書籍・雑誌

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フルートアンサンブル・トリプティークのCDクラシック・ニュースで紹介されました。

この一枚のCDで感じるものがあった。知名度が高いというわけ でないが心から気持ちを寄せあえる仲間と音楽を創る喜びに浸る 事が出来る。何という幸せだろうか! また堀悦子で見せた「今」の音楽に対する姿勢も大切である。よきパートナーに恵まれて、地味ながら長続きする活動こそ、いまもっとも求められるのではないだろうか、考えさせられた

これはアンサンブル活動する人たちに対する最大級の賛辞ではないでしょうか?

自分の関わったCDですので、こうしたレビューが出てくる事はとても嬉しいです。

http://classicnews.jp/c-news/index.html#2

12月20日発売の「音楽の友」1月号の見本誌を拝受。後ろ側2ページのスクランブルショットというコーナーに「ヨーロッパで高まる音楽家の耳への健康意識」というタイトルで記事を書かせて頂きました(見出しは編集者さんによるもの)。500字の小さな枠ですが、見過されがちな大切な話題の提供になればと願います。

音楽家の中には聴覚の健康を害して悩みを抱える人もいますが(例えばヴァイオリニストは左耳が聞こえにくくなる、フルーティストは右耳が聞こえにくくなる、といった問題)、奏者個人には深刻な悩みであっても、それが社会や共同体の中で広くは認識されてはいないのが現状だと思います。楽器にもよりますが、音楽家の耳は酷使されていることも多く、ケアを心がけることがとても大切です。それを心理的にもサポートする環境づくりも大切。記事が、この現状を変える小さな小さなきっかけになると嬉しいです。

僕個人の音楽作業といえば楽譜にカリカリ書いているだけなので、耳の悩みよりも腰痛や腱鞘炎を気にした方が良いような立場なのですが、フライブルク音大で学んでいた時にたまたま音楽家医療の授業でこうした問題に出会いました。ベルリン・フィルなどとも協力して実地の調査を行い、Gehörschütz im Orchester(オーケストラでの聴覚保護)という本を書いたような専門の先生に習ったのですが、音楽家があまりに無防備に自らやアンサンブルの音にさらされている現状に気づいてすらいなかったのは衝撃的でしたよ。スポーツ選手が自分の体をケアしながら選手生命を保つのと同様に、ごく当たり前の基本でなくてはいけないような基本的な事柄、それが音楽家の側に無かった事が。

問題は多岐にわたるのですが、さしあたり今回の記事は「音楽家用の耳栓がある」事に的を絞りました。記事で紹介した音楽家用の耳栓の会社Elacin社のサイトはこちら、Jrenum社のサイトはこちらです。こういう取り組みの実例を知っておくことも大切でしょう。

文字数が限られていたので「じゃあ具体的に私の楽器ではどのくらいが耳のための安全線なの?」というあたりには触れられませんでした。気になるところだと思いますので、雑誌の次号が出た頃にでも具体的な値についてまとめたいと思います。

先日出版されたメンデルスゾーン作曲の「吹奏楽のための序曲」に続いて、僕が解説を担当したリムスキー=コルサコフ作曲「クラリネットと吹奏楽のためのコンツェルトシュトゥック」のミニチュアスコアが日本楽譜出版社から出版されました。パチパチパチ。

吹奏楽をやっていない人にはあまり知られていない事実かもしれませんが、リムスキー=コルサコフは海軍の軍楽隊を指導していた時期もあり、オリジナルの吹奏楽を3曲書き残しています。いずれも独奏楽器+吹奏楽という編成ですが、この「コンツェルトシュトゥック」はその中の一つというわけです。

「リムスキー=コルサコフ」と言えば今日でも繰り返し演奏されている人気曲も多く、立ち位置としては「大作曲家」と呼んでも差し支えない存在だと思いますが、今回この解説原稿を書くにあたって日本の現役出版物を見回してみると、意外とリムスキー=コルサコフの全体像や音楽史との関係を俯瞰しやすい手頃な書籍がない事に気づきました。

このあたりの事情は、先に書いたメンデルスゾーンの時も同じでしたが、リムスキー=コルサコフの場合には「ロシア音楽」という要素がいっそう事情を悪くしています。

なので、この解説はまず「そもそもロシア音楽って」という話から始まって、その中に生まれたリムスキー=コルサコフの立ち位置や創作の全体像が読めるような内容にまとめてみました。

