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ワケあって金沢に帰省中。東京から夜行バスに乗って、今朝6時前に金沢に着きました。久しぶりに見た金沢駅はガラス張りのモダンな天井なんか備えちゃって、驚きました。変貌しているんだねぇ。ただし、県立音楽堂は今回の1週間の帰省中には主だった催しがないみたい。ホールの響きを聴いてみたかったのに、残念な事です。仕事と関係ない休養の為の帰省なので、初日はブラブラゆったり過ごしてました。が、地元の新聞を見て小躍り。なんと東京で見逃していた映画を今まさに金沢で上映しているじゃありませんか!金沢にもミニシアター系の映画館があったなんて!というわけで、金沢香林坊109内にあるシネモンドに行って、10 MINUTES OLDERを見て来ました。今日見たのは「イデアの森」の方。面白かったです。見れて良かった。これは、10分の枠の中で各監督が撮った短編をオムニバスにして並べた映画。単にオムニバスと言う以上に、10分という言葉や作品の主題が関連してくるような仕掛け。5話目の「ジャン=リュック=ナンシーの対話」だけは正直なところどうでも良くてつまらなかったけれど(オチまで来れば一応映画づくりとしての技術は納得出来る)他のはどれも良かったな。2話目の「時代×4」なんて映像手法として興味深かったし(戦争の辛さを何故か伝えられるのが不思議)、4話目の「10分後」も面白かった。そうか、10分で人生はかくも大きく動くのか、って。10分経ってみてから意図が見えて来るのが良かったなぁ。まさか金沢で見逃したミニシアター系を見られるとは思わなかった。今日はラッキーだ。もう片方の「人生のメビウス」を明日は見れるかな。時間の都合がつけば是非見てみたい。学生1300円で見られるのも魅力です。ミニシアター万歳。

生きてるの?とかいろいろ聞かれました。あまり元気とは言えませんでしたが、生きていました。運勢的には今年は天中殺(?)だとかで、非常にめぐりの悪い年になるそうなのですが・・・。2月以来、ずっと首の問題が続いていました。とりあえず生活を送れるほどには治って(慣れて、とも言う)いたものの、ずっとゴリゴリと残る首の違和感。ところが今日、クチコミで教えて頂いた下石神井の「西武治療室」というところに言ってみたら嘘のように治ってしまいました。今までの治療は何だったのだろう。先生が、僕を見るなり一言「左右のバランスが崩れてるねぇ。」と言ってから説明をはじめました。(ここまでは他の整体などでも言われましたが)「体ってのは右と左が対象にあるものなんだから、右が100としたら左がいくつ必要だと思う?」「100」「そう、でも君は右が100なのに左が50もない状態になってるよ」というわけで、上から押さえ付けられた手を上に持ち上げたり、親指と小指で作った輪っかをはずしてみたり、といった実験をやってみると、たしかにおかしいくらい左側に力が入らない。今まで気付きもしなかったけど。右利きだから、とかいうのをはるかに超えてアンバランス。それが、背中や腰、首など何ケ所かを(痛みもなく)触られたあとには正常に戻ってるんだから、驚きました。「これで治療終わり?」って感じで、10分もかかってなかったんじゃないかなぁ。たしかに体の中のズレなんてのはほんの数ミリの違いで起こったりするんだろうけど。明日起きてみないと、継続的に回復したのかどうかはわからないけど、何カ月もの体調不良(とそれからくる精神的な不振)が一気に解決した気分です。カイロプラクティックも、施術の技量によって全然結果が違うんですね。いい所を見つけました。

