安積道也合唱講習会終了

前の投稿でお知らせしていた安積道也合唱講習会が無事終了致しました。

参加して下さった皆さん、ありがとうございました。

運営的には、私の気づかなかった中にもいろいろ不手際な点もあったかと思います。今後改善していければと思いますので、忌憚のない意見をお聞かせ頂ければ幸いです。

また、今回キャパシティの関係で、あるいは日程の関係で参加できなかった方も多くいらっしゃるかと思います。2回目の開催を、との声も早速届いていますので、案内をご希望の方は、よろしければ私までメールをお送り下さい。開催が決まった際には要項発表と同時に案内メールを送らせて頂きたいと思います。

 

さて、音楽的な意味からは、安積さんの講習内容は私の期待通りの、あるいは期待以上のものでした。

合唱指導者や合唱団員がすぐに使える具体的なノウハウの数々はさすがに専門の合唱指揮者ならではのものだな、と思いましたし、楽譜にある情報を徹底的に読み抜いてあるべき表情を浮き上がらせる手法は、おこがましいけれども私がアンサンブル指導で行うのと同じ目線だ、やはり間違っていなかったと確認できました。それが個人的には嬉しい収穫。

今回は「ルネサンス(Byrd: Ave verum corpus)」「初期バロック(Schütz:Also hat Gott die Welt geliebt)」「ロマン派(Brahms:WaldesnachtそしておまけでDein Herzlein mild)」の3つの様式を選んで講習をお願いしました。これは私の(そしておそらくは安積さんも)強い実感によるものですが、日本では、まだまだ音楽を様式とかけ離れた受け止め方をする事が多いと思います。しかし本来、それぞれの時代、様式、もっと言えば作品個々のそれぞれの場面にとってふさわしい音色、演奏法、美学というものが存在しているのです(そして演奏側から見れば、会場、音響、編成、人数などにふさわしい演奏解釈というものもあるでしょう)。

ですが、日本では多様な音楽の在り様を「わかりやすく簡単に」するためなのか何なのか、楽典の基礎事項にはじまる音楽上のいろいろな出来事を、様式から独立した絶対的概念として教える、習う、語る機会がとても多いように感じるのです。

4分の4拍子の存在と理屈を知ることはもちろん大切ですが、同時に4分の4拍子や4分の3拍子とは全く違う拍子の概念の音楽が存在する事を知っていることは、同じように大切でしょう。ロマン派のある場面にとって最高の音色が、ルネサンスのある場面にとっては音楽をぶち壊す元凶となりうる可能性は視野に入っていた方が良いでしょうし、ピアノの魅力を最大限に引き出す奏法が、たとえばオルガンでも同じように使えるとは限りません。

そして「ピアノの魅力を最大限に引き出す奏法」は、ピアノだけしか知らない人よりも、オルガンを知り、チェンバロを知り、他の楽器や声をよく知っている人からの方が生まれやすいのではないかと思います。

 

「様式」というものは、単にその時代の慣習をよく知っているだけでは、おそらく把握しきれないのではないでしょうか。様式Aとは違う様式Bを知っているから、さらに様式Cも知っているから、はじめて様式Aが持つ独特の部分や、あるいは他の様式と共通している部分が見えてくるわけですよね。

そんな意味で、バロック作品を歌う時と邦人作品(←これもだいぶ乱暴な、しかも音楽内容と無関係なくくりです)を歌う時の準備―発声練習や予習方法が全く同じ、というのはおかしい「かもしれない」という疑問を持たないのは、よくよく考えてみれば不思議ではありませんか?

いまの日本人が演奏するのに、時代も国も文化も違うルネサンス音楽を、「難しい事は抜きにして感覚的にとりあえず」演奏してみて、ルネサンス音楽の「感覚」がわかるだろう、というのは、冷静に考えるとだいぶ乱暴な話のように思えませんか?無批判な自分の慣習の押し付けは、果たして「理解」につながるのでしょうか。

もちろん様式だからと言って「ルネサンス」の名のもとにオケゲムとパレストリーナを一括りにするのも乱暴です。「ベートーヴェン」だからと言って「第9」と「エリーゼのために」に同じ表情を与える事も。「なんでも様式で考える」事で「これはベートーヴェン後期の様式だから」と言って「様式」の名のもとに違う作品の違う表情まで同じように見る危険性だってあるでしょう。でもまず、「なんでもかんでも一緒くた」よりは「様式」。それは他文化を知ると同時に自文化を知ることにもつながるはずだから、という事で今回は「様式」を切り口として3つに分けました。

いずれは作品個々の、あるいは音楽の各々の場面に設定されたさまざまな違いに気づけるようになりたい/なって欲しいという気持ちはありますが、それは一般的な様式をきちっと把握して、さらに掘り下げていく段階での話。様式を知る前に取り組んでも、読み間違える危険性大。

 

そういう「様式」を切り口として安積さんに講習していただきましたが、個人的にとても嬉しかったのが、安積さんが技術的ノウハウ以外の「枝葉」の話を殆どしなかったこと。幹や根っこのような、原則的な話に終始していた事です。葉っぱをいくら精密にコピーしても、根っこがなければつながりが作れませんが、根っこをしっかりと張れば、その木と地にふさわしい葉っぱや実が出てきますから。「音楽を自分で考えられる」力を育むという事でもあると思います。

それぞれの場面で、それぞれの人達が、それぞれの音楽にふさわしいことをやる。

そうした音楽づくりのために必要なヒントが(言葉でも、言外の身体動作の中にも)たくさん満ちていた講習会でした。


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