車を遠距離運転した事がない妻に付き添って、妻の実家(静岡県)と東京の現住所を往復しました。今はカーナビがあるから道に迷う心配は殆どないけど、それでも初めての高速道路の乗り降りは緊張しました。(妻よりも助手席の僕の方が。)普段からたくさん運転している人には高速道路なんて何でもないことなんでしょうけど、妻が教習を受けた地域では高速道路の実体験ができず、普段も一般道しか走っていません。おまけに妻は高速道路のシミュレーション教習でバイク2台を轢いた実績の持ち主(!)とくれば、初めての高速体験に際しては自ずと緊張も高まると言うもの。通算3台目の犠牲者が出ないように助手席で密かに祈っていました。でも、いざ臨んでみると、高速道路も東京の道も思ったより簡単に制覇。勝手に心配ばかり高めていたから拍子抜けした程です。それに、なかなか運転も楽しそうです。もちろん安全運転には細心の注意を払わなくてはいけないんでしょうけど。助手席で偉そうに指示を出していた僕ですが、実は車の免許を持ってないんです。バイクも。持っているのは教員免許(中高の音楽)とアマチュア無線(4級。阪神大震災のあと両親に取らされました)くらい。東京で暮らす限り、車の必要性も感じない(維持費も高くつく)から、「免許を持つ=高い身分証明書を買う」程度の認識でした。だけどこの先地方に行かないとも限らないし、取れる時に取っておいた方がいいのかなぁ。ちょっと取ってみたいかも、なんて考えた2日間。
フジカラーのサイトで年賀状を発注。今年はなんと言っても結婚したので結婚式の写真を使って幸せを振りまかねば。これまで、人が結婚の写真を送ってきた時には「のろけちゃって〜」って感じで見ていましたが、いざ自分が結婚すると積極的に同じことをやるんだから不思議なもの。結婚式の写真はカメラマンさんがデータで納品してくれたので、その中から写真を選んで、フジカラーのサイトにアップロードして、テンプレートに従って自分で配置を決定、発注という流れになりました。時代だねぇ。20日に出来上がってきます。仕上がりが楽しみだけど、そのあとの宛名書きは恐怖です。
銀座の博品館劇場で初の生落語。上方落語の桂文我さん。前々予備知識なしで見たけど、面白かった〜。素晴らしく高度に寝られたプロット、魅せ方、聴かせ方。気がつくと完全に一人が作り出す世界に巻き込まれて夢中になっていました。落語にはまりそうです。とりあえずCDやDVDを買ってみつつ、池袋演芸場にでも行ってみようかな。
以前日記に書いた近所の「犬に見える野良猫」クーちゃんのことを覚えていますか?記憶にない方の為に写真を再掲。
この目つきの悪い犬みたいのがクーちゃん(猫)です。1度エサをあげたのが運の尽き。むこうも貰い慣れてきて、最近ではまだ全部食べきらないうちから「もっとよこせ!」と要求する有様。ほんとに強欲猫。しかも感覚が鋭いのか目ざといのか、はたまたエサの事だけ考えて生きているのか、僕が玄関のドアを開けると、どこからともなくスススーッと走り寄ってきて、エサを要求するんです。近所中でエサを貰っているみたいで、動物のくせに、最近はお腹がポコッと前と横に飛び出してきてます。明らかに不自然な飛び出し方で。全体に大きくなるわけじゃないんですね。そんな感じなので、敢えてエサをあげないことも多いんですが、玄関前でにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーずっと鳴かれるとこっちも根負けしてしまって、日に1〜2度くらいは何かエサをあげる、というのがここ1ヶ月ほどのパターンでした。 今日も夕方帰宅すると、僕を見つけてあとをつけてきました。でも、もうお昼頃にエサをあげてあったので無視。玄関を閉めて電気を消してしばらく経つと、 トントン、トントンとドアのノックの小さな音。続けて、にゃーの鳴き声。 またしばらくするとトントン、トントンにゃー。 何度も繰り返します。はじめは耳を疑ったけど、宅急便の人が来たわけでもないし、他に人はいません。(呼び鈴がついているのにノックすることもないでしょう)状況的に考えると、ドアを叩いているのは猫ということになってしまう。でも、1回ならまだしも2回ずつセットで叩くような、人間味溢れるノックを猫がするものだろうか?そう迷っている間にも、ずっとドアの外では「トントン、トントン、にゃー」が繰り返されていました。背中に寒いものを感じたので、思い切ってドアを開けてみたけどやはり人はいない。足下には、クーちゃんの切なそうな目。エサをあげてドアを閉めると、もうドアはノックされませんでした。やっぱりノックしてたのはクーちゃんなのかな。 ……化け猫だったらどうしよう。
