どうしても音の実感を掴んで書く事が出来ない。そこで実際に楽譜を音で確認する時間を作ってもらって編曲がどういう響きなのかを耳で確認したのです。彼女達は本当に練習熱心。この音をこう変えたら、このパートを入れ替えたら、といった提案に全て即座に応えてくれました。そうやって最善の響きを選んで変えていった楽譜は、作曲家の一般的な観点で言う「良いスコア」とは違う楽譜ができあがるんですね。「こんな書き方していいの???」と思うような書き方をした方が良い響きだったりして全く不可思議です。ヴィオール族とヴァイオリン族が似て非なるものだからなのかもしれません。何度繰り替えしても「見た目がヘンなスコア」を書く事に対する抵抗がなかなかぬぐい去れないのですが、当然音楽にとっては「良い楽譜」よりも「良い響き」が優先されるべきです。そのために実にたくさんトライ&チャレンジを繰り返してもらいました。こんなに丁寧に音だしして貰えたのは初めての経験かも。本当に幸せです。おかげさまで最後には、初稿より格段に響きの良い楽譜が出来上がりました。多少はガンバの響きの実際を学べたような気がします。これほど「群」としての響きが優先されるアンサンブルって他にあるのかなぁ。演奏がピタッとうまくはまった時の響きは、まさに天上の響きと言う感じ。24日(金)に御都合の良い方、ぜひこの響きを確かめに近江楽堂(オペラシティ内)までおいで下さい。「亡き人を偲ぶ」というタイトルで、19時から。

作曲している合間にちょっと一息、という時には、棚から適当に楽譜を引っ張りだして、開いたページの曲を弾いてみたりしている。今日は久々に思い立ってラヴェルのクープランの墓(ピアノ)を出してきた。昼間にヴィラ・ロボスのピアノパートを聴いて、クープランの墓のプレリュードのペダルのことを思い出したからだ。クープランの墓をちゃんと見直したのは2年ぶりくらいだろうか?前は覚えるくらいまで弾いていたけど、今見るととても新鮮に見える。と同時に、前は何にも聴かずに弾いていたんだなぁとも思う。歪められた和音で全部のピッチを聴き取ってはいなかったようで、あれ、こんな音前弾いていたっけ、と思うところもところどころあった。指は無意識にその音に行くからたしかにそう弾いていたはずなんだけどな。内声が耳に新しく聴こえてしまう。それから持続。前はいかに縦の和音の中でばかり音楽を聴いていたのか。こんな横のつながりが隠されていたのかぁと驚いてしまった。そういえばオーケストラ版ではそういうポイントを拾っていたなぁ。そういうラヴェルのワザの部分には驚きを新たにしたが、不思議なことに純粋に音楽的な感動を感じなかった。前はあんなにラヴェルが好きだったのにな。今はドビュッシーの音楽の方が肌に合っているようのかもしれない。

今日はあるピアノトリオに頼まれて東長崎でレッスン(もどき)。お題はヴィラ・ロボスのピアノ三重奏曲 第1番。少なくとも日本ではほとんど演奏されていないらしい。それを演奏するので見てほしいという事で行ってきました。と言っても、ヴィラ・ロボスの全貌については僕も全然詳しくない。思い出してもブラジル風バッハとショーロス、ピアノ協奏曲をそれぞれいくつか聴いた事がある程度。あ、赤ちゃんの家族は何故か国内版の楽譜も出ているから昔見たなぁ。…という程度なので、純粋に楽譜から読み取っていく以外のことはできないのだけど、この楽譜が実にミスの多い楽譜で「この音はフラットかナチュラルか?」という疑問多数。もう少し校正してから出版してほしいけど、細かい事にこだわるよりも次の曲、という感じの人だったのかなぁ。今日は時間がなくて1楽章だけしか聴けなかったけど、なかなか面白い曲です。5小節のごくごく短い序奏がついているんだけど、この5小節が(単なるユニゾンなのに)とても素晴らしいアイディア。こういう切り口で曲を始めることもできるんだなぁ。その後は高密度のテクスチュアあり、急にフランス風になったり古典派みたいな動機があったり、ピアソラばりのコーダがついてきたりと、盛りだくさんな内容。ちょっと盛り込み過ぎの感がないではないけど(だから演奏のまとめ方が難しい)、残りの楽章で消化されているのかな。どこも再利用できそうな魅力にあふれてます。切れば血が吹き出るような熱気。練習が終わったときには曲と演奏のおかげで却って元気になってました。あまり店頭で見かけないので、最後にヴィラ・ロボス情報。去年の10月に国内書で初めての?ヴィラ・ロボス本が出版されています。版元はトランスビュー。日本ヴィラ・ロボス協会というのもあるんですね。リンクが見つからないので、現在はホームページがないのかもしれない。残念

