だいぶ前にamazon.co.jpに注文していたProkofiev: プロコフィエフのピアノソナタ1番〜4番のスコア(Dover)が届いた。忘れた頃に、というタイミングで届いたので驚いたけれど、早速作業の合間の息抜きがてらぱらぱら弾いてみたりしていた。7番あたりのほうが断然刺激的な響きが多くて僕の好みではあるけれど(演奏機会も多いし)、初めの方のソナタもちょっと捨てがたい。今書いている曲のヒントになりそうなアイディアが少し見つかった。(実際に使えるかどうか・・・)プロコフィエフの「それでいいの?」なんて思ってしまうような縦の響きを、多少強引にでも横の流れで押し切ってしまって、その結果面白いテクスチュアを形作っていく作曲法は嫌いではない。先が見えなくなりやすいような気もするけど、それはきっと賛否両論あるところだろう。ソナタに興じていたらなんとなく気になったので束の間の幻想も引っ張り出してきて久々に弾いてみていた。

東京に雪が降った!12月もまだ上旬のうちに降るのはなんと15年ぶりだそうで・・・なんて感じで始まっている日記を書いている人はきっと今日は多いんでしょうね。僕も長いものには巻かれろ式にそうやって書き出してみました。(笑)1センチ積もっただけでも東京の交通網は大変なことになったようです。雪の降る地方に育った者としては少々の驚きも禁じ得ませんが、生活する上での慣れとか対策っていうのはそういうものなのでしょう。滅多に降らない雪相手にあまり対策予算を割くわけにもいかないんでしょうね。先週のN響定期はなかなか良かったです。当日券を買う段になって25歳以下なら学生でなくても安くチケットを買えることを知って得した気分。1520円であの演奏が聴けるならまぁ御の字ですね。ストラヴィンスキーの数々の作品の中でもとりわけペトルーシュカが好きだということを再認識した次第。オーケストラの冴えが聴く度に新鮮な印象を与えてくれます。バルトークの中国の役人については新情報発覚。昨日しゃー君から聞いたところ、フィルハーモニア版のスコアの中身が新しくなっているらしい。読んだことのある人ならきっと誰もが苦笑していた、あのタテヨコ切替え方式が消えて、普通に読めるものになったらしいのだ。これは朗報。もしかするとそのためだけに新しく買いなおす価値があるかもしれない。だってよりによってやたら速いところでタテヨコが切り替わるから読んでいると落ちる落ちる。(笑)しゃー君、有益な情報をありがとう。夏に書いた合唱曲の校正が戻ってきました。校了して返送したのは良いけれど、これから解説文を書かなくてはいけない。不特定多数の人が読む文章であることを前提に、僕自身が作曲にあたって持っていた想いをひとつの問題提起として書いておきたい中身もある。ワカゾーが何を、と思われないように配慮もしつつ(^^ゞうまく書きたいところ。演奏上の留意点なんていうのも書くのが難しいですね。たとえば「楽譜に忠実に」なんてことを書いたとしても、そこから表情のない音楽を目指し始める人だっているだろうし、逆に「楽譜に書けなかった表現を補って」なんてことも迂闊に書くと全く僕の願いとは裏腹なことになりかねない。相手の顔が遠くなれば遠くなるほどこうした誤差は生じやすくなるだろうし、対象を下手に幅広く捉えてしまうと、結局のところ誰のところにも届かない言葉になってしまうかもしれない。普段書きなれている楽譜というものがそう言った意味で非常に曖昧なものだというのに、より不慣れな文章で適正な居場所を見つけて書くなんて、僕には至難のワザです。と言いつつも一週間後の締切り目指して兎にも角にも800字を埋め始めるのでありました。乱文失礼。それではまた。