単に曲の解説というだけのものよりは、「ロシア音楽とリムスキー=コルサコフ」というものをいろいろな要素と紐付しながら把握していけるような、そういう解説を目指したつもりです。

もちろん音楽の内容についても詳細に触れています。音符の並べ方の話はもちろん、管楽器なので、楽器の事情にもいろいろと言及。現代とは大違いなので、中高生の吹奏楽っ子が興味を持った時に誘導できるようにしておかないと。

上述のように日本語の資料が非常に乏しいのですが、さすがに原稿のためにロシア語を始めるまでの余裕は無かったので、英語とドイツ語の資料を駆使して書いています。ところで、リムスキー=コルサコフが自伝を書いていたのはご存知でしたか?

かつて邦訳も出てはいたのですが、この時にはまだ原本のロシア語も完全版が出版されていなかったので、日本語版はごく一部の抄訳のみ。大事な部分が隠されています。

これを読むと彼の視点を通してロシア五人組をはじめとする当時の周辺事情が実によく分かる!彼の几帳面な性格と客観的な観察態度もよくわかります。この自伝の成立事情についても解説の中で言及しましたが、しっかり研究するとだいぶ面白い論文が書けるのではないかと思います。

写真は、なんとか中古で取り寄せることに成功したドイツ語版。ボロボロでページが焼き芋の皮のように剥がれ落ちそうなのをなんとか読みました。

他にお世話になった資料で面白いものといえば、一冊まるごとバセットホルンの本でしょうか。どこの工房で何年に作られた楽器のキーはいくつあって内径は何センチでなんて情報や、バセットホルンのために作曲された作品の膨大な目録があったりと、バセットホルン愛好家には垂涎の的であろう一冊。こんな本が世の中に存在するんだなぁ。もっとも、ヴァイオリンやフルート、ピアノだったらこの種の本は情報量が多すぎて逆に作れない。

別にバセット・クラリネット愛好家でない僕は、おそらくこの解説を書く機会がなければこの本に出会うことは無かったでしょう。それもこれも見慣れぬ楽器を指定しているリムスキー=コルサコフのせいです。

あ、そうそう。リムスキー=コルサコフって名前になぜ「=」が入ってくるのかは知っていますか?英語で書くときもハイフンは欠かせません。Rimsky-Korsakovです。それからロシアの名前は〜ヴィッチで終わるものも多いですよね。ロシア文化に馴染んでいないとなかなかわかりにくい「名前のルール」も紹介しています。読めば飲み会のネタになるかもしれません。

 

小ネタのことはさておき、全体としては音楽全体を骨太に汲み取って頂ける解説になったのではないかと思います。吹奏楽人も、そうでない方も、是非お買い求め下さい。英訳付きです。

合唱表現の第30号が発売されました。
拙作の「おしえて下さい」から第5曲「すじ雲」が掲載されています。1曲目の「一本のすじ雲」に見える動機が変形して現れて、この曲以降組曲はよりドラマティックに進行して8曲目の終曲「おしえて下さい」へと続いていきます。

従って連載もこれから佳境、というところだったのですが、残念なお知らせが。

季刊の雑誌として8年にわたって精力的に情報を発信してきた「合唱表現」誌は、この第30号をもって休刊する事となりました。近い将来の再始動を願っていますが、それまでの間は拙作の残り3作を読者の皆さんにお届けすることができません。
特にこの組曲は連載時の解説でも触れていたように、「まず終曲ありき」で終曲に音楽の中心があって、他の曲は終曲の要素をスピンオフさせる事で作曲したものです。ですから、このまま一番魅力的(だと作曲者が思っている)部分を知られずに終わってしまうのは残念。

と言うことで、いずれ別の発表の場を得られるまでの間、ご希望の方には直接楽譜をお届けしたいと思います。ご希望の方は、「おしえて下さい」の楽譜希望と件名に記して、私までメールをお送りください。

