Who is afraid of 20th Century Music? BOX20世紀音楽なんて怖くない、とでも訳せばいいのかな。現代音楽なんて、と置き換える方がもっと直感的でいいかも。作曲をやっている人の中にすら現代音楽聴かず嫌いで、現代音楽に対して「あんなヒュードロドロなものはイヤ」と言ってしまう人がいる。一部の前衛音楽はそう思われてしまうのかもしれないし、(演奏も含めて)質の低いもの、効果ばかりつなげたようなものは、たしかに聴いていて面白くない。でもそれは現代音楽に限った話じゃない。どんなジャンルでも一定数のクダラナイ、つまらないものは含まれているはず。で、このボックスは現代音楽聴かず嫌いな人に良いかもしれない。耳あたりのいい曲が並んでいるし、中には新鮮に聴けて楽しめる曲も見つかるだろう。これをきっかけにしてもっとコアな現代音楽を聴いてみたらどうだろう。逆に、現代音楽を聴き慣れた人にはモノ足りないかもしれない。けど、ショスタコーヴィッチのポルカを聴いて彼の技量にニヤッと驚き楽しむのもいいかもしれない。こういう企画を毎年、それもジルベスターコンサートで続けてきたMetzmacherに拍手というところ。(聴衆が実に嬉しそうに反応するのだ!!)演奏の水準は、残念ながら万全ではない。曲によってはオーケストラの機能的な限界が見えてしまう。でも、指揮者によってよく方向づけられた演奏なので不用意に場違いなパートが混入するようなことはきわめて少ない。僕の使い道はBGM。いろんなスタイルの曲がどんどん流れてくるし、気軽ではあっても一流の作曲家の曲ばかりで、軽さに裏打ちされた質の高さに心躍らされる。
合唱連盟の機関誌「ハーモニー」のための解説原稿ようやく完成。完成を急がなかったのもあるけど、足掛け一ヶ月か。結構慎重。初稿をまとめてから、何人かの知り合いに原稿を送ってコメントを頂いて、それを反映させて改稿。さらにしばらく熟成醗酵させてから手直しを数度。という、まことに手間のかかる事を進めていました。それだけ手間をかけたところで、基本的な文章力がある訳じゃないのでいいものが書けたという気はしない。また一方では、基本的な文章力がある訳じゃないのでせめて手間をかけてチェックは厳重に、という気持ちもあります。まぁ現時点、現状の中での最善という事。今回の原稿には原稿料が出ます。「作曲料」「編曲料」というのはそれなりに貰う機会も増えてきたけど、文章に対して「原稿料」なるものを頂く機会は非常に少ないので未だに違和感あり。
神戸愉樹美ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏団のホームページが最近できたのでお知らせ。現代モノのコンサートに行くと、この団体の新作初演コンサートのチラシが折り込まれたりしているので存在は何年か前から知っていました。手書きで味のある、中央線文化の香り漂うデザインに統一されたインパクトあるものなので、パッと見て「あ、いつもの団体だ!」とわかるように工夫されています。どなたが書いていらっしゃるのかな、チラシだけでも愛着を持てるなんて、他ではなかなか見かけません。コンサートに行けたのは今までで一度だけ。去年の11月。でも、その一回ですっかり魅了されました。クラシックの弦楽四重奏とは全然違う響き。明るくて伸びやかで、清らかな音。「物足りない」という種類のものではなく、全く違う表現領域を持ちうるだけの、別個の世界が確立できそうな魅力的な響きの合奏でした。そしてコンサート後に彼女たちのCD"Buffet delle Quattro Viole da Gamba"を購入。つまみ食いのようにいろんなスタイルの曲が楽しめて、ヴィオラ・ダ・ガンバの様々な魅力が垣間見えます。この中では佐藤容子さんという方(僕は全然存じ上げない名前だった)の曲が一番新鮮な発見。楽器や編成の魅力を自然に引き出していてとても心地よいです。こういう泰然自若とした曲を書ける人って男性作曲家では思いつかないなぁ。女性ならではの姿勢が反映されているような気がします。他の曲では、ルネサンスや古い時代のものが秀逸。このCD、これまでに結構な回数繰り返して聴いています。作曲の人向けにはヴィオラ・ダ・ガンバ 作曲家のための手引書という冊子がオススメ。具体的に楽器の奏法上の基本から可能性までが書かれています。通常の管弦楽法の書籍がカバーしていない楽器については、こういう「奏者の側からの手引き」というのはありがたい存在ですね。