明日のN響の定期演奏会のプログラム(サロネン指揮でペトルーシュカや中国の役人)が面白そうだなと思って、久々にNHKホールまで出かけてみることにした。で、(どうせ一番安い席なんだけど)あらかじめチケット取っておいて貰った方が確実だよなぁ、ということでN響のチケットセンターに電話してみたら、電話に出た人曰く「全席種大量に余ってますので今買わなくても大丈夫です。明日買ってください。」だって。(^^ゞまぁ、たしかにチケットは売れてないのかもしれないけどね、外部に対してそこまで正直に実情を明かさなくてもいいんじゃないかい?と思う僕でありました。そんなわけで明日は久しぶりにN響を聴いてくる予定。さっきからN響って変換しようとすると「得ぬ今日」って何度も出ます・・・。明日は何か収穫がありますように。

オケ曲を少しずつだけれど、書き進めている。昨日からはちょっと思いついたので合唱も並行して書き始めてみた。じっくりじっくり耳を澄ましてまだ聞こえない音楽を掬い上げる作業。オケの方で輪郭のくっきりしたものに取り組んでいる反動か、合唱は音が空気に溶け出していくようなものを書きたくなっている。ここしばらく、変身願望がとみに強くなってきている。昨日までとは違う自分、今までは想像もつかなかった音、書き得なかった大きなスケールの存在。今までに体験してきたものの焼きなおしや切り売りではなく、未知だったものを初めて経験するためにひたすら耳を開く作曲。そんな作業を日常化して毎日変化していけたら、と考えている。

Scelsi

タワーレコードのポイント倍セールに釣られて買ってしまったScelsi: Giacinto Scelsiの合唱作品集(ACCORD)は不思議な内容です。New London Chamber Choir/James Wood の演奏は不足ない水準なので、特に不思議も何もないけれど、CDの収録曲集がクレジットよりも多い(13トラックと表記されているのに16トラック収録されている)とか1曲目に入っているThree Latin Prayersというアカペラの曲のクレジットにpour Flu^te,hautbois,violoncelleet clavecin(フルートとオーボエ、チェロとクラブサンのために)なんて書いてあったり(他のトラックにもこんな編成の曲は入っていない)。問題ではないけど、おかしなことになってます。楽器名がおかしいのなんかは、何か他のCDのデータをテンプレートとして流用したまま消し忘れたのかな、とも思えますが、曲数がクレジットより多いってのが謎ですねぇ。不思議なこともあるもんだ。

ABQ

ほぼ一ヶ月、全く更新をさぼってました。ごめんなさい。いろいろな出来事に翻弄されて1ヶ月前のことが殆ど1年前のことじゃないかと錯覚してしまいます。この間買ったアルバンベルクカルテットの演奏するバルトークの弦楽四重奏曲全集も、買っただけでまだ耳にしていません。以前、国内版が2曲カップリングで2000円で出ていた時に持っていましたが、なんと今は輸入版で全6曲1000円ちょっとになってしまっています。これから買う人には嬉しいでしょうが、前から持っていた人間にとっては複雑な気分。電車で移動する時なんかには最近はこのバルトークのスコアやベルクの抒情組曲のスコアなんかを読み耽ってます。こういう濃度を持った音楽を書いてみたい。ようやく締切りの山も終わりが見えてきたのでこれからしばらくは能動的な作曲に没頭していきたいものです。オーケストラの曲を少しずつ書き進めている他にも書いてみたいアイディアがぽつぽつと。やはりなんといっても、書きたい音楽を四苦八苦しつつも書いている時間というのが僕にとっては格別に幸せな時間。音符をひとつひとつ置いていくことで、耳を少しずつ開いていけます。

