【合唱団まい第9回演奏会】◇日 時:2005年10月22日(土) 19:00開演(18:30開場)◇場 所:松本ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール)◇入場料:一般1,500円 大学生以下:800円◇プログラム: 1 ウィリアム・バード Mass for five voices 5声のミサより 2 モンテヴェルディ Lagrime d’amante al sepolcro dell’amata 愛する女の墓にながす恋人の涙 3 八木幹夫:詞・堀内貴晃:曲 野菜畑のソクラテス 〜無伴奏混声合唱のための〜 4 高野喜久雄:詞・高田三郎:曲 混声合唱組曲 水のいのち◇ピアノ:あずまみのり◇指 揮:雨森文也http://homepage3.nifty.com/coromai/少人数ながら高純度のアンサンブルに定評ある合唱団のコンサートです。松本は、東京からでもわずか3時間。合唱を聴きたい人も、サイトウキネンの残り香を嗅ぎたい人も(笑)松本に集合しましょう!
来る10月10日(祝)に金沢でコンサートがあります。室生犀星記念館の企画で、室生犀星の詩に作曲された音楽を味わおうと言うコンサート。このコンサートの編曲を4曲担当したので、ご興味がおありの方はいらしてください。(無料だけど先着申し込みが必要です。)僕も日帰りで金沢に直行する予定。 音で楽しむ犀星詩 ◆日 時 平成17年10月10日(月・祝)14時〜15時(開場13時30分) ◆場 所 泉野図書館オアシスホール ◆演 奏 オーケストラ・アンサンブル金沢メンバーによる弦楽四重奏 ◆合 唱 女声合唱団「杏(あんず)」メンバーほか ◆参加費 無料 ◆定 員 120名 ◆申 込 076−245−1108 (室生犀星記念館)、先着順http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/bunho/saisei/kikaku/index.htm曲目は◇犀川/磯部淑 作曲(女声合唱+弦楽四重奏)◇時無草/磯部淑 作曲(女声合唱+弦楽四重奏)◇かもめ/弘田龍太郎 作曲(メゾソプラノ独唱+弦楽四重奏)◇海浜独唱/畑中良輔 作曲(バリトン独唱+弦楽四重奏)の4曲(堀内貴晃編曲)と◇ふるさと/磯部淑 作曲(男声合唱)の1曲です。(原曲)#全て詩は室生犀星のもの。弦楽四重奏はピアノと全く違う表情が引き出せて面白い編曲作業でした。声と弦を合わせられるチャンスなんてそうそうないからね。
岐阜県の合唱コンクールに審査員と呼ばれて行ってきました。審査員という仕事は初体験。いつもは何かの曲なり演奏なりを聴いて好き勝手にあーだこーだと言っているものの、「審査員」として自分の評価がはっきり人に影響を与えてしまう立場になると、姿勢を正さざるを得ない。大人の団体でも懸命に練習してきた成果を他者からどう評価されるか、またそれによってより上の大会に出場出来るのか否かは一大事だし、ましてや中高生にとっては審査結果はその後の人生すら左右しかねないくらいに重く受け止められるはずだ。できれば全員に良い成績をあげたいと思う。とは言え、コンクールの場は(努力姿勢そのものに対してではなく)音楽の結果に対して優劣を決める場だ。何よりも適正な審査をしてあげたいと考えながら審査にあたった。審査される側(出演者)や第3者からの「この評価はおかしい!!」という声は、どんなコンクールにもつきまとうものだろう。「あの審査員は耳がおかしい」とか「○○合唱団とつながりがあるから評価が高いんだ」とか、「自分の趣味で点数を付けてる!」「自分の曲演奏すると点数が高いんだね」などなど・・・。善かれ悪しかれ、結果に対する印象は人間の数だけ存在するだろうし、そのこと自体は自由に意見交換されれば良いと思うけど、僕はこれまで、審査する側(=審査員)からの意見と言うのをあまり見聞きした事がない。今回、初めて審査する立場に立ってみたので、この機会に審査する立場で考えた事を書いてみておこうと思う。もちろんこれは「堀内貴晃という人間が初めて審査員を引き受けた時に考えた事」でしかないので、以下の文章は審査員の一般的/平均的姿勢を示すものでもないし、自分自身の考えも今後変わって行く可能性も多いにあり得る、という枠の中での文章です。一意見以上でも以下でもあり得ないのだ、という前提でお読み下さい。一聴衆としてコンクールを聴いていた時には、多かれ少なかれ自分の好みや趣味、主義を通した上で各々の演奏を楽しんでいました。多くの人もそうでしょう。「あの団体は完璧だけどツマラナイ」とか「失敗も多いけど暖かみが好き」だとか「選曲が悪くてもったいない」「様式感はないけど却って新鮮だ」とか。