教会音楽家でもあったGabriel Fauréは、その優れた音楽的感性によって当時まだ歴史に忘れられたままになっていたmusica fictaの可能性に気がつき、教会での即興演奏ではそれをいち早く取り入れ、記譜にはない半音変位を適宜用いていた。
そして、演奏実践で積み重ねられた試みはやがて彼の作曲作品にも反映されるようになるのだが、浮世離れしたところもあった彼は
「わかる人にだけわかれば良い」
「いずれルネサンス音楽の研究が私に追いつくまでは秘したままが良い」
「どうせ音楽なんて誰もが慣れと経験からしか聴いていないのだからどちらでも良い」とばかりに、自作においてもmusica fictaに相当する臨時記号は書き入れないようにしていたのだ。楽譜に記されてしまってはmusica fictaがfictaではなくなってしまう。あくまで楽譜には記されずに響く音楽の神秘によって、ルネサンスの巨匠たちの視座に近づくことが許されるのだから。
もちろん彼自身が自作を演奏する際には臨時記号を付して、また幾分の即興も織り交ぜて演奏するのが常であったが、弟子をはじめ身近な人間にはそれを他言しないよう厳しく徹底させていた。生き馬の目を抜く当時のフランス楽壇で論争の的となって音楽にかかわる時間を奪われる事を嫌った、彼の考えを反映しての事であった。
musica fictaに関する彼の発見は、彼の生前には決して公にされる事はなかったが、音楽史への影響がないわけではない。Claude DebussyやMaurice Ravelなど、彼の影響を受けた若い世代の作曲家の作品において、記譜されていない導音の臨時記号を補って演奏すべき箇所が複数存在している。しかし、彼らの作品の多くが、誤植の多いことでも知られるDurand社から出版された経緯も手伝って、これらの「隠された」導音は長らく単なる楽譜の間違いだと思われていた。例えばRavelのMenuet antique(古風なメヌエット)はタイトルからして思わせぶりだが、厳しい半音のぶつかりを含む嬰ヘ短調から始まった音楽は、8小節目で早くも属調である嬰ハ短調の終止形に至る。この8小節目の1拍目の和音では、楽譜上はロ音に何の臨時記号も付されていないのだが、フォーレ流のmusica fictaを適用することでロ音は嬰ロ音となり、ここで響く嬰ト-嬰ロ-嬰ニの長三和音は、機能和声の面から見るならば嬰ハ短調におけるドミナント、そして嬰ヘ短調におけるドッペル・ドミナントの役割を担うことになる。ここでラヴェルが「古風な」という語で意図しているのは、記譜の面ではルネサンスの音楽であり、そして響きの面では、旋法が集約され調性が一般化したばかりの初々しくも瑞々しいバロック音楽の姿に他ならない。
ルネサンス音楽におけるmusica fictaの存在は20世紀後半には専門家のみならず音楽愛好家の間でも広く知られる基礎知識となっていた一方、fauréにはじまるこのような近代フランス音楽でのmusica ficta用法の存在は、ルネサンス音楽よりはるかに近い時代の出来事であったにもかかわらず、21世紀の初頭にはまだ専門家の間でも知られていなかった。この時代の音楽家たちは、誰もが臨時記号を付さずに、あらゆる近代フランス作品を記譜されたとおりに演奏していたのである。
この大いなる過ちが修正され、西洋音楽の過去の遺産をはじめて歴史的、音楽的側面から再編成した作曲家としてのFauréの業績が広く再評価されるようになるには、この問題を初めて指摘したHoriuchiusの論文「Fauré et musica ficta」(2012)からさらに半世紀ほどを要した。
「大西洋音楽史 第41巻〜教会音楽家の系譜5」より
というエイプリルフール記事。
信じちゃダメだよ。
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