詩人の高塚かず子さんから嬉しい贈り物。「女性たちの現代詩」という6月に出た新刊本に高塚さんの作品が所収されていて、その中の彼女のプロフィールに少し「猫祭」のことも触れてあるので、ということで送ってくださった。josei「日本100人選詩集」という副題でわかるように、この本は日本の女性詩人100人のアンソロジー。「現代詩」なので、金子みすゞとかは入っていない。殆どの方は現在活躍中の進行形の方。先年亡くなられた吉原幸子さん、多田智満子さんなどの作品もおさめられている。一人一遍。そして作者の言葉、略歴付き。今日いただいたばかりなのでまだ全然目を通せていないけれど、さっと目次を見ただけでも胸が躍る。ああ、この詩も、あの詩も、そういえばかつて感動したんだった、と思い出すタイトルがいくつも。決して詩に詳しい訳ではないのに。気がついてみると、僕は女性詩人の詩が好きなのかもしれない。好きな詩人と言えば、女性詩人の名前の方が多く挙がる。もちろん知らない詩人や作品も収められているので、これから丁寧に読んでいこう。今ちょうど、神奈川の合唱団に来年書き下ろす新作のテキストを探し始めたところ。こういうタイミングは神様がくれるものだ。この中から出会いを見つけろ、ということかな。素敵な詩に巡り会えますように。詩人の高塚かず子さんから嬉しい贈り物。「女性たちの現代詩」という6月に出た新刊本に高塚さんの作品が所収されていて、その中の彼女のプロフィールに少し「猫祭」のことも触れてあるので、ということで送ってくださった。「日本100人選詩集」という副題でわかるように、この本は日本の女性詩人100人のアンソロジー。「現代詩」なので、金子みすゞとかは入っていない。殆どの方は現在活躍中の進行形の方。先年亡くなられた吉原幸子さん、多田智満子さんなどの作品もおさめられている。一人一遍。そして作者の言葉、略歴付き。今日いただいたばかりなのでまだ全然目を通せていないけれど、さっと目次を見ただけでも胸が躍る。ああ、この詩も、あの詩も、そういえばかつて感動したんだった、と思い出すタイトルがいくつも。決して詩に詳しい訳ではないのに。気がついてみると、僕は女性詩人の詩が好きなのかもしれない。好きな詩人と言えば、女性詩人の名前の方が多く挙がる。もちろん知らない詩人や作品も収められているので、これから丁寧に読んでいこう。今ちょうど、神奈川の合唱団に来年書き下ろす新作のテキストを探し始めたところ。こういうタイミングは神様がくれるものだ。この中から出会いを見つけろ、ということかな。素敵な詩に巡り会えますように。

さる7月5日、第15回朝日作曲賞の受賞が決定しました。チャンスをやるからもっと気合い入れろ、ということだと受け止めています。いっそう頑張ります。非公開の演奏審査(僕も立ち会えず)でしたが、おそらくは演奏担当の清水敬一先生と、松原混声合唱団のみなさんが素晴らしい演奏をしてくれたおかげなのだろうと思います。今回は受賞そのものも嬉しかったのですが、何より嬉しかったのが周囲の反応。翌6日から多数の電話、メールでお祝いのコメントを頂きました。中には久しく連絡を取っていなかった方や作曲・合唱畑とは無縁な方からの連絡もありました。如何に多くの人に助けられて日々を過ごしているのか、僕の事をこうまで喜んで下さる人がこんなにいるのか、ということを再確認しました。改めてみなみなさまに感謝です。どうもありがとうございました。ちなみに、賞金はまだしばらく貰えません。今年のコンクール全国大会での授賞式後だと思いますので、たかっても無駄ですよ〜。(お祝いと共に「焼肉おごれ」といった類いの言葉も若干頂きました。(笑)日々は変わらず、相変わらずのつつましい生活をしております。(-。−;)今日はバルサンを焚いて在宅できなくなったので、池袋まで出ていろいろ購入。最近気になっていた間宮芳生さんの楽譜をいくつか買ってきました。ピアノソナタの2番、3番が欲しかったのだけどそれは見つからず。残念。でも、思わぬ収穫もありました。ずっと探していた氏の「オンゴー・オーニ」。良い曲だと思うんだけど、何故か楽譜は絶版です。合唱の楽譜は楽譜の中では売れる部類のはずだけど、それでも流行に左右されるみたい。別にゲンダイゲンダイしてる曲でも無いのになぁ。ヤマハにはやっぱり在庫が無かったんだけど、もしやと思って足を運んだジュンク堂で奇跡的に発見しました。ラッキー。ついでに、絶版の予感がするコンポジションの11番を購入。ある時に買っておかないとあとで泣きを見るかも知れないから。間宮氏の楽譜では、モテ・ヴェルナル(カワイ)、アテ ネツィック(全音)、三色草子(カワイ)、弦楽四重奏曲 第1番(音楽之友社)などを探しています。どこかで見かけたら教えて下さい!