ここしばらく、今日が何月何日か、というのが、改めてカレンダーを見ないとわからないような過ごし方になってしまっています。いろんな締切りが同時多発的に押し寄せてきてしまっているので身動きが取れません。これまでにも結構締切りが重なってしまうことはあったけれど、今回はこれまでで一番かもしれません。あと一週間ほどが正念場。頑張って乗りきりましょう。そんなこんなで基本的には根を詰めて作業に励んでいるわけですが、なにぶん集中力が無いので、疲れるとピアノの前に座って小品を1曲弾いてみたりするのが僕の息抜きパターン。最近はR.シューマンが面白いです。シューマン曲集の中から適当に、初見で弾けそうなものを弾いてみたりしているわけですが、若い人のための43のピアノ曲(Op.68)が最近の収穫。幼い頃からピアノのお稽古に励んできたような人なら知っている人も、弾いたことのある人も多いんだろうけど、恥ずかしながら僕は1週間ほど前までは全く知りませんでした。(^^ゞ技術的にはそんなに難易度は高くないし、1曲1曲もさして長くない小品集なんだけど、どの曲も抜かりなく、シューマンのワザが詰まってます。おまけに順々に弾いていってみるとそれぞれの曲同士での動機の関連やら音域の関連やら、調の関係やら・・・。ロマンティックな抒情の世界に遊んでいても、そこに作曲家の冴えが光っているのが実に素晴らしい。作曲家的な視点で曲が良いかどうか判断する時には自分なら(或いはよくいる作曲家なら)「書かない」か、それとも「書けない」かで判断することも多いんですが、シューマンの曲は殆ど常に後者です。「僕には逆立ちしたってこんな素敵な音楽は作れません、参りました!」という感じ。真似して書いてみようと思っても、この水準で閃きの詰まった音楽なんてそうそう簡単には作れないでしょう。やはり大作曲家たるお方です。かといって指をくわえて羨ましがってこのまま生涯を終えるわけにもいかないので、少しでも吸収できるものは吸収してしちゃおう、なんて思っていると(忙しいのに)1曲の息抜きのつもりが、もう1曲、さらにもう1曲、この曲をもう1回・・・と、心積もりよりも長く楽譜の前で感嘆してしまう秋の一日なのでありました。

相模原市民文化祭という催しの中で相模台グリーンエコーのみなさんが無伴奏混声合唱のための「野菜畑のソクラテス」を取り上げてくださるというので生まれてはじめて相模原まで出かけました。小田急線はせいぜい新宿から代々木上原までくらいしか乗ったことが無かったので結構新鮮な感覚。うちの最寄駅からたっぷり1時間くらいですが、今日は出かけてみて良かったです。楽しかった。相模原はどうやら昨日今日と、地域一体になってお祭りだったようです。駅前から伊勢丹にかけての5分ほどの距離にとても活気が溢れていて今の不況もどこ吹く風、という感じ。また機会をつかまえて行ってみたい所です。野菜畑のソクラテスはコンクールの審査の時に非公開で演奏されたあと、一部が雑誌に載っただけなので、(僕の把握している範囲では)今回が公開の場での最初の演奏。ユーモアと言うか、諧謔のある詩に付曲しているのですが、今日の演奏中に客席の一部で笑い声が上がっていました。僕は全然予想しないで作曲してしまっていましたが、そういえば予備知識なしに聴くお客さんにとっては笑い所がある曲なのかもしれませんね。かぼちゃの歌が始まったと思ったらいつの間にか罵詈雑言の連発になったり・・・。(^^;)予想外のところに効果があったりするもんですねぇ。演奏も素敵でした。あまり時間が無くて団員のみなさんと存分に話して来れなかったのが残念ですが・・・。日本語のディクションの問題や、ハーモニーのピッチを合わせる問題、そこから派生して響きの色を変えていく問題、などなど、合唱を聴かせていくために必要な課題を乗り越えてホールを柔らかい雰囲気に包んでいたのが印象的でした。またチャンスがあれば是非ご一緒したい団体です。帰りに池袋のヤマハによっていくつか歌の楽譜を購入。フニクリフニクラの編曲用に、そもそも原曲の楽譜を持っていない!という大問題に気付いたため。何種類か出版されているようですが音楽之友社の世界の名歌集I(1500円)というのを見つけて買ってきました。他にもいろいろ名曲の類が載っているのでこれから他の曲の編曲を頼まれても大丈夫!(変な楽譜はいろいろ持っているくせにメジャーな曲を持っていないことが多いのです(^^;)やっぱり原譜は見てみるものですね。僕はてっきりフニクリフニクラは4分の2拍子で付点8分音符+16分音符のリズムだとばかり思っていたのに、原曲は速い8分の6拍子でした。サルタレッロになるんですね。(多分)改めて楽譜を見てみても、やっぱり良い曲です。メロディそのものが良いというよりも、盛り上げて行くための構成が立派。最後に繰り返しをしているところで何のアイディアも無いのがちょっと残念ですが、他はとてもいいなぁ。これなら歌っていて気分が良くなるのも頷けます。シェーンベルクやカセッラ、リヒャルト・シュトラウスはCDを探してみましたが見当たりませんでした。時間の関係もあるので今回は断念。一体彼らはこの曲に何を施しているんでしょう。いずれCDが手に入れてみたいところ。ヤマハで配布している国内版・外国版楽譜音楽書展望というフリーペーパーが意外に充実しているので時々気がついたら読んでいます。今日もヤマハに寄ったついでに貰ってきたんですが(10月号)林光さんのエッセイが面白かった。演奏会のプログラム(曲目ではなくて紙媒体のモノのこと)に触れつつ三人の会の事にも触れてありました。三人の会(團伊玖磨・芥川也寸志・黛敏郎による作曲家同人)のことは存在は知っていて、その活動のアウトラインくらいは把握しているけれどさすが、同時代の証言は歴史書とは違います。今まで全く予想もしなかったけれど、そうか、この3人の集団となると日本(もしかすると世界)?作曲史上初の〈裕福な〉作曲集団だったんだ!というどうでもいいような、しかし大切な現実が赤裸々に実例を織り交ぜて綴られています。興味のある方は早めに入手してみましょう。このエッセイは毎号読ませてくれます。

