マルティヌーとクルターク、そしてベルリオーズ

今日は久しぶりにオーケストラのコンサート。新日フィルの定期演奏会に行ってきました。気がつけばサントリーホールに行くのも久しぶり。半年ぶりくらいかなぁ。今年はサントリーサマーフェスティバルもなんだかんだで行きそびれたので、本当にひさしぶりの溜池山王下車でした。で、新日フィルのコンサートに足を運んだ理由はプログラム。マルティヌーの交響曲6番と、クルタークのQuasi una fantasia、それからベルリオーズの幻想交響曲というプログラムだったからです。みなさん御想像のとおり、僕の目的としては1番)クルターク2番)マルティヌー3番)ベルリオーズという感じで足を運んだわけですが、聴いたあとの印象は1)ベルリオーズ、2)クルターク、3)マルティヌーという感じかなぁ。どれももちろん面白いには面白いんだけど、クルタークはその特徴である静謐な音響が他の作品(例えばミクロコスモス、古の幼子の声など)ほどに際立っていない事や、作品自体の規模の小ささ(おそらく、時間経験としてかなり長い間聴感覚を惹き付けないとクルタークの魅力は発揮されない)などに理由があってどこか入り込めない要素があったんでしょう。ただ、実際の演奏でクルタークに接したのは初めてなので収穫は多かったです。マルティヌーは面白いし、精神分裂みたいな楽想の展開がどうも普遍的ではないような気がします。個々の発想や音響としてはとても面白いし、興味深いんだけど。時間感覚が何か違うなぁ。きっと、この時間感覚がちょうどハマる人にはとても面白いんだろうけど、少数派じゃないかな。いや、もちろんそれでも面白かったですよ。東欧の作曲家独特の節回しは、個人的には大好きなんです。ベルリオーズはもちろん時代様式的に一番古いです。が、様式の中での語法の熟練度はやっぱり抜きん出ているし、(当時における)実験的な試みもたくさん。おまけにキャッチーな音響にも溢れています。やはり名曲と呼ばれるだけの理由はあるのかな。生で聴いてみると意外な程に面白かった。語法や技法を越えたところにある魅力の秘密を、もしかするとこの曲から見つけられるかもしれない。自分で良い曲を目指すのも大切だけれど、やっぱり過去の名品への適切なリサーチも必要です(きっと)。そんな意味で収穫の多いコンサートでした。もちろん、エラソウなこと言う前に自分の曲で示せ、ってのは当然ですね。頑張らねばいけません。ベルリオーズだったら来年(27歳)に幻想交響曲を書いてるわけですからねぇ。


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