自衛隊の朝霞駐屯地まで行ってきました!大学の同期だったフルートのNさんが陸上自衛隊中央音楽隊に所属していて、自衛隊内の内輪な演奏会で僕の編曲を取り上げてくれるというので、物珍しさも手伝ってノコノコ出かけていったのです。僕の編曲と言うのはチャイコフスキーの弦楽セレナーデ(Op.48)の第1楽章。2群の木管5重奏への編曲です。編曲したのは大学2年の頃だから、実に8年前の編曲ですね。先日のアンサンブル金沢といい、過去の自分に否応なく向き合わされる機会が続きます。この編曲、学園祭の為に同期の友人から頼まれて書いたのです。当時はまだ作曲の勉強を始めたばかりで、やっとひととおりオーケストラの各楽器の音域を覚えたか?という段階でした。だから、管楽アンサンブルを書くのも初めて。それなら素直に木管10重奏で書いておけばいいのに、2群の木管5重奏なんかにチャレンジしているのがいかにも若気の至り(笑)。よせばいいのに再現部でパートを変えたりしているものだから、単純に音符数だけでも相当なもの。たしか清書まで含めて夏休みを丸々使ったかなぁ。今となっては遠い思い出。 で。8年前の楽譜にどんな感想を抱くかが楽しみだったんですが、聴いてみると(意外にも)昔の自分が頑張ってるんです!そんなに変じゃないし、ところどころいい響きだって見つけてる。初めてにしては上出来!という感じです。もちろん「音楽わかってないなぁ」って思うところも何カ所もあるんですけどね。でも、概ね意外にいい感じ。2群に分けた意味もちゃんと発揮されていました。何より面白いのが、楽譜が進むにつれてだんだん編曲が上手くなってるという事実(笑)「これ書きながらいろいろ掴んだんだぁ」なんて感慨に耽りました。光陰矢の如し。 演奏会そのものも面白かったです。木管アンサンブルあり、金管アンサンブルあり。オリジナルから編曲まで。「管楽器は弦楽器ではないんだなぁ」と、当たり前の感想を改めて持ちました。つまり楽器の性質上の限界が見えたということです。それを逆手に取って、弦楽器だとつまらなくなるであろう発想を持ち込んでいたオリジナルの曲は面白く聴こえました。そう、やっぱり「その編成だけの為に」というのが必要なんだろうな。しばらく管楽器から遠ざかっていましたが、また書いてみたくなりました。木管五重奏あたりに、1度本気で取り組んでみたいな。
今朝起きてから気付きました。どうも右手が腱鞘炎になったみたいです。(涙)「みみをすます」で音符書きまくったせいかなぁ。食器を洗っても、洗濯物を干しても、掃除機をかけても、テレビのリモコンを押しても、パソコンのキーボードを叩いても、とにかく日常生活のあらゆる場面で右手に気持ち悪い痛みが走ります。腱鞘炎をやったのは、たしか大学2年の春休み以来だから、えーと7年ぶりかぁ。懐かしいなぁ。あの時はピアノの練習のしすぎで腱鞘炎になったんだっけ。はっ!もしかして、昨日久しぶりにバッハのシンフォニア弾いてみたのがいけなかったんだろうか!?と思ってみてももう後の祭り。とにかくしばらくは極力右手を使わないように過ごします。右利きに生まれた運命を、こういう時ばかりは呪いたくなる身勝手な堀内です。(笑)今日は、トッパンホールまでジャン・ギアン・ケラスさんのチェロを聴きに行ってきました。とにかく抜群に上手いですね。何でもサラっとこなす。その上手さが、練習を匂わせないのもケラス流なんでしょうね。とても知的。どの曲も受けとるものがありましたが、中でも御喜美江さんと演奏した、グバイドゥーリナのイン・クローチェ (1979)を面白く聴きました。曲の面白さというよりは、御喜美江さんの魅力だったような気がしますが・・・。チェロ1本の音楽を聴くには、少し距離感がありすぎたかもしれません。もし機会があるなら、もっと身近なところでバッハとかを聴いてみたいです。