それはそれはいろいろ思います。でも、審査員としてそれを丸ごと適用してしまうわけにはいかないわけです。けれど一方で、音楽は絶対的な正解を出していけば魅力的なものになるというわけでもない。そこで、今回は技術点と芸術点を半々にして採点する事にしました。技術点は、発声、音とり、リズム、デュナーミク、テンポなどの、どの団体でも守らなくてはいけないような事。高音域でピッチがぶら下がったとか、不協和音を良く聞いたらテナーの音がずれていたとか、和音の配置を変えていた(実際にありました。単に音を増やせば豪華になるわけじゃないのに)とか、出だしが揃わなかった、切り方がずれた、ディクションが音符と一致しているかどうか、パートごとのバランスが著しくずれている、・・・といった項目はここで減点・得点します。従って技術点には全く僕個人の趣味・好みが反映される余地はナシ。芸術点は、曲の様式感を踏まえているか、楽譜の指示を楽曲構造の中で活かせているか、音色の狙いが楽曲の要求に叶っているか、詩のニュアンスが音楽の中に生きているか(音符を無視して詩の意味だけで迫っているのは△です)、フレーズの流れ方、奥行きは、アンサンブル力は、呼吸感は、会場の巻き込み方は、曲の面白さをリアライズしているか、演奏に魅力があるかどうか、・・・などの項目がここで減点・得点されます。こちらの方は多少自分の趣味・好みが関係した部分もあるでしょうが、基本的に「楽譜を出発点として」捉える事を主体としています。従って自分の好みの曲だから点数が高い、嫌いな曲だから点数が低いという事は全くありません。今回の場合は、課題曲と自由曲を5:5の比率で採点して欲しいという運営側からの要望。そして審査員(5名)それぞれが出した順位を集計して全体の順位を決めるという条件でした。合計順位が近接している場合は新増沢方式とかナントカ、最終順位を決める一定のルールがあるらしいけれど、それは全く僕の関知出来ない世界。順位とは別に金銀銅各賞の数は審査員で討議する項目だったので、演奏の内容や点数を見ながら、何位から何位までを銀賞にしましょう、と一通り討議しましたが、これは全部の演奏が終わってからの話。実際に採点にあたる為に、僕個人としては課題曲の技術点50/芸術点50。自由曲の技術点50/芸術点50。合計200点満点で採点して、終わってから点数に従って順位並べ替えという方法をとりました。ただし、技術点にしても芸術点にしても、どの水準が「平均値」であるかは全体を聞き終わるまではわかりません。だから各部門の最初の一団体を暫定的に「技術点30/芸術点30」と設定してから聴き始めます。明らかに「これはちょっと水準が・・・」という場合は、20点/20点に設定します。あるいは「こりゃスゲエ!」という団体が一番目なら35点/35点あたりに基準を設定。そうしないと後に他の団体との差異をつける余地が少なくなってしまうからです。そして、2団体目以降は1団体目の基準に照らし合わせながら演奏を聴いて、より上か下かを点数で出して行きます。けれど、全く機械的に点数を決められるわけでもないし、一つ前の団体の印象を全く消して次の団体を聴くこともできないので、数団体前の他の団体とも比較しながら、時には点数を修正します。団体Cは団体Bよりは点数が下がるけれど、でも団体Aよりは失敗が少ないからBとAの間の点数にしないといけない、・・・という場面もありますから。「最初につけた点数+若干の修正」で最終的な点数や順位が決まります。修正を要した場面は今回では3回くらいだったかな?上位団体は意外な位あっさりと決まったので、修正を要した場面はありませんでした。今回たまたまそうだった、というだけの事だと思いますが。よく「難しい曲(たとえば現代音楽)だったら評価が高いのか」「簡単な曲(たとえばクラス合唱の愛唱曲)だったら高い評価が得られないのか」という意見を聞きますが、そう単純に点数が出るものでもありません。難しい曲の場合は、難易度の高い曲をやっているわけだから、楽譜通りに音が鳴っていれば当然技術点はある程度高くつけてあげられるけど、よく楽譜を見ていると和音が少し違っていたり、リズムがくずれかかったりしている事もあります。そして、楽譜を再現する事で精一杯になってしまって、そこから先の音楽表現の領域が豊かでない場合には芸術点は低くつけざるを得ません。作曲家が狙い、目指した領域は、ロマン派の音楽などに比べて楽譜上にくっきり音型として表れている事が多いですからね。簡単な曲の場合は、楽譜通りに音が鳴っていればもちろん技術点は保証出来ますが、シンプルなだけに、(楽譜を読むまでもなく)ちょっとしたミスが目立ちやすい。そして、豊穣な音楽としてシンプルな音楽を響かせるためにはよほど充実した音楽性を持っていないと難しいでしょう。