僕は10年来の花粉症持ち。毎年今くらいの時期から夏前までは目のかゆみと鼻水のために集中できない日々が続きます。だからこの時期は、作曲も他の仕事もはかどらないと言ったらありゃしない。これまでは対策として、なるべく屋内に引きこもったり外出のあとは洋服を払ったり、手洗い目洗いうがいを励行したり、甜茶ヨーグルト紅茶コーヒーその他、いろんなものにチャレンジしましたが今ひとつ効果なし。で、そんな花粉症生活に終止符を打つべく、今日お医者さんに行ってまいりました。ネットで検索すると、全国的に有名(らしい)お医者さんが近くにいることがわかったので、そこに行ってみる事に。大人気だっていう記述も見かけたから一応覚悟して、朝9時前に到着。ところが、その時点で100人以上の順番待ち。受付によると「今からだと夜11時頃の診察になりますが良いですか?」だって。電話で診察の進行具合の案内をしてくれるそうなので、夜に出直す事にして申し込みをしてきました。受付番号119番。そして夜。再び医院に行ってみると、待合室には患者さんがいっぱいで、朝と変わらない風景。幼稚園くらいの小さな子までいます。深夜だというのに大変だなぁ。僕の診察が終わった11時半にも、まだ診療を待つ人が10人以上いました。さらにその後の人もいるのかもしれないし、最後の診察が終わるのはいったい何時なんだろう。医師一人で連日朝から深夜まで、よく続けられるなぁ。尊敬してしまいます。僕の症状も見て貰いました。発症の時期から考えると、スギ以外にもイネの花粉の疑いがあるんだって。正確なことは検査しないとわからないということで、血を抜いてもらってきました。次は2週間後。予約はできないので、再び朝と深夜の2回通う事になりそうです。とても的確にわかりやすく説明してくれる先生だったので、そこまでしてでも通いたい人が多くいるのも納得です。「花粉症よさらば!」と言える日を早く迎えたい・・・。
映画の日だったので、妻と二人、近所の映画館へ。先日公開されたオペラ座の怪人を見てきました。ミュージカル版はまったく見た事が無く、予備知識と言えばパイプオルガンの半音進行のモティーフを聴いて知っていただけ。(余談だけど、あれは牧神の午後への前奏曲からアイディアを拝借したんだろうか?あれをゴージャスにffで鳴らすっていう発想はあまりに大胆で、パクリっぽくない巧いパクリだと思って聴いていたけど、本当のところはどうなのかな)で、映画の方ですが、途中まではそこそこ楽しめたものの、途中から音楽のヴァリエーションがかなり限られているのが気になって、退屈してしまいました。曲やモチーフが循環するのはまだいいけれど、その盛り上がり方やアレンジがいつも数種類の選択肢の中でシフトしているのが、どうしても長尺の映画のBGMとして聴くには辛い。何度も聴かせるには、それなりの変化を施して新鮮味や奥行きを保って欲しかったなぁ。尤も、これをミュージカルの舞台で聴いたら印象が違うのかも知れないし、映画版がどれくらい原作を再現しているのかも知らないから、全否定するつもりはないんだけど、あの映像や演技と一緒に楽しむには、ちょっと辛かった。全体の7割くらいはクライマックスを聴かされていた印象。筋の展開や演技を舞台風なままにしてあったのは、ミュージカル版ファンへの配慮なのかな。そのまま映像で見るとまどろっこしく、舞台じゃないんだからバッサリ切っても問題なかろうと思うところもチラホラ。それも音楽への飽きにつながっているかもしれません。こちらがスピーディな展開に慣れてしまっているだけかな。オペラ座の雰囲気がとても生き生きと描かれているのが見ていて心地よいし、冒頭での、カメラが鳥瞰的な視点から地上に降りてくるシーンは美しくて、期待を抱かせるに充分な導入。そして映像はいつもきらびやか。豪華な雰囲気を味わえます。妻は好印象だったようで「少なくともハウルよりは面白かった」と言っていたし(たしかにハウルは・・・)、好きな人が多くいるであろうこともわかる。興味のある人は見ておいて損はないと思います。ただ、僕みたいな見方(聞き方)をしてしまいそうな人は、是非、忍耐力のある時にチャレンジすることをオススメします。
今月末の締め切りで、シューベルトのロザムンデの「羊飼いの歌」を編曲している。原曲(合唱+オーケストラ)を合唱+クラリネット+ピアノに書き換え。楽譜を見た感じでは特に大きな凹凸もないシンプルな曲だけど、やっぱりシューベルトはすごい作曲家だなぁ。単純な和音でも充分に聴かせてしまうんだから。今回のアレンジでは、オーケストラの中にとけ込んでいるクラリネットの存在を、ピアノの中でどう浮立たせないかがポイント。(多分)今日の作業で大体4/5まで終わった感じか。残りはあと少し。