すいません。久しぶりの更新です。えー、人生最大の多忙な日々を送っていました。まずは作曲。これはどうにか乗り越えました。大変だった。最後の最後まで気が抜けない。でも、今の自分です、という名刺代わりになる曲になったような気がします。そして結婚。11月13日に結婚しました。二人でアンサンブルしたり連弾したり、そのためのアレンジをしたり、BGMを細かく自分たちで決めたり、準備が大変だったけれど当日は尚大変。教会式だったのですが、神父さんがうさんくさい人でなくて良かった。「人は愛されることで安息を得、愛する事で満足を得る」だそうです。肝に銘じていきます。翌日にはアンサンブル金沢のコンサート。過去最多数のお客さんに自分の曲を聴いてもらえたのではないでしょうか。コンサートが終わった帰り際に、全く面識のない人が「作曲の方ですよね?楽しかったです」と満面の笑顔で声をかけてくれたのが一番嬉しかった。こういう素の反応に触れられる事ってなかなかないですし。僕の曲も、少なくとも一人の人に楽しみの時間を与えられたのだな、と思うと嬉しいです。次の週末には朝日賞の授賞式で愛媛松山へ。ついでに広島、香川にも寄るルートをとりました。広島では広島大学の旧知の人と再会。平和記念資料館を見て、広島のお好み焼きを食べて(笑)、松山では道後温泉でお肌ツルツルになり、香川ではこんぴらさんのてっぺんまでのぼり、ちょうど限定公開していた奥の院の所蔵品を見てきたりしました。そして昨日は弟ハルヤのライヴに行って(リラックスできて楽しめました。迷って遅刻したけど)、今日はヴィオラ・ダ・ガンバアンサンブルのコンサート(今日も迷って遅刻)。ガンバは殆ど聴いた事がなかったからとても新鮮に聴きました。これはいい!今まで頭にあった弦楽器のイメージをいい意味で覆してくれました。古楽と現代を織り交ぜたコンサートだったけど、やっぱり古楽の方がより楽器になじんでいるような気がするなぁ。作品の質、という問題があるのかも知れないけど。でも、とても楽しめるコンサートでした。ガンバのための「作曲の手引き」なる冊子も入手。あんな素敵な響きがするなら書いてみたいな。と、怒濤の日々を大まかに振り返ってみました。
先日、「フィンランドの音楽」という本を入手したので読んでみていますが、これが面白い。知らない作曲家が出てくるわ出てくるわ。(^▽^;)「コルテカンガス」とか「セーゲルスタム(作曲家としての)」とかが出てきたら「お、メジャー!」と思う。サーリアホやマグヌス・リンドベルイが出てきたら「おお!超メジャー」とか思う。そんな感じで、あちらの国の作曲家の名前がバンバン出てきます。何せ書いているのが名前だけ一人歩きして有名なカレヴィ・アホさん(他)ですから。きっと北欧音楽ファンなら垂涎の的でしょう。フィンランドのオタヴァ出版から出ている本ですが、何故か大変嬉しい事に日本語版が出ています。しかも、日本スカンジナヴィア音楽センターさんが実費で頒布してくれると言うではありませんか。(ホームページのお知らせ欄参照)僕もこのホームページでお願いして分けていただきましたが、事務局の方の話によると残りが少ないそうです。無くなる前に気づけて良かった。これを読んで申し込もうと思ったアナタ。注意して下さい。件のページは、申し込みフォームもメールアドレスも死んでいるので多分ハネられます。ホームページを良く探してみると、生きているアドレスが見つかるのでそこから頼んでみるが吉。夕方に東京フィルハーモニーの事務の方から突如電話あり。別に東フィルから連絡貰う覚えなんてないぞ!?と思ったら面白い話でした。作曲をやっているからとかいうのは多分関係なくて、東フィル会員に登録している人から無作為に抽出したのでしょう。「来シーズンのプラグラム案を作成中なので、実際に東フィルのコンサートに通っている人に見て貰って意見を貰いたい」という趣旨の話でした。それも電話ではなくて対面希望なのだそうです。面白そうなので、明日会う約束をしました。クラシックのコンサートに行くと、アンケート用紙に「あなたがこのオーケストラのコンサートで聞きたい曲目は何ですか」なんて項目が書いてある事がある。気が向いてアンケートを書く時には「なんと言ってもツィンマーマンの『兵士たち』」とか「ヴァレーズの『アメリカ』と『アルカナ』を一晩で!」なんて採算合わなそうなことを書いてくるんだけど(もちろん実現したら万難を排して足を運びます)それ以外にマーケティング調査をしているなんて話は全く知らなかった。だいたいどれくらいのサンプルを取っているのかな?とりあえず現代音楽好きとしては沼尻/東フィルの三善晃3回シリーズを絶賛して、同種の意欲的な企画があれば確実に通い詰めると断言した上で、どこでも聞けるようなクラシックの曲目はよほど演奏者が魅力的でない限りは食指が動かない事をアピールしてこようと思う。いずれ願いが通じますように。