とりあえず今回の危機は脱したけれど、(とは言え、まだ作業は残っている)今回のこの異常な作曲スランプをキチンと考えて、乗り越えないといけない。そのために少し書いてみます。まず、症状は「とにもかくにも音符が出て来ない」「出てきた音符のどれもが正しくない気がする」など。2月あたりから、一日中、8時間以上も五線やピアノの前に座っていて、何も出て来ない日が続きました。いい曲が書けない、ならまだしも、とにかく何も出て来ないのはキツかった。元来遅筆だけれど、かつてここまで浮ばなかった事はなかったなぁ。しまいには絞っても絞ってもネタが出ない状態に疲れ果てて精神的にも追い込まれてきました。(締切もとうの昔に過ぎてしまったし)かつて曲がうまく出来なかった時は、あくまで前向きに対処することしか考えられなかったのに、今回は頭の片隅に「逃げたい」というイメージがどうしても浮んでしまった。ただ、作曲意欲が減退したわけでもなく、モチベーションはちゃんと保たれていた。一方で、「曲を完成させる事への恐怖感」がどこかにあったような気がする。音符を確定したくない気持ち。一音書く度に曲が決められていく恐怖。曲に対する潜在的な不満があったから?新鮮に音楽に感動できる心理的状況を準備できていなかったこともあるかな。思えば、しばらくの間音楽で感動していない気がする。古典の名作にもしばらく触れていない。「僕はいい曲を書ける」という、いい意味での勘違い、イメージトレーニングをしていけるように、また1からやり直そう。そして、すこし客観的に自分の作品を捉え直してみよう。しばらくは、自分の考え、感情を整理して行く必要があるとおもう。なのでこういうメモのような記事が続きそうです。

ドビュッシーの子供の領分と言えば、もちろんピアノ曲ですが、この曲にはカプレの手によるオーケストラ編曲版があります。(カプレと言えば聖セバスティアンの殉教の補筆も行ってますね。)CDでは時々見かけてますが、amazonでスコアを取り扱っているのを偶然見かけました。2000円でお釣りがきます。こりゃ(多分)安いですね。Children’s Corner – Orchestra Versionというわけで取り寄せた楽譜が本日到着。デュランで出ていたものの版権切れコピー楽譜でした。でも読むには遜色ありません。

ここ数日、オタマジャクシを書いていてもちょっと違和感があります。メロディってどうやって作るんだっけ?とか、詩に音をのせるってどうやればいいんだっけ?とか、そういうことが飽和状態になったような感じ。書けども書けども何か違う、こうじゃないような気がする、という感覚から離れられない。結果、一日頑張って書いてもほんのちょっとしか進めなかったりする。こういう時には技術でなんとかするもの!って気もするけど、それだけでもないだろうしなぁ。いったい何が起こってしまったんだろうか。はやく抜けだしたい。お待たせしている皆様、すいません。

今度6月にあるアルディッティSQの演奏会@トッパンホールのチケットを買ってあるのだけど、今日になってホール側から電話がありました。曰く「テレビ収録が入る事になりました、つきましてはカメラの位置が現在のお客さまの席に予定されていますので、恐れ入りますが座席の変更をお願いしてもよろしいでしょうか」だって。2列前に移動となりました。録画が入るかどうかなんて、もっと前に決まっているのかと思いきや、意外とゆっくり決まるものなんですね。チケットの売れ行きを見て最終決断してるんだろうか。あんまりガラガラのコンサートを放送しても寂しい視聴率になりそうだしね。ちなみに、買ったチケットは学生券。座席配分って、こんな所にも影響あるんだなぁと思った次第。

最近文字書き作業の時のBGMとして、ベートーヴェンの交響曲を聴きなおしてます。ケーゲル/ドレスデンフィルの全集。今日は5番、4番と9番。いやぁ、久しぶりに聞くと目から(耳から?)ウロコ。ああ、こんなにすごい工夫が凝らされていたかぁと思う事しきり。学部生の時には聴いていてもその凄さには全く気付かなかったよなぁ。ヘンなところを見ちゃってたんだな。今でも楽譜片手に見てしまったら、きっと変な耳フィルターがかかるでしょう。今日みたいに耳からの情報だけで音楽を体験していくと素直に聴こえたものだけに反応するから、頭や目では見えないものがわかるんだろうな。今回は楽想の連結やら音色への工夫にすさまじい執念を感じました。それらが小細工でないのがすごいねぇ。自分の書いてる音符のスケールの小ささを思うと落ち込みます。はぁ。時代が違うとは言え、その精神は充分に学び取りたいなぁ。