神戸愉樹美ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏団のホームページが最近できたのでお知らせ。現代モノのコンサートに行くと、この団体の新作初演コンサートのチラシが折り込まれたりしているので存在は何年か前から知っていました。手書きで味のある、中央線文化の香り漂うデザインに統一されたインパクトあるものなので、パッと見て「あ、いつもの団体だ!」とわかるように工夫されています。どなたが書いていらっしゃるのかな、チラシだけでも愛着を持てるなんて、他ではなかなか見かけません。コンサートに行けたのは今までで一度だけ。去年の11月。でも、その一回ですっかり魅了されました。クラシックの弦楽四重奏とは全然違う響き。明るくて伸びやかで、清らかな音。「物足りない」という種類のものではなく、全く違う表現領域を持ちうるだけの、別個の世界が確立できそうな魅力的な響きの合奏でした。そしてコンサート後に彼女たちのCD"Buffet delle Quattro Viole da Gamba"を購入。つまみ食いのようにいろんなスタイルの曲が楽しめて、ヴィオラ・ダ・ガンバの様々な魅力が垣間見えます。この中では佐藤容子さんという方(僕は全然存じ上げない名前だった)の曲が一番新鮮な発見。楽器や編成の魅力を自然に引き出していてとても心地よいです。こういう泰然自若とした曲を書ける人って男性作曲家では思いつかないなぁ。女性ならではの姿勢が反映されているような気がします。他の曲では、ルネサンスや古い時代のものが秀逸。このCD、これまでに結構な回数繰り返して聴いています。作曲の人向けにはヴィオラ・ダ・ガンバ 作曲家のための手引書という冊子がオススメ。具体的に楽器の奏法上の基本から可能性までが書かれています。通常の管弦楽法の書籍がカバーしていない楽器については、こういう「奏者の側からの手引き」というのはありがたい存在ですね。

