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73円。45円。 これ、何の金額だと思いますか?僕にまつわる金額です。答えは……             著作権料。(涙)今年の1月から3月の、僕の著作権収入の明細がJASRACから届きました。73円というのは著作権使用料(消費税3円込み)で、45円というのは、そこからJASRACの委託手数料21円(消費税1円込み)と所得税7円を引かれた金額です。まぁ通年の金額じゃないし、1月から3月は大きな演奏会がなかったからなぁ。しょうがないんですが(CANTUS ANIMAEで「薔薇」の演奏はありましたが、あれは初演団体の特例扱いにしたので著作権使用料が発生しない。)45円の振込明細を送る為にJASRACはいくら使ったんだろう。明細を見ると、僕の女声合唱の「子守唄」がどこかで演奏されたようです。どの団体がどんな機会に演奏したのかは、JASRACの明細ではわからないようになっているんです。だから、演奏者から個別に僕のところに連絡でもない限りは、演奏の実態は知る由もない。金額から考えると、どこかの無料の演奏会で演奏してくれたのだと思います。どこのどなたかは存じませんが、演奏して下さった指揮者さんと団員さん、ありがとうございました。おかげで著作権収入ゼロの事態は免れました。今回のを明細をバネに、今後もっと演奏してもらえるような良い楽譜を作っていきます。 ポップス方面や売れっ子作曲家は別として、僕レベルの作曲家の現実はこんなものです。だから、はじめに楽譜を書いた時に生じる収入以外は、ほとんど収入を見込めません。だからみなさん、お願いです。せめて出版譜のコピーはやめて下さい。財布に残ったなけなしのジュース代すら強奪されるような気分です。たとえ他人の楽譜だとしても、コピー譜を見ると胸がズキズキ痛みます。

どうにか脱稿。仕上げた楽譜を渡すために、電車を急いで乗り継いで(中野坂上の高低差は何なんだ!)西新宿から練習場まで全力疾走。明日の筋肉痛も心配しないで、準備体操もなしでとにかく走りました。どうにか渡し終えて、帰宅したところで知人から電話。かなり久しぶりの電話だったので何の用かな?と思って出てみると「ああ、久しぶり〜。もしかしてさっき新宿を全力疾走してなかった?」だって。(笑)あまりに似ているので僕かなとは思ったけど、いくらなんでもそんなタイミングで見かけたりはしないだろう、っていう判断と、新宿にはあり得ないスピードで走るヤツは堀内であっても不思議はない、という判断で迷ったらしい。で、電話をかけて確認してきたそうです。走っているまさにその瞬間に電話をかけてこなかった知人は賢い。それだけ必死こいて走ってる人が電話に出るわけないもんね。壁に耳あり障子に目あり。天網恢々粗にして漏らさず。行動はいつも誰かに見られています。

一日目いっぱい作曲して、夕方からはオペラシティへコンサート。予定表に書いておかないもんだから危うく聞き逃すところだった。行ったコンサートはパシフィック・コーラルデイズ。文化庁舞台芸術国際フェスティバルというたいそうな名前のシリーズのひとつ。目的は、何度も何度も公演チャンスを逃していた間宮芳生氏の合唱のためのコンポジション16番。だけ。9月25日に全音からスコアが出るとアナウンスされていたので、会場先行販売しないかな、っていう期待もあって行く事にしました。会場に着くと期待通りに新刊を販売していたので脇目もふらずに購入。おかげで開演時間までに一通り作品のアウトラインは目を通せました。で、実演へと続くわけですが、合唱(東京混声合唱団)も安定していたし、曲は美しいんだけど、かなりわかりやすく自作(コンポジション14番。他にも?)や林光氏の原爆小景(と、その向こうに透けて聴こえるリゲティ)の音型・音響が出てくるのは何の意図があるんだろう?無意識に、という範囲じゃないしなぁ。演奏の方向性によってその答えを理解できるのかもしれないけど、今日はわからなかった。別の指揮者で、また聴いてみたい。オーストラリアとカナダの合唱団も安定して聴かせてくれた。目から鱗が落ちる程うまい、とかそこまで思わせるものではなかったけれど、一人一人の技量と言うか、そもそもの骨格・体格が日本人とは違いすぎます。それが響きの広がりになるんだろうなぁ。多少ミスしたって全く気にさせないだけの安定感があるんだな。充分エンターテイメントを堪能しました。オーストラリアの合唱団に一人、ピノキオのゼペットじいさんじゃないかってくらい良い雰囲気のテナーのおじ(い)さんがいて、彼を見てるだけで気持ちが和みました。彼を見聞きするだけでも価値はある!というわけで、明後日23日にもパシフィック・コーラルデイズは開催されます。今日よりもお国柄が発揮されそうなプログラムなのでご都合の良い方は行ってみてはいかがでせう?今日の感じだと全席種当日券でOKです。