新作のスケッチを書き留めたりしつつ、他の雑事もこなしつつ、と毎日バタバタと動いています。元気には過ごしていますので御安心を。最近の移動時の供は、プーランクの6重奏曲。改めて読んでみると、とても面白いです。サラッと心地よく聞こえていた音が意外なほどに不協和音だったり。音のぶつけ方も、少ない音で厚みのある配置を常に工夫しています。定石とは違うことをかなりやっているので、消化吸収するのは大変だけど、マスターできたらアンサンブルの書き方がだいぶ変わるだろうなぁ。ひたすら感嘆。音色、音域、鳴り。どれもがサラッと、しかし確実に計算されています。

ワケあって金沢に帰省中。東京から夜行バスに乗って、今朝6時前に金沢に着きました。久しぶりに見た金沢駅はガラス張りのモダンな天井なんか備えちゃって、驚きました。変貌しているんだねぇ。ただし、県立音楽堂は今回の1週間の帰省中には主だった催しがないみたい。ホールの響きを聴いてみたかったのに、残念な事です。仕事と関係ない休養の為の帰省なので、初日はブラブラゆったり過ごしてました。が、地元の新聞を見て小躍り。なんと東京で見逃していた映画を今まさに金沢で上映しているじゃありませんか!金沢にもミニシアター系の映画館があったなんて!というわけで、金沢香林坊109内にあるシネモンドに行って、10 MINUTES OLDERを見て来ました。今日見たのは「イデアの森」の方。面白かったです。見れて良かった。これは、10分の枠の中で各監督が撮った短編をオムニバスにして並べた映画。単にオムニバスと言う以上に、10分という言葉や作品の主題が関連してくるような仕掛け。5話目の「ジャン=リュック=ナンシーの対話」だけは正直なところどうでも良くてつまらなかったけれど(オチまで来れば一応映画づくりとしての技術は納得出来る)他のはどれも良かったな。2話目の「時代×4」なんて映像手法として興味深かったし(戦争の辛さを何故か伝えられるのが不思議)、4話目の「10分後」も面白かった。そうか、10分で人生はかくも大きく動くのか、って。10分経ってみてから意図が見えて来るのが良かったなぁ。まさか金沢で見逃したミニシアター系を見られるとは思わなかった。今日はラッキーだ。もう片方の「人生のメビウス」を明日は見れるかな。時間の都合がつけば是非見てみたい。学生1300円で見られるのも魅力です。ミニシアター万歳。

生きてるの?とかいろいろ聞かれました。あまり元気とは言えませんでしたが、生きていました。運勢的には今年は天中殺(?)だとかで、非常にめぐりの悪い年になるそうなのですが・・・。2月以来、ずっと首の問題が続いていました。とりあえず生活を送れるほどには治って(慣れて、とも言う)いたものの、ずっとゴリゴリと残る首の違和感。ところが今日、クチコミで教えて頂いた下石神井の「西武治療室」というところに言ってみたら嘘のように治ってしまいました。今までの治療は何だったのだろう。先生が、僕を見るなり一言「左右のバランスが崩れてるねぇ。」と言ってから説明をはじめました。(ここまでは他の整体などでも言われましたが)「体ってのは右と左が対象にあるものなんだから、右が100としたら左がいくつ必要だと思う?」「100」「そう、でも君は右が100なのに左が50もない状態になってるよ」というわけで、上から押さえ付けられた手を上に持ち上げたり、親指と小指で作った輪っかをはずしてみたり、といった実験をやってみると、たしかにおかしいくらい左側に力が入らない。今まで気付きもしなかったけど。右利きだから、とかいうのをはるかに超えてアンバランス。それが、背中や腰、首など何ケ所かを(痛みもなく)触られたあとには正常に戻ってるんだから、驚きました。「これで治療終わり?」って感じで、10分もかかってなかったんじゃないかなぁ。たしかに体の中のズレなんてのはほんの数ミリの違いで起こったりするんだろうけど。明日起きてみないと、継続的に回復したのかどうかはわからないけど、何カ月もの体調不良(とそれからくる精神的な不振)が一気に解決した気分です。カイロプラクティックも、施術の技量によって全然結果が違うんですね。いい所を見つけました。