今日はGlovillが主催した「ピアノ表現の可能性ー内部奏法の新たな思索」というレクチャーを聴いてきました。会場は日比谷に移転したスタインウェイサロン・松尾ホール。松尾楽器で調律師をされている方を講師に迎えてのレクチャー。とても面白かったです。作曲家なら誰もが1度は内部奏法に憧れるでしょうが、現実にピアノの内部奏法を選択する際にどんな影響が出てくるかまで考えきるのは難しいですよね。難しいから、実際僕などは今まで内部奏法を選択した事は無いわけですが。ホールのピアノが、公共の、レンタルする共有物である点を軸にして、実際に音楽する側(作曲・演奏)、貸すホール側、メンテナンスする技術者の3者それぞれの立場における利害を再認識し、その上での技術的な諸問題を実に詳しく解説して下さいました。ピアノの機構すら満足に把握していなかった僕にとっては大収穫でした。僕以外にも意外に知識不足な人は多いんでしょうね。ピアノ程メジャーな楽器にも関わらず、あれほどブラックボックス的な楽器も無いと。学部時代に音楽美学の先生が「ピアノ科が自分の楽器について一番知らない」と言っていたのを思い出しました。それは、他の楽器なら自分で組み立てたりある程度のメンテナンスをするのに、という流れでの発言でしたが。2回目、3回目があったら是非行きたいです。ひょんなことからフィンランドの長編叙事詩カレワラを読みたいと思ったのだけど、調べてみると岩波文庫版も講談社学術文庫版も絶版になっているらしい。高校生くらいの時には手に取った覚えがあるのになぁ。その頃買わなかったのが行けなかった。ああ、後悔。図書館や古書店で見つけるしかないのかなぁ。 と、思っていたところに、とある方々から宅急便が届きました。朝日賞受賞のお祝いということで、ワイングラスを頂いてしまいました。気を使っていただいて、嬉しいことです。ありがとうございます。大切に使わせていただきます。<(_ _)>よく見てみたら、これがなんとフィンランドのメーカーのグラスでした。タイミングの一致に驚くばかり。カレワラも古本見つけて手許に置くぞぉ!
日本作曲家協議会が出版しているスコアの目録に間宮芳生氏の「Concerto for Orchestra」が入っているのを見つけて注文していました。作曲家協議会には在庫が無いらしく、作曲者のところに在庫が無いか問い合わせてみますという返事だけを貰っていたのに、おとといポストを見てみたら差出人に「間宮芳生」と書いた封筒が!突然の事で驚きました。これが間宮先生の手書き文字だぁと喜んでしまった自分は結構なミーハーです。(^▽^;)このConcerto for Orchestraって、ネットで調べてみても録音や演奏の記録も見当たらないし、いったい何の機会に書いたものなのかな。もともとそれが気になってみて注文したんです。スコアは面白そう。di-arezzoという楽譜屋さんを見つけました。フランスにあるお店。今時、ネットの楽譜屋さん自体は別に珍しくはないけど、ここは品揃えもかなりのものです。そして何より安い!ざっと見回したところではフランス系の出版社(デュランやサラベールなど)のものが特にオトク感がありそうです。たとえばメシアンの幼子イエスにそそぐ20のまなざしなんかは、国内では良心的な価格設定のアカデミアで買っても11500円。それがdi-arezzoでは49.85 EURでした。今日のレートで6774円です。デュティーユの交響曲2番ならアカデミアで15130円。di-arezzoでは85.24 EUR(今日のレートで11583円)。高い事で有名なトゥーランガリラですら1万7千円ほど。これに1回の注文で送料が千数百円。音楽家であることを証明すれば楽譜代が10%割引になります。僕はとりあえずデュティーユやオアナを注文してみたんですが、10日ほどで届きました。梱包にも不満はありません。日本語でのメール質問も可能。というわけで、このお店は非常に使える!という感触を持ちました。年間の支出が数万円単位で減らせそうです。減った分は別の楽譜を買ってしまうんだろうけど。(笑)朝日賞の受賞コメントが載ったハーモニーが発行されました。合唱連盟の機関誌なので、店頭で売っているお店は殆どありません。(ヤマハ銀座店くらい?)読みたい方は図書館で探すか、直接合唱連盟に注文をかけてみて下さい。前にここに書いたように、全く中身のない、非常にためにならない文章が載っています。よくこれでダメだし出なかったなぁ。僕の書いたものはそんなわけで価値がありませんが、隣に載っている審査員の池辺晋一郎先生のダジャレは一見の価値あり。曰く「(キリンの洗濯を選んだ我々審査員は)最良の選択をした」だそうです。思わぬところで池辺先生のダジャレに出会ってしまいました。