平吉毅州(ひらよしたけくに)氏の交響変奏曲(1969)が放送されるとわかったので、久しぶりにNHK-FMの「現代の音楽」をエアチェック。今のところに引っ越してから、まともにラジオを聴いていなかったので、あわててケーブルを買ってきてテレビのアンテナプラグにつないだ。ちょっとノイズが入ったけれど曲のアウトラインは充分見える音質で録音できた。平吉氏のこの作品、存在を知ったのは4年程前かな。たまたま大学のオーディオ資料でレコードを聴く事が出来て心奪われた。楽譜はどうにか入手できたものの、音源が昔出たレコードのままCD化されていないようで、ずっと楽譜を眺めては妄想する日々を送っていた。2001年にキングレコードから過去の尾高賞受賞作品が出た時にも期待したけどエントリーされてなかった。まだ他で買えるような音源を重複発売しなくても、と恨めしく思ったものだ。それを今日、ようやく手元に録音を置けた意味は大きい。ただ、イメージばかり膨らみすぎたのか、思った程には肉迫するエネルギーが感じられなかったけど。再生装置の影響もあるかな。それでも充分得るものはあった。5、6年前まではNHKの番組編成ってもっと面白かったような気がする。こちらが一通り聴き慣れて新鮮味を感じなくなったというのもあるのかもしれないけど、クラシックでもけっこうマイナーな佳品を滑り込ませてくれたりしていた。それがある時期から急に惰性の、ありふれた名曲ばかり流れるようになって魅力を感じなくなった。良く言えば敷居を下げた、間口を広げたということなのかもしれないけど、そのせいで聴かなくなった僕のような人も結構いるのではないかと思う。そういう人も取り戻すような、そんな編成に戻ってくれ!NHK!

作曲と、細々した楽譜の仕事の日。作業が一段落ついたところで郵便物を取りに外に出たら、近所に居ついている野良猫クーちゃんにばったり会った。近所の善意で、なんとなくエサを与えられて生き延びている(らしい)猫だ。僕はこれまで1年以上の期間に2、3度エサをあげた事があるだけ。普段は顔を合わせてもちょっと声をかけてみる程度。深い付き合いにはならない。ところが今日のクーちゃん(♂か♀か不明。だけど♂のような気がする)は僕の顔を見るなり猛ダッシュ。うちの玄関まで一気に駆け寄ってきた。うちは外階段を上って2階に上がらなくてはいけないから、結構エネルギーもいるだろうに。エサを貰い慣れていない僕のところに駆け寄ってくるなんてよっぽど切羽詰まってるんだろうな、と思って、前に買ってあったキャットフードを出してあげた。鼻をフゴフゴならしながらものすごい勢いで食べまくっている。エサの適量がわからないけど、とりあえず出して上げた一皿分をきれいに平らげていた。生き抜くって大変なのね。ところで、このクーちゃん、失礼ながら猫には見えない。犬みたい。うちにレッスンに通ってたまたま見かけた生徒さんも揃って「下で変な犬を見かけました」なんて報告してくるような風貌。そしてこれまた不細工なんだな。その分、慣れてくると妙に愛着も湧いてくるんだけど。そんなこんなで今日は珍しく長時間の接近遭遇になったので、撮影料としてキャットフードを追加して、何枚か写真に収めてみました。親しき仲にも礼儀あり。猫に対してもちゃんとギャラは払うのだ。みなさんも身近な音楽家を便利屋さん扱いしないで、ちゃんと対価を払ってあげて下さいね。まがりなりにも特殊技能ですからね。それでは猫(犬?)写真をお楽しみ下さい。qoo001 うしろから見たところqoo002 丸くなると前後関係が わかりません。お尻側。qoo003 ダスキンで取り扱って そうな雰囲気です。上 からの写真。手前が頭。qoo004  奥が頭。手前に何か  あるのはしっぽです。qoo005横から見たらこんな感じ。手が見えないのはエサを食べている最中なので。qoo006 頭のテッペンがレンズを 向いている状態です。耳 の存在がわかりますか?ハットリ君に出てきた獅子丸みたいじゃありませんか?これでも猫です。ここまでだったらそこそこかわいいと思えるんですが、顔を正面から見ると全く印象が変わります。エサに夢中なため、下ばかり向いていて今日はあまりシャッターチャンスがありませんでしたが。qoo007 これは横顔から頭頂部 にかけてです。右側に 振り返ってるところ。qoo008 振り向いて歩いている ところです。態度がで かそうに見えます。qoo009(実際高齢なんでしょう)この写真みたいに老いぼれて見える時はまだいいんですが qoo010邪悪な存在に見える事の方が圧倒的に多いです。何かが乗り移ってそうで怖いので、邪険には扱えません。 是非うちにいらした時にはクーちゃんとの触れ合いもお楽しみ下さい。ね。