合唱作品で有名な作曲家Sさんの女声合唱の作品を浄書。今日(9日)が初稿の仕上げ約束だったのにかなり手間取ったので徹夜仕事になってしまった。楽譜が結構細かく書き込まれていること+拍子記号の書き方が特殊なので作業の手間がかかるんだよね。なんとか夕方には仕上げて納品してきました。これから校正を経て修正、仕上げ、最終稿納品という流れになっていきます。僕くらいの作曲だけじゃあとても食べてなんていけないから、こういう楽譜まわりの仕事で副収入を得つつ生活してます。浄書の方が確実な評価を得られていたりして、笑うに笑えない状況になりつつあったりもするんだな。作曲でもっと評価されなきゃなぁ。納品のついでに、この間浄書したフルート曲(別の作曲家Sさんの作品)の見本も頂いてきました。もうじき店頭に並ぶでしょう。こうして自分が関わったモノが、(他人の作品であれ)カタチになって出来上がるのはやっぱり嬉しいものです。僕の見入りには全く関係ないけど、良い曲なので、売れてくれるといいなぁ。

「アメリカインディアンの3つの詩」というタイトルはどうもマスコミ的にはヤバイ(インディアンが差別用語と取られかねないらしい)ということが判明してからは「アメリカ先住民の3つの詩(仮)」として作曲作業をしてきたけど、このタイトルじゃ、どう考えてみても詩的魅力に乏しい。「インディアン」という単語で多くの日本人の脳裡にワッと広がるイメージが、「アメリカ先住民」という単語には無いから。そこで何か良いタイトルは無いか〜とずっと考えていて、最近やっと一つのアイディアが出てきました。ある絵本のタイトルから拝借してメインタイトルを「おれは歌だ おれはここを歩く」としましょう。でもこれだけじゃいったい何の曲かわからないのでサブタイトルとして「〜アメリカ先住民の3つの詩〜」としようと。これである程度の詩的な魅力と現実的な対応の両方を実現出来るんじゃないかな。これからまわりの人に相談して、反応が良ければ正式タイトルとして決定します。

『アメリカ先住民の3つの詩』の作曲。3曲ワンセットを考えているのだけれど、冒頭をどのように始めようか迷う。2曲目、3曲目のプランや、いくつかの山場のアイディアは見えているんだけど、それに見合う1曲目をどのようにまとめようか。ああでもないこうでもないと思い付いたものをスケッチしまくった一日。コレ!というネタが出てきたら書き進めたいんだけどね。どうもインパクトに欠けるネタしか出てこないんだなぁ。はやくとりまとめて楽譜を渡してしまいたいのだけれど。もう少し我慢。全音楽譜出版社のホームページが、年明け頃からずっと緊急メンテナンスになっていて見れなかったので心配していました。この御時世、楽譜出版社が順風満帆なんて話はまず聞かないし、(僕が確認しているだけで)一カ月以上もホームページが停止状態だなんて、もしや一大事でもあったのかと思ったんですが、さっき見たら復活してました。一安心。無事に復活したってことは純粋に技術的な問題だけだったんですね、多分。(そう信じたい。)新刊予定のところをみたら、2月の出版予定に三善晃「響紋」のピアノリダクションなんてのが載ってました。3月の再演に合わせた出版なんでしょうね。このタイミングだと、最低でも児童合唱団の人数分は売れるし(もちろんお客さんの中にも興味を持って買う人がいるだろうし)、うまくすれば練習中に見つかったミスも原稿に反映出来るわけで、こういう部分は全音さん、実にうまいです。商売なんだからタイミングを見計らうのは大切でしょう。手書きではなくて浄書譜での出版だったら、既に出版されている原曲オーケストラ版の印刷の薄さに苦労した人たち(僕含む)にとっても朗報と言えます。このまま勢いに乗って、さらに印刷が見にくいレクイエムとかもリダクションを出してくれないかなぁ?ビジネス的にリスキーなのは重々承知だけど、ついでにここ数年の、一連の管弦楽作品のスコアも出して欲しいなぁ。出たら買うのに。

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