2小節のフレーズを歌う為にも力点を踏まえなくてはいけないし、全体構造として聴く側を納得させるのも至難の業。採点する立場から考えると「楽譜の要求している内容を実現出来るか」という一点のみから聴いていくので、結局は難しい曲でも簡単な曲でも、あるいは僕が好きな曲でも嫌いな曲でも、採点には関係ない、という事になります。果たしてそう簡単に割り切れるか?と思ったけれど、やってみたらスンナリ割り切れました。逆に言えば、その辺の尺度を曖昧にして好みに走ると、首尾一貫した採点なんてできなくなります。「少人数は不利なのか?」という声も聞きますが、別に大人数のfffばかりが音楽の魅力じゃありません。少人数でも人数に即した表現が実現されていれば高く評価できます。けれど、少人数だからfとffとfffの違いがない、pとppの違いがない、というのでは淋しいです。それは一人の人間でも表現し得る領域なのだから、絶対的な音量ではなく、相対的な音量の中でコントラストを聴きたいと思います。審査している時には、審査用のメモ用紙が与えられているので、団体ごとに全体的な印象を書いておいたり、○小節目アルト低い、×小節ザッツずれ、△小節fと▽小節pの対比弱い、◇小節fff頂点前倒し、とかなんとか沢山メモしながら聴いています。これがやってみると意外と大変。そのうち慣れるのかも知れないけど。楽譜を(自由曲は初見で)見ながら演奏を聴いて、減点/得点要素をバーっと書き出して、演奏が終わってからざっと計算して採点、という流れだから、好みの事なんて考える余裕がない、というのが正直なところです。因みにこの時のメモは、コンクール終了後の合評会という場で各団体の代表者に講評を伝える時にも使います。数を聴くとどの団体がどの演奏だったか、印象が混ざってしまいますからね。その日初めて知った団体ばかりだし。因みに各団体3分しか時間がない。10分くらいかけて書いた審査メモを3分で話さなくてはいけないので、メモした内容全部を伝えられるわけがなく、だいたいは全体的な課題(と、僕が思ったもの)を伝えて、その具体例として何ページの何小節のところでこうだったでしょう?、という事を話します。特に上の大会に進んだ団体はまだ曲の練習を続けるわけなのでより良い演奏になるように、と具体例を多く指摘してみましたが、果たしてどこまで伝えられたのか。直接レッスンする機会でもあればいいけれど、伝えっぱなしの場合にどこまで適切に伝えうるか。今後の僕の課題です。因みに、岐阜県の場合は合評会という形で伝えましたが、県によっては講評用紙にコメントを書き入れて渡す方式をとっているところもあるそうです。どちらの方式にも一長一短あるのでしょうが、審査された方からすると、審査員の審査姿勢を伺い知る機会にもなるだろうし、次の活動の糧に出来る場合もあるだろうし、なにがしかのコメントがある事はいい事なんでしょう。・・・以上が審査にあたって感じ/考えた事。しかし、これだけでは終わりません。なんと初審査員だったにも拘らず、この日はコンクールの全体講評を任される事になってしまいました。他の4人の審査員のみなさんはそれぞれに経験豊かな先輩だったので、僕みたいなペーペーが話す場面では無いと思ったんですが、断りきれずにズルズルと・・・。全ての演奏が終わって一刻も早く審査結果を知りたい!と思っている人が渦巻いている会場で話すのって難しいです。その日全体の課題として感じた「コミュニケーションとしてのからだ」の事を話させてもらったけれど、話が抽象的になってしまった。一番伝えたかった中高生に伝えきれなかったような気がして心残り。なのでここで補足しておきます。作曲家が楽譜を書く時には、多くの場合は何らかの表現なり意図なり、伝えたい事があって、その一つの手段として楽譜に書き、伝えようとするものだと思います。けれど、自分の耳や体の中にたしかに存在した具体的な音のイメージ(それは高さ、大きさ、長さ以外にも色、重さ、距離、温度、といった様々な要素をともなった現実的な一つの存在であると思う)は、楽譜に書く段階で「音の高さ、大きさ、長さ」という要素だけに絞られてしまう。espressivoとかdolceとか書いてなんとか視覚的に残せるものは残したいと思うけれども、それはやはり、最初にイメージされた音と同じではないのです。となると、演奏者の方では、書かれた音符以外に「抜け落ちてしまったはずの情報」を補って再現していかないといけないし、その補完の具合が充実していればいるほど、いわゆる「名演奏」に近づくというのが一般的なのではないかと思います。