先日の朝日賞について取材の申し込みがあって、築地の朝日新聞本社まで行ってきました。今は大江戸線のおかげで、練馬から乗り換えなしで行けるのが便利ですね。取材の申し込みの電話の時にだいぶ声の若い方だなぁという印象を持っていたけれど、実際に会ってみると担当の方は実にダンディな初老の紳士。ああ、こういうかっこいい年の重ね方をしたいな、という方でした。マスコミ関係の若い人では、落ち着きが無く取材時間中には信頼を寄せにくい方にしか会った事がないんです。こっちが10喋っても1が記事になるどころか、全然ピントのずれた解釈で載せられて、そうなると、何話したんだおれは、って落ち込むわけです。ところが、同じマスコミでもある年齢以上の方になると、ダンディで憧れるような貫禄、知性が感じられる人ばかりなんですね。例外無く。おまけにこちらの話す事をよく理解してくれるというか、話の聞き方が自然でうまい。こちらの話題が途切れそうになると絶妙なタイミングで次の話題へ方向転換させてくれるんです。もちろん全部が記事になるなんてことはスペース上あり得ないけど、こちらが無駄に話してしまった事を実にスマートにまとめてくれている、という印象の記事に出会える。あくまで僕の乏しい経験の中では、という話なので一般化できるかどうかわかりませんが。とにかく今日のKさん、取材の間にファンになりました。憧れるなぁ。かっこいい。本社の建物に入っているアラスカというレストランでランチをごちそうになりながら1時間ちょっとの取材。このランチはおいしかった!今まで浜離宮ホールに用がある時も素通りしてました。こんな所にあるレストランなんて高いだけだろうなぁなんて思ってたので。ああ、思い込みって怖い。記事の掲載日はまだはっきり決まっていないそうです。1面使った文化特集の中で、吹奏楽と合唱の全国コンクールがあるよ、という特集があって、その中に吹奏楽・合唱それぞれの朝日賞受賞者のコメントが入るみたいです。他にも出場団体の取材なんかもあるだろうから、そんなにスペースは割かれないと思いますが。月2回の文化特集欄を一応気にかけてみて下さい。

ここ数日はずっと集中して作曲。ミューズがちょっとだけ遊びにきたけど、また去ってしまった。本格的に長期滞在してくれるのはいつの日だろう。とりあえず、今日まで出来た分を先方に渡して帰ってきたところで疲労困憊。今晩だけは休みを取ろう。明日からはまた作曲再開。どんどん先に進みたい。そんな感じで追いつめられていたので、今は電話なんて取りたくもない気分だが、夕方にかかってきた電話は一気に疲れを吹き飛ばしてくれる電話だった。相手はオーケストラ・アンサンブル金沢の方。11月のコンサートで7年前に書いた曲「小編成管弦楽のためのCapriccio〜あばれ祭りに寄せて〜」を再演してくれるというのだ。これは当時設立10周年だったアンサンブル金沢の、アンコール曲募集のコンクールで最優秀を取った曲。だけど、ストラヴィンスキーばりに1小節ごとに変わる変拍子が難しいと岩城宏之先生に言われ、初演以来全く再演の機会が無かった。今にして思えば、たしかにこんな変拍子、コンサートが終わったあとのアンコールでやるなんて怖くてできることではないと良くわかる。あの時は春の祭典も兵士の物語も暗譜する勢いでハマってたからなぁ。そういえば、最近こういうめまぐるしい変拍子って書いてないな。ちょっとは演奏家に優しい作曲家になったのかな。今度のコンサートでは指揮はギュンター・ピヒラー氏だそう。やたらエセ和風なこの曲が、西洋人の耳にはどう聞こえるんだろう。フジヤマゲイシャハラキリ風に感じるのかな。できれば練習から潜り込んで見学させてもらいたいところだけど、そうもいかなそう。せめて、当日は金沢に飛んで自分の(昔の)楽譜がどう響くのか確認したい。一部の売れっ子を例外として、作曲家にとっての再演というのはやっぱり貴重なものだと思います。オーケストラならなおさら。最大限事情をやりくりして立ち会いたいと思うのが人情ってもんじゃありませんか。