過ぎた話ではあるけれど、9月5日、6日に行われた「はこね学生音楽祭」について、僕の中で大切な経験になりそうなので書き残してみる。この音楽祭が生まれたのは4年前。1位賞金100万円!という太っ腹な学生対象の音楽祭が生まれた事を、たしかどこかのホームページで知ったと思う。合唱をやっている大学生を対象にしたものだ。世の中にはお金があるんだなぁと思っていたところに、東大の合唱団で指揮を振っていた友人のY野君から声がかかった。「コンクールに出るから課題曲の箱根八里をアレンジして欲しい」と。そう、この音楽祭の最大の特徴は、課題曲が箱根八里であること、ただしアレンジは自由、というところにあった。編曲を試みたことのある人から身に染みてわかるだろうが、箱根八里はひたすらトニック。稀にドミナント。ほとんど和声的に変化しない旋律が、これでもか!とばかりに並列されているばかり。誤解を恐れずに書くなら、この曲が名曲だなんてとんでもない!駄曲だ。瀧廉太郎だって他にいい曲がたくさんある。これで、課題曲が例えば「荒城の月」であったり、「花」であったらこの音楽祭の実情も現在はもっと変わったものになっただろう。しかし、「はこね学生音楽祭」である以上、最大のご当地ソングである課題曲を変えるわけにはいかない事情もよくわかる。この辺の事情を知るためには、それぞれの曲の合唱出版譜を調べてみればわかるだろう。箱根八里は、僕の知る限り信長貴富氏によるアカペラ(女声、男声・混声)のアレンジと、林光氏によるピアノ伴奏アレンジの2種類しか出ていない。他に出ていたとしても、愛唱曲集の中に独創性のない、通常の和声付けの楽譜が混ざっている程度だろう。曲の知名度から考えてもあまりに選択肢が狭いのは、編曲の事情が絡んでいるとしか思えない。聴き映えするような編曲しにくいもん。僕も、当初はそんな印象しか持てなかったから、和声のソプラノ課題を解くが如くに向き合って、和声的な味付けを変える程度にしか工夫を凝らせずに編曲を終わった。この時点では、根本的な発想転換をして独創的なアレンジ、などとは考えられなかった。あとで報告を聞いたら、アレンジのパンチがイマイチ弱かったらしい。けど、箱根八里で原曲に忠実なアレンジやったってそもそもそんなもんだよ、と反発を感じた記憶がある。ピアノ伴奏ならね、まだ伴奏でごまかしていけるけど、アカペラだと通常の和声付けで発想している限り限界がある。結果は予選落ち。2年目にもう一度この音楽祭にチャレンジしたい、ということで「とにかく数多くの箱根八里に負けないインパクトのあるアレンジを」と、懲りずにY野君は再び委嘱をしてくれた。「そうは言ってもあんまり原曲から離れちゃ変だよ」という彼女の至極真っ当なアドバイスを半ば無視して、「箱根八里パラフレーズ」路線で再度編曲に挑戦。無駄に長いなら要らない部分を使わなければいい。あとは動機の展開のように楽想を展開すれば。そうやって殆ど新たに作曲したかのような箱根八里が生まれた。相当演奏の難しい(ように一見思える)楽譜だ。中には連続五度とかをふんだんに仕込んであるので、実際には、聞こえる派手さ程には難しくない。ただ、曲を充分に歌いこなすには至れなかったようで、この時も予選落ち。3度目の正直。今度こそ、ということでこの時から指揮を頼まれた。去年のアレンジで、より高い演奏水準で。ただ、基本的な指揮法を習ったとは言え、僕には殆ど指揮経験はない。見よう見まね。自由曲には派手さはないが着実な名曲を持ってきて、ひたすら純正調でハーモニーを作る練習。そして楽譜から自然な表現を引き出す練習。それなりに基礎作りの意味はあったろうか、東大生たちには本当の意味でハモるということの入り口は見せてあげられたかな。ただ、攻めていく派手さは作らなかったので、この年はようやく予選突破したところで結果が落ち着いた。この音楽祭のあとに、同じく瀧廉太郎の歌曲に、箱根八里と同じような発想で新たに息を吹き込んだ「瀧廉太郎の6つの歌」という編曲集が生まれた。鈴優会の委嘱だが、葉っぱ会の委嘱した箱根八里の存在抜きには語れない。そして今年。再び指揮の依頼。また僕に頼まれたということは、今度こそ1番を取らなければ意味がない。僕だって去年よりは指導経験も増えて、より的確な指導や練習ペースの配分を身につけている。自由曲の選曲を、「瀧廉太郎」一色で統一する事にした。ただし、勝ちに行くためにアクロバティックなアレンジを中心に。本選の最後に歌うために、毛色を変えたシェーファーのガムランも据える事にした。けっこう攻撃的な布陣。ところがふたをあけてみたら充分な練習回数が確保できない。効率優先で練習しないといけないため、無駄な繰り返し練習を最小限にとどめられるように、練習プラン、指示の共有を前提に置いて乗り越えた。時間がない時にでもある程度以上に仕上げてしまうのは東大生の持っている重要な武器と言える。結局時間が足りなくて、二日目に歌うガムランの仕上げ練習は初日の夜にはじめて行うと言う有様。だけど、それが功を奏して、本番に至るまでモチベーションを高め続けながら演奏する事が出来た。僕が去年より成長したのは、各部各部の表現を聞かせる事よりも、より全体の構造の中でベクトルを打ち出せるようになった事。これができると聞いている人に安定感をもたらす事が出来る。優れた指揮者というのは特にこういう部分が優れた人の事なのではないだろうか。今回は歌い手の成長もあって、いろんなことがうまくはまってめでたく100万円を手に出来た。1年目から依頼し続けてくれている東大の学生たちの4年にわたる成長あってのものだろう。学生の団体はどこでもそうだろうが、毎年顔ぶれが入れ替わる中で水準を保ち続けたり、上げて行くのはとても難しい。他の出場団体を見ていても、昨年からわずか1年で急成長を見せた横浜の大学生、京都の大学生がいるかと思えば、去年の輝きが嘘のように消え去っていた東京の大学生がいたりして、諸行無常、驕れるものは久しからずを目の当たりした。水準の維持・成長って本当に難しい。他の団体はさておき、4年かけて東大のみんなと一緒に成長して来れたことはとても嬉しいし、その結果が具体的な評価となって表れたということは、各人の誇りとしてこれからも生き続けるだろう。打ち上げの酒のおいしかった事。作曲のような個人作業をやっているとなかなかわからないものだが、仲間と成果を確認しあえる充実感はこれほどだったか。ひとつの曲に4年付き合うと言う、貴重な経験をさせてくれたメンバーたちと、はこね学生音楽祭に感謝!