(中には作曲者のイメージを越えた名演奏、全く違う再現だけど面白い演奏というのもあるけれど、いまは検討から外しましょう)ではどうやって抜け落ちた情報を補えば良いのかというと、何よりも音楽的な経験や勘が働くかどうか、という事が大切になってくるでしょう。その音楽的な経験や勘はどこに結びついてくるかと言うと、人間としての根源的な生活体験に直結しているのではないかと、最近僕は考えています。頭の中にある知識や感情は人それぞれ違うかも知れない、身の回りにある電化製品も人によって様々。けれど、リンゴが重力で下に落ちる、葉っぱが風を受けながらゆらゆら落ちる、波が押し寄せてからゆったりと、泡を残しながら引く、太陽がゆっくり沈んで夜の帳がすっとそばまで忍び寄る、といった経験は、どの人にも共通している事で、ブラームスだってパレストリーナだって大伴家持だって共通していたはずです。(もう少し上手いたとえが出来ないかなぁ。)人間全てに共通する経験ならば、それを活かした表現というのは全ての人に共感して貰い得る要素にはならないだろうか。多くの人に伝わるならば、それだけ演奏を受け入れてもらえる素地に近づかないだろうか。直線的な表現が(多くの場合は)拙く思えて、曲線的な表現が(多くの場合)より豊かな表現に感じられるのは人工/自然の問題とは関係あるのではないだろうか?自然発生的に人と交わす会話は、拙い演奏よりずっとずっと表現力に満ち満ちていていると、僕は思います。その言葉/動きの背景にはその人本人の存在と不即不離の裏付けがあるから。優れた音楽ならば、そうした会話よりも雄弁に、しかも言語では成し得ない領域の表現を掬い上げるものでしょう。が、現実問題として、日常生活する中で行っている表現ほど雄弁に音楽の中で「語る」事はとても難しい。・・・ここから先は整理しきれていないのでメモ書きに変わりますが、例えばひとくちに5kg。と言っても、鉄アレイ5kgと綿菓子5kgだと、手に持った時の実感が違うでしょう。5kgの人間の赤ちゃんと、5kgの猫と、5kgのヘビだったら、どれもダッコするときの手つきが違うのでは?それを、多くの人は今までの経験から推測出来る。ヘビを持った事が無い人でも、嫌いな人ならビクビクやっとの思いで触るだろうとか、なんらかの想像ができる。同様に楽譜にfと書いてあったなら、それを多様に解釈出来ないだろうか。小声をマイクで拾ったf、1000人で抗議の声を上げるf、一人で山で叫ぶf、サプライズプレゼントの喜びに、思わず声を失った「!」というf。pなら、今にも死にそうな消え入るp、緊張感みなぎった忍び足のp、はるか遠くでお祭りのどんちゃん騒ぎをやっているp。それらをたくさん(極端に)実験しながら組み立てて行く事で、「絶対これが正解!」と思えるような表現に出会えないだろうか。音楽経験豊かな人ならば、音符の組み立ての中から想像する事も可能だけど、そうでない人/団体であっても、fの出し方をあれこれ50種類くらい試してみたら、その中に「これが一番いい!」と直感出来る表現が見つかるのではないだろうか。一部分でそれが決定したら、それを前後の部分とつなげて演奏してみた上でもう一度検討する。それを繰り返して行く事によって、楽曲全体と団体とがうまくツボにハマって合致するポイントがあるのではないだろうか。それを「歌う事」、そして「聴かせる事」両面で実現出来ると、実力が変わらなくても音楽的説得力が圧倒的に増えるのではないか。そんな気がする。特に合唱という、人間の集団そのままの表現が直接表出される媒体においてはそれが効果的なのではないだろうか。演奏している側も、聴いている側も、断然面白く音楽と生活を結びつける事ができると思う。そして最後に一冊の本を紹介。興味のある方は読んでみて下さい。表現として演奏を面白くする為にどうすれば良いか、という事を具体的に気づかせてくれる本だと思います。アマチュアはもちろん、音大学部生くらいまでは充分読む価値がある内容です。リンク先では今は品切れ中のようですが、楽器店等の在庫はまだ見つかると思います。「生きた音楽表現へのアプローチ—エネルギー思考に基づく演奏解釈法」保科 洋 (著)/音楽之友社(刊)1998年定価3990円