とりあえず今回の危機は脱したけれど、(とは言え、まだ作業は残っている)今回のこの異常な作曲スランプをキチンと考えて、乗り越えないといけない。そのために少し書いてみます。まず、症状は「とにもかくにも音符が出て来ない」「出てきた音符のどれもが正しくない気がする」など。2月あたりから、一日中、8時間以上も五線やピアノの前に座っていて、何も出て来ない日が続きました。いい曲が書けない、ならまだしも、とにかく何も出て来ないのはキツかった。元来遅筆だけれど、かつてここまで浮ばなかった事はなかったなぁ。しまいには絞っても絞ってもネタが出ない状態に疲れ果てて精神的にも追い込まれてきました。(締切もとうの昔に過ぎてしまったし)かつて曲がうまく出来なかった時は、あくまで前向きに対処することしか考えられなかったのに、今回は頭の片隅に「逃げたい」というイメージがどうしても浮んでしまった。ただ、作曲意欲が減退したわけでもなく、モチベーションはちゃんと保たれていた。一方で、「曲を完成させる事への恐怖感」がどこかにあったような気がする。音符を確定したくない気持ち。一音書く度に曲が決められていく恐怖。曲に対する潜在的な不満があったから?新鮮に音楽に感動できる心理的状況を準備できていなかったこともあるかな。思えば、しばらくの間音楽で感動していない気がする。古典の名作にもしばらく触れていない。「僕はいい曲を書ける」という、いい意味での勘違い、イメージトレーニングをしていけるように、また1からやり直そう。そして、すこし客観的に自分の作品を捉え直してみよう。しばらくは、自分の考え、感情を整理して行く必要があるとおもう。なのでこういうメモのような記事が続きそうです。

ドビュッシーの子供の領分と言えば、もちろんピアノ曲ですが、この曲にはカプレの手によるオーケストラ編曲版があります。(カプレと言えば聖セバスティアンの殉教の補筆も行ってますね。)CDでは時々見かけてますが、amazonでスコアを取り扱っているのを偶然見かけました。2000円でお釣りがきます。こりゃ(多分)安いですね。Children’s Corner – Orchestra Versionというわけで取り寄せた楽譜が本日到着。デュランで出ていたものの版権切れコピー楽譜でした。でも読むには遜色ありません。

ここ数日、オタマジャクシを書いていてもちょっと違和感があります。メロディってどうやって作るんだっけ?とか、詩に音をのせるってどうやればいいんだっけ?とか、そういうことが飽和状態になったような感じ。書けども書けども何か違う、こうじゃないような気がする、という感覚から離れられない。結果、一日頑張って書いてもほんのちょっとしか進めなかったりする。こういう時には技術でなんとかするもの!って気もするけど、それだけでもないだろうしなぁ。いったい何が起こってしまったんだろうか。はやく抜けだしたい。お待たせしている皆様、すいません。

今度6月にあるアルディッティSQの演奏会@トッパンホールのチケットを買ってあるのだけど、今日になってホール側から電話がありました。曰く「テレビ収録が入る事になりました、つきましてはカメラの位置が現在のお客さまの席に予定されていますので、恐れ入りますが座席の変更をお願いしてもよろしいでしょうか」だって。2列前に移動となりました。録画が入るかどうかなんて、もっと前に決まっているのかと思いきや、意外とゆっくり決まるものなんですね。チケットの売れ行きを見て最終決断してるんだろうか。あんまりガラガラのコンサートを放送しても寂しい視聴率になりそうだしね。ちなみに、買ったチケットは学生券。座席配分って、こんな所にも影響あるんだなぁと思った次第。

最近文字書き作業の時のBGMとして、ベートーヴェンの交響曲を聴きなおしてます。ケーゲル/ドレスデンフィルの全集。今日は5番、4番と9番。いやぁ、久しぶりに聞くと目から(耳から?)ウロコ。ああ、こんなにすごい工夫が凝らされていたかぁと思う事しきり。学部生の時には聴いていてもその凄さには全く気付かなかったよなぁ。ヘンなところを見ちゃってたんだな。今でも楽譜片手に見てしまったら、きっと変な耳フィルターがかかるでしょう。今日みたいに耳からの情報だけで音楽を体験していくと素直に聴こえたものだけに反応するから、頭や目では見えないものがわかるんだろうな。今回は楽想の連結やら音色への工夫にすさまじい執念を感じました。それらが小細工でないのがすごいねぇ。自分の書いてる音符のスケールの小ささを思うと落ち込みます。はぁ。時代が違うとは言え、その精神は充分に学び取りたいなぁ。

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