午前中は「葉っぱ会」の練習@東大駒場キャンパス。ひととおり音とりが終わった状態だったので、練習では早速音楽の造型の彫り込みを始めたけれど、いかんせん欠席が多く成果は不十分。残りの練習時間も充分とは言えない状況なので本番までに無事に仕上げられるかちょっと心配。出席していた人たちには何の責任もないわけで、申し訳なく思う。

丸々一日外出。久しぶり。午前中に関わっている合唱団の練習@文京シビック。ダウランドのcome againほかを練習。小品ながらも奥行きが見えていい曲です。その後四谷区民ホールの創る会の演奏会へ。(招待券がまわってきたので。)ところがちょうど赤坂見附駅で火災発生だとかで、遠回りを余儀なくされてしまいました。1時間近くもかけてようやく新宿御苑に到着。創る会の演奏会は何年かぶりに聴いたけど、予想以上に面白かった。北爪作品(久しぶりに大学合唱団で理解度の高い演奏に出会いました。)や山本作品も面白く聴いたけれど、近藤作品が出色の面白さ。サッフォーと現在の違和感の無い同居が心地よかった。失礼ながら、臨時編成で、あまり能力の高くない合唱団だとは思うけど、それでも音楽が面白く聴けるのは、指揮者のなせるワザなんだろうな。いろいろと刺激を持ち帰りました。こういう活動に情熱を持つ人がいてくれるというのは大切なことです。コンサート後はペーパーアイテムを選ぶために表参道のwinged wheelへ。初めて行ってみたけど、思ったような商品が見つかって満足。サンプル用にたくさん買い込んできました。一部からバラ買いできるのが嬉しいところです。筆無精なくせに、いずれ専用のレターヘッドとか作ってみたくなるなぁ。このお店、行ってみたらなんとNADiffのごく近くではありませんか。嬉しくなって、NADiffにも何年かぶりに寄ってきました。以前はここで現代音楽のCDやら楽譜やら美術関連の本なんかを見つけて買っていたものです。懐かしい。思いっきりフォーレのレクイエムなんかが置いてあったのにはちょっと驚き。前は「ど」クラシックみたいなのは置いてなかったような気がするんだけどなぁ。方針変えたのかな。澁澤龍彦関連書が充実しているあたりは相変わらずだけど。ちょうどサマーセールだとかで、売れないCDを500円で売っていたので、その中からクセナキスのサックスカルテットだとか、アンサンブルモデルンが演奏したユン・イサンの作品集だとかを掘り出してきて購入。僕の運は殆どワゴンセールで使い果たしているのかもしれません。現代音楽のCDを買った時特有の期待感を胸に帰宅。さて買ったモノはアタリかハズレか。