加賀取材2日目。(自分のためのメモを兼ねて。)今日は昨日より早く朝8時にホテルで待ち合わせ。というのもTさんに近江町市場を見て頂きたかったからだ。朝の活気のある市場を期待して出かけた。のに、意外にも近江町市場の朝はゆったりしていた。どの魚屋さんも、ようやくその日の仕入れを陳列し始めている段階。食堂に至っては殆どが開店していない状態。(市場の中で食材を仕入れてから開店するからだろうか?)けど、それでもやはり、動き始めとは言え市場の活気には元気づけられるものがある。時々試食の商品を店のおじさんにもらいながら市場を一巡。僕にとってもこれだけじっくりと食材を見ながら市場をまわったのは初めての事だった。その後、お麩の名店不室屋に寄り、尾張町を抜け、浅野川をわたって東茶屋街まで歩く。金沢の中でも特別に風情溢れる地域です。ひととおり散歩するだけでも時間の流れがゆったりします。東茶屋外街を見終わった後は菓子文化会館と、隣の金沢蓄音機館を立て続けにまわる。どちらも少し駆け足気味になったのが残念。次のチャンスには時間をかけてじっくりまわりたい。そしてその後は近江町市場に戻る。10時半を過ぎていた。この頃には先ほど閉まっていたお店も殆ど開いていて、普段どおりの活気ある市場の顔をしていた。そして早めのお昼というべきか遅い朝ご飯と言うべきかわからない刺身定食を頂く。魚もウニもとにかく甘い。東京ではなかなかこういう味にはありつけない。近江町の後には柿の木畠の「うつのみや本店」へ。Tさんは作詩のための資料として郷土の本を大量に買っていらっしゃった。(今回は新書店にしかお連れできなかった。古書店にもお連れすべきだったかも知れない。)30分ほどで本を購入した後、ホテルに一旦戻る。そしてホテルでNHKの記者Aさんと会う。Tさんが以前に別件の取材でお会いしていたAさんが今は金沢勤務。それでお会いする事になった。Aさんの話し振りの、あまりに完璧な応対に驚く。そのまま教科書にしても良さそうな素敵な話し振り。「仕事柄しっかりしている」という水準を遥かに超えているような気がする。世の中には凄い人がいるものだ。20分ほど話しただろうか。後に予定があったのAさんを見送る。そして午後からは、Mさんの運転する車に乗せていただいて、ずっと白峰村の方まで案内していただく事になる。まずは金沢市内から白峰村まで。その後、用事を果たしながら順に金沢まで戻ってくるコース。白峰村(現在は白山市白峰)ではUさん夫妻のお宅にお邪魔して、白山についての話をいろいろ聞かせていただく。招き入れて下さる時に「うちは2階暮らしなもんやさけ申し訳ないけど・・・」と2階に案内された。何だろうと思っていたら、その後理由がわかった。白峰のあたりでは雪が降ると1階部分が埋もれてしまうのだそうだ。だから生活の中心が2階になる、と。どこかで聞いた事もあったかもしれないが、すっかり忘れていた。リアリティのともなわない記憶はかくも脆いもの。Uさんの話もさることながら、人柄にもすっかり魅了された。穏やかで、本当に二人仲良く一緒に時間を過ごしているのが伝わってくるような気がする。自分も年をとってこういう夫婦でありたいな、と思う。Uさんのお宅の後は林西寺へ。以前は白山の頂上にあったと言う仏像を見せてもらう。とても長い間山野頂上にあったとは思えない、深みのある鈍い輝き。下山後に手入れしたのだろうか。腕のラインが見事だった。その後白山ろく民俗資料館へ。閉館直前だったのでゆっくり見る事はできなかったが、牛首紬(うしくびつむぎ)の製造工程を見る事ができた。機織りのリズムが印象的で、まだ頭に音がこびりついている。それにして、機織りの原理ってどうなっているんだろう。どの作業がどんな結果に繋がっているのか、じっと見ていても全くわからなかった。次は白山恐竜パーク白峰へ寄ったが、既に閉館。ただ、みやげもの屋さんは営業していたので少し資料を買う事が出来た。県外の人にはあまり知られていないかも知れないけど、このあたりからは恐竜の化石(の一部)が見つかっているんです。僕も小さい頃、父に連れられていって何かの化石を崖からとってきた覚えがあります。今は採掘禁止らしいので、きっと禁止される前の話です。そして少し手取川ダムへ寄った。ダムだけではないのだが、Tさんによると「金沢は水が豊か」なのだそうだ。僕は金沢が基準になっているのでそんなことを考えた事もなかった。やはり客観視する/されるという事は大切だ。次に向かったのは白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)。表参道からずっとアプローチを歩くと、木々の息吹を感じるよう。若々しい息吹ではなく、老成した大きな呼吸の息吹。それが神聖な場所であることを強く意識させる。拝殿の屋根には菊の御紋がしつらえてあった。何か天皇家の縁があるんだろうか?伊勢神宮と関係があるような事は説明書きに書いてあったけど・・・。丁度、宮司さんの勤務(?)が終了したようで、制服(?)のまま車に乗って帰宅していくのが見える。これは見ない方が良かった(笑)。そして再び表参道を降りて、今度は金沢へ。金沢での晩ご飯は「香林」というお寿司屋さん。Mさんの配慮でご馳走になった。(ごちそうさまでした)ネタが甘い!そしてちょっとずつ手をかけてあって、過不足無くおいしい。その上値段も適切とくれば、地元の人に愛用されるのもわかるような気がする。