作曲。急がなくてはいけないが、五線紙がなくては話にならない。切れた五線紙を買いに、午後は池袋のヤマハに。行ってみたら、売れなかった楽譜のセールをやっていた。ガサゴソさがしていたら急に「こんにちは」と声をかけられた。振り返ってみたら、大学時代の同級生のピアニストO石君だった。会うのは何年ぶりだろう。3年くらいは経っちゃってるかもしれない。でも、元気そうで良かった。軽く近況報告をしあって別れた。別れたあとに、さらにワゴンをがさごそやって、ストラヴィンスキーのThreniとIntroitusのミニチュアスコアを発見。半額だったので両方購入。定価だと手が出しにくい曲だからなぁ。他に、ミヨーのスコアでおもしろそうなのも見つけたけど、こちらは半額になってもまだ割高感があるので手を出さなかった。

過ぎた話ではあるけれど、9月5日、6日に行われた「はこね学生音楽祭」について、僕の中で大切な経験になりそうなので書き残してみる。この音楽祭が生まれたのは4年前。1位賞金100万円!という太っ腹な学生対象の音楽祭が生まれた事を、たしかどこかのホームページで知ったと思う。合唱をやっている大学生を対象にしたものだ。世の中にはお金があるんだなぁと思っていたところに、東大の合唱団で指揮を振っていた友人のY野君から声がかかった。「コンクールに出るから課題曲の箱根八里をアレンジして欲しい」と。そう、この音楽祭の最大の特徴は、課題曲が箱根八里であること、ただしアレンジは自由、というところにあった。編曲を試みたことのある人から身に染みてわかるだろうが、箱根八里はひたすらトニック。稀にドミナント。ほとんど和声的に変化しない旋律が、これでもか!とばかりに並列されているばかり。誤解を恐れずに書くなら、この曲が名曲だなんてとんでもない!駄曲だ。瀧廉太郎だって他にいい曲がたくさんある。これで、課題曲が例えば「荒城の月」であったり、「花」であったらこの音楽祭の実情も現在はもっと変わったものになっただろう。しかし、「はこね学生音楽祭」である以上、最大のご当地ソングである課題曲を変えるわけにはいかない事情もよくわかる。この辺の事情を知るためには、それぞれの曲の合唱出版譜を調べてみればわかるだろう。箱根八里は、僕の知る限り信長貴富氏によるアカペラ(女声、男声・混声)のアレンジと、林光氏によるピアノ伴奏アレンジの2種類しか出ていない。他に出ていたとしても、愛唱曲集の中に独創性のない、通常の和声付けの楽譜が混ざっている程度だろう。曲の知名度から考えてもあまりに選択肢が狭いのは、編曲の事情が絡んでいるとしか思えない。聴き映えするような編曲しにくいもん。僕も、当初はそんな印象しか持てなかったから、和声のソプラノ課題を解くが如くに向き合って、和声的な味付けを変える程度にしか工夫を凝らせずに編曲を終わった。この時点では、根本的な発想転換をして独創的なアレンジ、などとは考えられなかった。あとで報告を聞いたら、アレンジのパンチがイマイチ弱かったらしい。けど、箱根八里で原曲に忠実なアレンジやったってそもそもそんなもんだよ、と反発を感じた記憶がある。ピアノ伴奏ならね、まだ伴奏でごまかしていけるけど、アカペラだと通常の和声付けで発想している限り限界がある。結果は予選落ち。2年目にもう一度この音楽祭にチャレンジしたい、ということで「とにかく数多くの箱根八里に負けないインパクトのあるアレンジを」と、懲りずにY野君は再び委嘱をしてくれた。「そうは言ってもあんまり原曲から離れちゃ変だよ」という彼女の至極真っ当なアドバイスを半ば無視して、「箱根八里パラフレーズ」路線で再度編曲に挑戦。無駄に長いなら要らない部分を使わなければいい。あとは動機の展開のように楽想を展開すれば。そうやって殆ど新たに作曲したかのような箱根八里が生まれた。相当演奏の難しい(ように一見思える)楽譜だ。中には連続五度とかをふんだんに仕込んであるので、実際には、聞こえる派手さ程には難しくない。ただ、曲を充分に歌いこなすには至れなかったようで、この時も予選落ち。3度目の正直。今度こそ、ということでこの時から指揮を頼まれた。去年のアレンジで、より高い演奏水準で。ただ、基本的な指揮法を習ったとは言え、僕には殆ど指揮経験はない。見よう見まね。自由曲には派手さはないが着実な名曲を持ってきて、ひたすら純正調でハーモニーを作る練習。そして楽譜から自然な表現を引き出す練習。それなりに基礎作りの意味はあったろうか、東大生たちには本当の意味でハモるということの入り口は見せてあげられたかな。ただ、攻めていく派手さは作らなかったので、この年はようやく予選突破したところで結果が落ち着いた。この音楽祭のあとに、同じく瀧廉太郎の歌曲に、箱根八里と同じような発想で新たに息を吹き込んだ「瀧廉太郎の6つの歌」という編曲集が生まれた。鈴優会の委嘱だが、葉っぱ会の委嘱した箱根八里の存在抜きには語れない。そして今年。再び指揮の依頼。また僕に頼まれたということは、今度こそ1番を取らなければ意味がない。僕だって去年よりは指導経験も増えて、より的確な指導や練習ペースの配分を身につけている。自由曲の選曲を、「瀧廉太郎」一色で統一する事にした。ただし、勝ちに行くためにアクロバティックなアレンジを中心に。本選の最後に歌うために、毛色を変えたシェーファーのガムランも据える事にした。けっこう攻撃的な布陣。ところがふたをあけてみたら充分な練習回数が確保できない。効率優先で練習しないといけないため、無駄な繰り返し練習を最小限にとどめられるように、練習プラン、指示の共有を前提に置いて乗り越えた。時間がない時にでもある程度以上に仕上げてしまうのは東大生の持っている重要な武器と言える。結局時間が足りなくて、二日目に歌うガムランの仕上げ練習は初日の夜にはじめて行うと言う有様。だけど、それが功を奏して、本番に至るまでモチベーションを高め続けながら演奏する事が出来た。僕が去年より成長したのは、各部各部の表現を聞かせる事よりも、より全体の構造の中でベクトルを打ち出せるようになった事。これができると聞いている人に安定感をもたらす事が出来る。優れた指揮者というのは特にこういう部分が優れた人の事なのではないだろうか。今回は歌い手の成長もあって、いろんなことがうまくはまってめでたく100万円を手に出来た。1年目から依頼し続けてくれている東大の学生たちの4年にわたる成長あってのものだろう。学生の団体はどこでもそうだろうが、毎年顔ぶれが入れ替わる中で水準を保ち続けたり、上げて行くのはとても難しい。他の出場団体を見ていても、昨年からわずか1年で急成長を見せた横浜の大学生、京都の大学生がいるかと思えば、去年の輝きが嘘のように消え去っていた東京の大学生がいたりして、諸行無常、驕れるものは久しからずを目の当たりした。水準の維持・成長って本当に難しい。他の団体はさておき、4年かけて東大のみんなと一緒に成長して来れたことはとても嬉しいし、その結果が具体的な評価となって表れたということは、各人の誇りとしてこれからも生き続けるだろう。打ち上げの酒のおいしかった事。作曲のような個人作業をやっているとなかなかわからないものだが、仲間と成果を確認しあえる充実感はこれほどだったか。ひとつの曲に4年付き合うと言う、貴重な経験をさせてくれたメンバーたちと、はこね学生音楽祭に感謝!