怪獣の名はなぜガギグゲゴなのかタイトルだけ見ると何の本かわからないけれど、クオリアの視点から言葉のサブリミナルインプレッションを探る本。と言っても何の事かわからない。例えばママ、マリア、マンマという単語に共通のイメージは、生きるために根源的に必要なもの、絶対的安心感を与える存在。そして共通しているMの子音は赤ちゃんが最初に獲得する子音で、Aの母音は最も開放的な母音。だから体を通じて発せられる響きが単語の意味実態と結びつく、といった話がいろいろ載っている。僕が考えている「身体」という問題とも絡んでくる。どうやら商品のネーミングヒントを求めている企業人を主な対象に捉えて書かれているみたいだが、僕の場合には声楽関係の作曲の時や現場の指導の時に方法論として有効な引き出しをたくさん作らせてもらえた。声を扱う人、声で何か表現をする人全般にとってヒントになりうる事がたくさん書かれているので色々な人にお勧め。ただ、直接的にそのまま何か使えると言うというわけではないので、何か別の知識や経験と結びつける必要がありそう。「優れたピアニストはタッチの具合によって半音程度までは調律のズレを調整できる」といった誤解に基づいた記述もいくつか含まれているので、部分的には話を差し引いて読む必要があるのが難点。論文としても論理に難ありといった感じ。あくまで「ヒントを見つけられるかも知れない」本という位置づけだと思う。でも他でなかなか見ない視点は魅力。怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか

「お耳ざわりですか -あるある伴奏者の回想 」に続いて「伴奏者の発言」を読了。前者よりも後者の方が実質的/技術的な部分に凝縮されている感じ。前者は当時の状況や、演奏家の素顔が見えてくる楽しさはあるけれど、後者にはそれがなくてその分、具体的なアドヴァイスがたくさんある。前者では幾分くどくも感じられた英国流?のジョークや皮肉が、後者では随分減っているのでその読みやすさも手伝っている。どちらの本もヘルムート・ドイチュさんの「伴奏の芸術」と併せて読んでおくと良い本だと思います。ピアニストは勿論として、声楽家や他の楽器奏者にとってはリハーサル時のピアニストに対するコミニュケーションを効率よくする効果があるんじゃないかな。またムーアの2冊は、音楽愛好家にとっても、「うまい伴奏」を出来る人とそうでない人の違いがどこにあるか聴き分け、また上手い人の上手い秘密をより深く味わうための良い指標となりそう。その点でドイチュさんのは内容が専門的に特化しているかもしれない。こうやって本を読むと当然のように聴きたくなるムーアさんの演奏。彼の場合ははっきりとコンサートキャリアを区切ったので「引退コンサート」のCDが出ています。http://www.hmv.co.jp/Product/detail.asp?sku=2204522枚組の前半がそのコンサート(Homage to Gerald Moore)。後半がスタジオ録音によるアンソロジー(Tribute to Gerald Moore)。ただし前半のコンサートの中にもうまくスタジオ録音を混ぜてあります。一聴するだけだと、本を読んで期待が高まっていた分(そして僕が最近の演奏水準により親しんでいる分)、残念な気持ちが芽生えます。でも、聴き慣れてくるとこういう演奏スタイルの良さが見えてくる。たしかにムーアは上手い。今日的な演奏傾向からすると主張が足りないきらいもあるけど、骨格として押さえるところは押さえてあるし、表情も豊か。ヘビーローテーションにはならないかもしれないけれど、時々聴いて自分の座標軸を確認したくなるようなCD。

古本で入手したジェラルド・ムーアの「お耳ざわりですか」読了。今では「アンサンブル・ピアニスト」という呼称も確立されつつあるけれど、ムーアの活躍した時代は未だ「伴奏者」が「ソリスト」よりも一段も二段も低く扱われていた時代。書名はマトモな音量で伴奏すると「ソリストを聴きたいのにピアノが五月蝿い」と言われた風潮に由来している。基本的にはこの問題と格闘してきたムーアの不平不満がつらつらと書かれているのだけど(笑)、共演者の名歌手・名奏者の人と音楽性が見えるような回想部分は、古い録音を聴き直してみたくなる。エリザーベト・シューマンとか、先日亡くなったシュヴァルツコップとかがとりわけチャーミングに描かれているなあ。ディースカウの卓越した音楽性・人間性にも改めて心惹かれる。「時代の記録」を越えて音楽的に面白いのは26章「私の仕事」。他人にとっては初見で演奏できる程度の曲であるシューベルトの「さすらい人の夜の歌(旅人の夜の歌)」の、非常にシンプルな音をどうやって練習して一つ一つの音の理想的なポジションを定位していくのかを細かく記述。人によっては、たった1ページの曲に対してここまでこだわるんだ!という驚きを感じるだろうし、「そうそう、そこまでやらないといい演奏にならないよね」と感じる人もいるだろう。いずれにしてもこの本の276・277ページは宝のような2ページ。こういう本を読むと、ジェラルド・ムーアその人についても改めて感心を持つわけですが、ステージ引退の公演ライブ録音が出ているようです。最後にステージで弾いたのは、ムーア自身の編曲によるシューベルトの「音楽に寄す」ピアノソロ版。http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=220452「伴奏」に心血を注いできたピアニストの最後のステージ演奏が、最初で最後のソロ演奏だなんて、なんて素敵なエピソードなんだろう。