検索してもあまり出てこないということは、マスコミにはさらされていないお店なんだろうか?晩ご飯のあと、まだ時間がありそうだったので再び東茶屋街へ。夜は夜の風情がある。昼間は気づかなかったが、版画家クリントン・カーフさんの作品がディスプレイしてあるお店があった。あまりガイジンらしくなく、また日本人らしくもない作風が面白いと思う。絵はがきがあるようだったが、閉店後で買えなかったのが残念。その後は武蔵ヶ辻のスターバックスでコーヒーを飲みながら、Tさんとこれから作る作品について話す。今回、Tさんの中には種になる何かが芽生えたようだ。僕は詩になるのを待つしかない。そして詩が出てきた時に、その詩に寄り添うような音を生み出せれば、と思う。今回の取材はこれで完了。けれど、これから1年かけて四季折々の様々な風景をTさんには体験していただかなくてはいけない。一度では見えなかったものも回数によって見えるかも知れないし、何度見ても変わる事のない姿を再確認する事もまた必要なのだと思う。
新曲のための加賀取材1日目。(自分用のメモも兼ねています。)9時にホテルで待ち合わせて、案内のIさん、詩人のTさんとともに出発。詩人のTさんは石川県に来るのは全くの初めてだったので、基本はTさんに初めての土地についていろいろ知ってもらう事を目的として一日動く予定です。まずは石川城へ。入場料を払って五十間長屋に入ると、当時の建築の様子がよくわかるように整えられています。CGで建物の組み立て過程を紹介したりしているのですが、このCGが意外とよく出来ています。こういう観光地のものってもっと安っぽいイメージがあるんですが、とても充実した作りのCGです。その他にもいろいろと当時の建築法や城の存在意義について紹介があります。菱形の柱が興味深かったなぁ。この技術を最初に考えた人はすごい。お城を見た後は後は日本三名園の一つ”兼六園”へ。いつの間にやら夫婦松の「夫」の方が虫にやられていなくなっていました。未亡人となった「婦」の末の寂しそうな姿が印象的。木は、ともすると悠久のもののように思えますが、木の時間感覚の中でたしかに生きているんですね。それを再確認させる出来事。そして「女がずっと元気で、男は先に病気で死」という構図は男性にとって身につまされるものがあります。これは自然界のことわりなんでしょうか。兼六園を一通り見て、お昼を頂いてから、Iさんのご自宅へ招いていただいた。とても素敵なお庭のあるお宅で、良い風が入る。小鳥が呼び交す声まで聞こえてきて至福の時間。Iさんからは「いのち」についてとても示唆に富んだ話を聞かせていただいた。年の功と言って良いのかどうか、Iさんの話は一言一言含蓄があって考えさせられる。その後、詩人Tさんのリクエストで僕が一番好きな金沢の風景を見にいく。「この町で一番好きな風景は?」なんて発想で考えた事がなかったから、最初は戸惑ったんだけど、少しして一つの風景が浮かびました。高校の頃によく見ていた風景。それは学校を出て、平和町と寺町を通って、妙典寺の手前を右折して桜橋まで降りていく坂(新桜坂というらしい)の風景。自転車に乗って立ちコギしながらこの坂を降りていくと、お寺で遮られていた視界が急に広がって、犀川や遠くの山々、それから金沢の街が一気に目に飛び込んでくるんです。この風景が大好きでした。今回はデジカメでの撮影を忘れてしまいました。撮っておけばみなさんにもご覧頂けたのに、残念。観光客は普通見ない、かなりマニアックな風景だと思います。是非今度金沢に観光で行かれた折りにはご覧あれ。そしてこの新桜坂を見た後は松任市のC.C.Z.まで海岸風景を見に行きます。CCZというのはCoastal Community Zohn(=沿岸共同体地域。)の略。「シーシーゼット」が何の略なのかは地元民の多くには知られていないようですが、要は温泉やフードパークなどが海岸に併設されているわけです。丁度沈みかけた夕日がきれいでした。夜の帳が下りはじめる風景を久々に見た気がします。CCZを後にして、次はTさんが(暗に)頼まれたおみやげを買うために芝舟小出(※音声注意)の本店へ。8時くらいまでは営業しているかと思って7時15分に着いたら、もうお店は閉まっていました。7時までだったんですね。でも、わざわざ金沢に来たTさんのためにも、なんとしても本店の芝舟を買いたいところです。ダメもとでインターホンを押してみたら、残っていた社員さんが快く対応して店舗の方に案内して下さいました。おかげで《本店の》芝舟を入手。小出さん、本当にありがとう。そしてTさんの希望(このブログの以前の記事を読んで興味を持たれたらしいです。)で工大前のカレーのチャンピオンへ。チャンピオンの味は健在でした。Tさんにも気に入っていただけたようで良かった。お陰で僕もカレーを堪能。満腹感のままにTさんをホテルまでお送りして、明日の行動予定を確認して、今日の取材はここで終了。続きはまた明日。