練馬のBOOK OFFで『ある「完全な音楽家」の肖像』を発見。アンリエット・ピュイグ=ロジェの記録。気になっていたけど買うのを躊躇していた。500円で美本なら躊躇する理由はない。彼女の存在を知ったのは没後しばらく経ってから。現在活躍中の人の経歴に彼女の名前を見かける度に、彼女の大きさが思われる。今からでも学べるものは学んでみたい。同じ棚で十二音による対位法も見かけた。これも500円。完全に新品同様。持っているので買わなかったけど、もとの持ち主が何の目的でこれを買って、手放したのか気になる。作曲をやっているか興味のある人だろうけど、それなら少しは勉強してみてから手放してみても良さそうなもの。興味ないのにうっかり買う本ではないもんなぁ。練馬のBOOK OFFで『ある「完全な音楽家」の肖像』を発見。アンリエット・ピュイグ=ロジェの記録。気になっていたけど買うのを躊躇していた。500円で美本なら躊躇する理由はない。彼女の存在を知ったのは没後しばらく経ってから。現在活躍中の人の経歴に彼女の名前を見かける度に、彼女の大きさが思われる。今からでも学べるものは学んでみたい。同じ棚で十二音による対位法も見かけた。これも500円。完全に新品同様。持っているので買わなかったけど、もとの持ち主が何の目的でこれを買って、手放したのか気になる。作曲をやっているか興味のある人だろうけど、それなら少しは勉強してみてから手放してみても良さそうなもの。興味ないのにうっかり買う本ではないもんなぁ。

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