今年最初の日記。年賀状が今年は遅れに遅れました。今日、やっと最終便を送ったところです。2日になってからようやく宛て名を書いているくらいなので、遅過ぎですねぇ。遅くついたみなさま、全く他意はないのでご了承ください。原因はといえば、年末から引きずった楽譜の仕事。おかげで大晦日も元旦もモニタを睨みながら音符を入力していました。合間にちょっとずつ作曲のメモをとったりもしていたけど。これほど正月気分と縁遠い気分で新年を迎えたのは初めてです。やっぱり年末までに一区切りつけないと、気分も切り替えにくいものなんですね。3 日にはピアノ伴奏の仕事をして、意気消沈。練習までは一度も間違えたことのないようなところを間違えたり、さんざんやらかしてきました。この本番に対する弱さは何なんでしょう。精神の弱さなのかな。演奏家の方々は、本番の緊張をいい方向に活かして、ステージ上でも普段通り、あるいは普段以上の演奏ができるんでしょうが、僕はそんなことができた試しがない。下手すると練習で初見で弾いた時の方が良かったりするかもしれないくらい。技術的な問題はもちろんのこと、この精神的な問題を克服できれば、もう少しナマミの音楽にも関れるだろうになぁと夢みます。「作曲家ってピアノとかすごい上手なんじゃないですか?」なんて、今までにもたくさん言われてきましたが、そのイメージは大きな間違いです。ピアノもできない人間は作曲家とは言えない、っていうなら、この言葉は真実なんでしょうけど。もちろん人並みに、あるいは人並み以上に相当素敵なピアノを弾く作曲家もたくさんいます。だけどその一方で、ピアノが得意ではない作曲家もいるわけです。結局は人それぞれ、ってことでしょう。勿論、弾ける弾けないは、その作曲家の作品や音楽観に大きく影響しているとは思います。はぁ、うまくなりたい。

白ばら会合唱団が定期演奏会(今年の12月8日です)で猫祭を取り上げてくださるとのことで、練習に行ってきました。本郷にある東大構内での練習。この合唱団は東京大学の学生とお茶の水女子大学の学生を中心に構成された、非常に歴史のある合唱団。現在の人数は7、80人と聞きましたが、多分今までで一番人数の多い猫祭になると思います。大体自作の練習に立ち会う時は、指揮者の方に練習を進めていただきながら横からコメントを挟んでいくかたちを取る事が多いのですが、今日は違いました。前半に普段通りの練習を見せていただいて、後半には完全に僕が前に立って振りながらいろいろ伝えていくというかたち。何しろいきなりだったので僕の指揮もかなりアヤシかったはずですが、合唱団のみなさんが集中力の高さでちゃんと合わせてくれました。大学の合唱団は良くも悪くも、長い練習期間の間に表現を体に染み込ませるように表現の純度を上げていく一方で、表現の自由度が狭まってしまう団体が多いような気がしますが、白ばら会の人たちはあまりそういう感じはなかったですね。何か言った時にパッと切り替えて新しい表情を見せてくれる。適応力があります。前半に見せていただいた練習でも基礎的なことに重点を置いていましたし、そのあたりが適応力につながっているのかもしれません。楽譜の意図を、音楽の呼吸という視点から少し話させてもらいましたが、きっと本番までにまだまだ変化してくれることでしょう。楽しみです。ところで練習後の会話で、お茶の水女子大が茗荷谷にあることを初めて知りました。上京してから8年間、お茶の水にある大学だと信じて疑わなかったのに・・・。いやぁ、驚いた驚いた。

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