音楽之友社から新刊で出たベルリオーズの管弦楽法を早速購入。現代のオーケストラで使われる楽器がまさに生まれつつ/生まれ変わりつつあった時代の視点がふんだんに盛り込まれた管弦楽法。例えば管楽器の運指表などが含まれていないし、現在とは事情が異なる楽器事情が散見されるが、それでもそれぞれの楽器本来の姿と、それらが集合したオーケストラという有機的な存在がどのように発展成立してきたかが、時代の空気感を通して見えてくる。ベルリオーズの原文に対するR.シュトラウスの注釈も毒舌や魅力に富んでいて面白い。作曲を勉強する人には、情報が古いと言う意味で1冊目の管弦楽法としてはお薦めできないものの、2冊目以降に実際の経験と照らし合わせていく本としては強く推薦したい。演奏家や一般の音楽愛好家にとっても読み物として充分に面白い1冊だと思う。訳本ながら日本語に全く違和感がないのは素晴らしい。まだ若いこの訳者を起用してこの重要書を出版した音楽之友社の慧眼には敬服。Z社さんと違って、最近「良い仕事」の数が増えていると思います。願わくば傷みやすいソフトな紙質ではなくハードカバーの安定的な造本にして欲しかった。日常的に持ち歩けるようなサイズや重さの本ではないし、造本のために定価が1000円2000円上がったからと言って大きく印象が変わる価格帯ではないのだから(12600円)。どうしてもすぐに読みたかったので根性入れて移動中に読み継いだら、読了後には結構傷んでしまった。

金沢に帰省した折りにたまたま寄った書店で見つけたノンデザイナーズ・デザインブック Second Editionが予想以上に面白く、知見を開かせてくれた。

もちろんデザイン本なので、デザインに関して「理論・法則が道しるべになる」事を再確認させてくれます。この点だけでも僕は目から鱗。これからは楽譜の表紙作りや様々な文書作りをスタイリッシュにできるようになるぞ。

そして、それに留まらないで音楽にも通じる点がいろいろありました。無意識に処理していたあれやこれは、こういう視点で整理し直せばスッキリ理解できるんだね〜、と。下手な音楽書よりもよほど有益な本。

姉妹書にノンデザイナーズ・タイプブックというのもあるけど、これは文字好きでなければ特に不要な本かな。文字好きの僕は楽しめたけど。

書店で見かけた時には最初「にんげんかぴかぴ」に見えてしまった。疲れてたかな(笑)

これは川崎洋さんが読売新聞で連載していた「こどもの詩」のコーナーをまとめた新書で、あたまわるいけど学校がすき―こどもの詩「あたまわるいけど学校がすき」に続く2冊目。川崎さんが最晩年に選んだ子どもの詩ということになる。このシリーズは好きで、他の出版社から出た選集も買っているが、「面白い!」と感じるのは総じて特に小さい子供の詩。小学校1〜2年生くらいまでかな。小学校も高学年になってしまうと、「詩」を書きたいと思い始めてしまうようで、先生にほめられるような、型通りの詩が中心になってしまう。大人になりきれないままに枠にはめられた知性がなんとも窮屈だ。その点、3歳やら5歳やらの発想の大胆な事といったら!一本取られた!と思うような言葉のダイレクトな訴求力に圧倒されてしまう。そういう幼児の奔放さが、教育によってしつけられて、やがて伸びやかな大人の知性につながっていく。その過程を見ていると思えば、成長の過程にある詩も読むのはまた楽しい。特に小さい子の、豪快な詩をあつめた曲集をいつか書いてみたいと思っている。

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