昨日の練習を経て、今日は第1回「新しい風」コンサート。「新しい風」というこのコンサートシリーズは、子どもから老人まで誰もが口ずさめるメロディ(昭和の頃にはたくさんありました)の魅力を再確認する事を目的とした五木寛之プロデュースコンサートのシリーズ名、ということらしい。本番は午後2時からだったので、開店直後の靴屋さんに駆け込んで、新しい靴を即決購入して(本当に目に入った靴を選んでサイズを確認しただけ)、その場で昨日壊れた靴から履き替え、11時過ぎに会場入り。会場の金沢市アートホールは高校の頃に歌い手で出演した事もあるし、その後は自分の楽譜を何度か演奏してもらっているホールで、愛着があります。キャパシティは300人と決して多くはないのだけど、その小ささ故にステージと客席に距離感が生まれず、アットホームなコンサートを作るにはうってつけ。ホールが出来た当時はステージに透明の壁が一枚あるような感じで、音像の遠さが気になるホールだったけど今回は全然気にならなかったな。時間が経ってホールが落ち着いてきたという事でしょうか。リハーサルの後に1時間くらい余裕があったので、髪を切るべく金沢駅の周辺を歩きまわりました。今回は最後にステージに上がらなくてはいけないのに、2ヶ月も伸び放題の頭だったので人前に出ていいような状態ではなかったんです。でも、適当なお店が見つけられなかった。10分1000円とかのお店が見つかれば多少マシな頭になれたのになぁ。残念。普通の美容室に入るような時間はなかったので結局諦めました。ステージで一緒に並ぶのは頭髪豊かな五木先生とY先生だからまぁいいか、と自分を納得させながら。コンサート本番は上々の仕上がりでした。「大河の一滴」「燃える秋」の2曲の演奏(金沢カペラ合唱団)もうまくいったし、お客さんの反応もとても良かったように思います。曲目・演奏と客層が丁度マッチしていたのでしょうね。Y先生の盛り上げ上手(演奏・進行ともに)もあって、最後まで一直線にベクトルが上っていくコンサートとなりました。編曲は五木先生にも気に入っていただけたようで一安心。原曲にはない素材をふんだんに盛り込んだアレンジだったので、「自分の狙いと全然違う」なんて言われたらどうしようかと内心ヒヤヒヤしていました。・・・考えてみれば、僕は同じような事をいつも演奏者に対してしているのですね。少しその立場の気持ちがわかったような気もします。コンサートのあとは楽しい打ち上げ。そして打ち上げを途中で辞して、別の打ち合わせのためにKKRホテル金沢へ。委嘱グループのみなさんと、わざわざ金沢に来ていただいた詩人Tさんとで新曲の打ち合わせ。明日からの現地取材のためにいろいろと話をしました。そう、2007年に初演する新曲のために明日、明後日は加賀を取材してまわるのです。その取材の模様は、明日に続きます。
朝までかかって楽譜を書いたり校正をしたり。そしてその足で電車に飛び乗って越後湯沢経由で金沢までやってきました。13時すぎに金沢駅に到着し、金沢駅東口に最近出来た、センスを疑う建造物に唖然とした。なんと表現したらいいんだろう。設計者には誠に申し訳ないが、この建造物は中途半端以外のなにものでもないように見える。ガラスのドームと、全く不釣り合いな木造の巨大門。あまりに不釣り合いなので、政治的な問題で別々の建築家に設計依頼したのかと思った。駅から出て来たポジションからは、ドームが邪魔をして門の全容が見えないんだもの。(でも、あとで現役金沢人に尋ねたら同一人物の設計だと返事が帰ってきた。ますます理解不能。)うーん、詳しい事情が全く解らないんだけど、金沢人は都市の玄関にバブルの負の遺産を構えてしまう事になったのだろうか。駅前の地下街も、他に有効な利用方法があるだろうに。「ハコモノ行政ここにあり!」宣言を見てしまった気がする。そんなわけで、いきなり出端を挫かれたかたちになってしまいましたが、その後は濃密に動きました。まずは駅前の県立音楽堂内で某氏とミーティング。とある企画があって、そのための編曲を5曲書く事になりました。先につながってくれると嬉しい仕事。8月に動きます。その後は某先生に再会。こちらもミーティング。こちらは今月中に動かねば。ウォルトンはけっこう面白そう。ミーティング後に実家に寄って、荷物をおいてその足で外出。父の日のプレゼントを買った。そこで、履いていた黒靴の先が割れて壊れているのに気付いた。漫画みたいに右足のつま先がパカパカ開閉している。明日ステージに立つのにこれはまずい!と靴屋さんに入ったが気に入る(財布につり合う)靴がなかった。明日なんとかしなくては。そして某友人と夕食。近江町市場の中にある「近江町食堂」で海鮮丼を食べる。おいしかった。満足。満腹になったところで合唱団の練習に向かう。明日のコンサートの曲を聴かせてもらう。初めて聴く合唱団だったが、とても技術的にクオリティの高い団体で安心した。明日はホールでどんな演奏をしてくれるだろう。期待。練習後に実家に帰ってきた。そろそろ睡眠欲が限界に高まってきたのでこの後にぐっすり眠る。予定。