月末に向けていろんな仕事が重なっているので、今日は夜中まで仕事してます。で、作業のBGMに何かやってないかなぁと、テレビをつけてみたところNHKで「世界の民謡」なる番組を流してました。さっきからずーっとモンゴル民謡が、モンゴルの風景と一緒に流されています。これが、実にシンプルで、和音で言えばIしか出て来ないような音楽。稀に出てくるVも経過的な使用だけ。でも妙に味わいがあります。ホーミーも流れてきますが、ホーミーじゃないやつが意外にいいなぁ。シンプルで周期も短いけれど、音楽のスケールは大きいです。夜中にちょっとした発見。
逃れの森の魔女(作:ドナ・ジョー・ナポリ /訳:金原瑞人・久慈美貴 /青山出版社)を読了。いやぁ、面白かった!誰もが知っている「ヘンゼルとグレーテル」を下敷きにした一種のパロディなのだけど、実にクオリティが高いです。パロディとは言っても、ヘンゼルとグレーテルの話を進行しながらデフォルメしたり、茶々を入れたりして面白おかしくしているわけではありません。本来の話の前に壮大な前置きを置いて、前置きそのものが本編になるくらいの世界を構築する、そして話の結末に従来の「ヘンゼルとグレーテル」を持ってくる事であっと言わせるシカケが浮き彫りになってくる・・・。よく考えたなぁ!すげー!と、ポンと膝を打つような面白さ。童話の世界を、まるごとひっくり返したような視点で見せてしまうんだから。すげー。これを読んでしまうと、今後は普通の童話を読んだって「悪い魔女が森に住んでいました」も「怖いオオカミがこちらを見ています」も、素直には受け入れられないだろうな。何もしていない段階で勝手に「悪い」「怖い」と説明してしまう著者に疑問を抱くようになる、ハズ。
合唱連盟の機関誌のために、課題曲の楽曲解説を書かなくてはいけない。で、数日前から少しずつ書き始めているんだけど、これが、思いのほか難しい。紙幅は2000字貰ったので充分だと思っていたけど、何も考えずに書いたら2000字なんてすぐに超えちゃうんだね。そして、それよりも問題なのは中身。視点をどこに置いたらいいんだろう。楽曲分析的な事を文章で書こうと思ったら、瞬く間にものすごい文字数になってしまうし、僕以外の人間が楽曲分析してもほぼ同じ結果が出てくるんだろうから、自分の曲について自分で書く意味は見いだせない。人には解き明かせないような複雑な理論では書いてないし。極めて直感的。演奏のアドバイスをするにも、極端なことを言えば「楽譜通りに演奏して下さい」まで短くすることもできるし、逐一細かく書いていけば10000字やそこらは簡単に超えるだろう。そうなると平均値を書いたり「少なくともここだけは」というポイントを書いたりになるんだろうけど、「みんなを対象にした文章」って、却って「誰にも有意義でない文章」になりそうで怖い。作曲動機なんかを書けば、少なくとも僕一人には意味があるんだが、果たしてそれを書いて音楽的な意味があるんだろうか。読む事でモチベーションが出る人はいるかもしれない。けど、その一方で全く見知らぬ人たちがいい演奏をしてくれる可能性もあるわけで、やっぱり作曲家は楽譜で伝えねば、なんて思ったりもする。そういうことをああでもないこうでもないと、うだうだ考えながら書いているうちに、あっという間に時間は過ぎていく。早いところ書き上げて次の仕事にかかるのが正しい、ということはわかっているんだけど。もし、うまく2000字に収まらなかったら「続きはホームページにて」と締めて、続きをこっちに書こうかしらん。それならいくらでも細かく書けるな。
今日、たまたまネットで上映情報を見つけてしまったので、衝動的に新宿のテアトルタイムズスクエアまでベルヴィル・ランデブーを見に行った。15:30の回。結果。大当たりです!これは面白かった!大胆な人物のデフォルメがまず目につくけれど、ディテールに至るまでとにかくイマジネーションが尽きる事を知らない!という感じで、ニヤニヤ/ニコニコしながら一気に見終えてしまった。このヴィジュアルの素晴らしさはなんだ!古さと新しさの絶妙なバランス!ストーリーは、まぁ定番的と言えなくもないかもしれないけど、肉付けの巧みさで全く古さを感じさせないし、劇中で扱っている音楽ネタも納得。BGMも全編素晴らしい。(ショウのための音楽って、本来質の高いものだったのではないだろうか)これは、2回目も是非見に行きたい。これから全国で公開されていくようです。後悔の無いよう、足を運ぶ事をお勧めします。 Read the rest of this entry »