今日は神戸愉樹美ヴィオラ.ダ.ガンバ合奏団の練習にお邪魔して、24日に演奏してもらう「亡き王女のためのパヴァーヌ」の編曲の確認。ヴィオラ・ダ・ガンバ用に楽譜を書いたのは全く初めてだったので、どうしても音の実感を掴んで書く事が出来ない。そこで実際に楽譜を音で確認する時間を作ってもらって編曲がどういう響きなのかを耳で確認したのです。彼女達は本当に練習熱心。この音をこう変えたら、このパートを入れ替えたら、といった提案に全て即座に応えてくれました。そうやって最善の響きを選んで変えていった楽譜は、作曲家の一般的な観点で言う「良いスコア」とは違う楽譜ができあがるんですね。「こんな書き方していいの???」と思うような書き方をした方が良い響きだったりして全く不可思議です。ヴィオール族とヴァイオリン族が似て非なるものだからなのかもしれません。何度繰り替えしても「見た目がヘンなスコア」を書く事に対する抵抗がなかなかぬぐい去れないのですが、当然音楽にとっては「良い楽譜」よりも「良い響き」が優先されるべきです。そのために実にたくさんトライ&チャレンジを繰り返してもらいました。こんなに丁寧に音だしして貰えたのは初めての経験かも。本当に幸せです。おかげさまで最後には、初稿より格段に響きの良い楽譜が出来上がりました。多少はガンバの響きの実際を学べたような気がします。これほど「群」としての響きが優先されるアンサンブルって他にあるのかなぁ。演奏がピタッとうまくはまった時の響きは、まさに天上の響きと言う感じ。24日(金)に御都合の良い方、ぜひこの響きを確かめに近江楽堂(オペラシティ内)までおいで下さい。「亡き人を偲ぶ」というタイトルで、19時から。
古本屋に注文していたクレーの日記(パウル・クレー 著, 南原 実訳/新潮社、絶版)が届いた。出掛けに届いてしまったので少しめくってみた程度だが、想像よりも分量があるなぁ。だいぶマメに書き綴っていたようだ。パラパラめくった中にも「ブゾーニの弾くショパンのエチュードOp.25が素晴らしい」とか「ドビュッシーのペレアスとメリザンドはヴァーグナーの歿後のオペラの最高傑作だ」とか今は歴史となった時代の証言が垣間見えて面白い。かなりコンサートに通っていたようだ。「この仕事は私の仕事ではないからやれなくても惜しくはないが、もしやったら経済的にはだいぶ助かっただろう」といった記述も見えた。若い頃の生活ぶりも見えてきそうだ。読了までは時間がかかるだろうけれど、自分自身の思考を整理するためにも折に触れて読み進めたい。特に芸術、創作に関わる思考態度が示唆を与えてくれそうな気がする。本当は造型思考の上と下(絶版)も読んでみたいんだけど、これはべらぼうに高い古本しか見つけられなかった。何年か前に古書市で良心価格(たしか上下2冊で5000円くらい)のものを見かけたような気もするのだが、その当時は購入するほどの興味が無かった。ああ、後悔先に立たず。どなたか、良心価格で譲っても良いよ、という方いらっしゃいましたらご連絡ください。涙を流して喜びます。
移動の途中に池袋のヤマハに寄った。新刊で出ているはずのバッハ平均律クラヴィーア曲集 第1巻~演奏のための分析ノート~(土田英介著/音楽之友社)を買いたかったのだけど、理論書のコーナーを見ても見つからない、作曲家評伝のコーナーにも無い、それならと思ってバッハのピアノ曲のコーナーも見てみたのだけど見つからない。(そのかわりにバッハ インヴェンション―分析と演奏の手引き(小鍛冶 邦隆, 中井 正子著/ショパン社)を見つけてしまったので資料用に購入)結局見つけることが出来ずなかったので、店員さんに書名を告げて探してもらった。そしたらさすがは店員さん、すぐに見つけて持ってきてくれたので無事に購入できた。購入できたのは良いのだけど「バレエ音楽」の棚からこの本が出てくるというのはいかがなものか。インヴェンションの分析本はピアノ楽譜のバッハコーナーに置いてあるのに、平均律クラヴィーアの分析本はバレエ楽譜のコーナー?まさか今バレエ界で分析的なバッハ演奏を使って踊るのが流行っているのでもないだろうし、やっぱりこれは店の不勉強か、棚スペースの都合が理由なんだろうか。ユーザー不在。もう少しなんとかならないものですか。<ヤマハ池袋店様