フニクリフニクラの編曲を頼まれたので、準備のためにいろいろ調べてみました。多分小学校か中学校くらいの時に音楽の授業で歌ったりしたことくらいはあるのに、何故か思い出せる歌詞が「おに〜のぱんつはいいぱんつ〜 強いぞ〜 強いぞ〜・・・」だけなんです。(^^;)授業でこんな歌詞は歌わないはず!と思って調べてみたら判明しました。上記の歌詞は替え歌でしたね。(^^;)他にも(僕は全く知らなかった)フニクラとかけてぐりとぐらを歌った替え歌があるらしいです。(これはどんな内容の歌詞なんだろう?)正規の歌詞(?)は「赤い火を吹くあの山へ 登ろう 登ろう・・・」と始まるもの。ただし、この日本語訳はイタリア語の本家と比べると意訳や創作の部類に入ります。まぁ、どうしても歌を日本語に訳すと1つの音符にシラブルを1つ、という独特の処理が必要になってくるので仕方ないですね。他にもそういう歌はたくさんあるんでしょう。イタリアの民謡かと思い込んでいたら、どうやら民謡ではなく、デンツァLuigi Denzaというイタリアの作曲家がイタリアのベスビオ火山に登山鉄道ができた時のキャンペーンソングとして作った曲のようですね。民謡だと思い込んでいたのはどうやら僕だけではないようで、かのリヒャルト・シュトラウスも「イタリアから」という曲(僕は存在すら知りませんでした)の終楽章でイタリア民謡のつもりで引用してしまっているらしいです。編曲はきっと数多あるんでしょうが、面白そうなところではシェーンベルクが室内編成で編曲しています。地道に編曲してるんでしょうか。それとも大胆に面白い編曲になっていたりするんでしょうか。気になるところです。日本ではNHKの「みんなの歌」で紹介されたために一気に広まったらしいですね。この時の歌詞が上記の正規の(?)歌詞。細野晴臣さんもどうやら自分のアルバムに収録しているようで、これもちょっと興味あります。検索している途中で偶然、ドナドナは離散したユダヤ民族の想いを裏に秘めた歌だった、という説も見かけました。牛が売られていくだけでも充分重い歌なのに・・・。意外な歴史を秘めた曲って結構民謡、童謡には多そうですね。と書いたところで、覚書も兼ねた今日の日記はおしまい。

楽譜ネットさんは、国内の楽譜をだいたい取り揃えているようで、中には他のお店で見かけなくなった楽譜まで在庫していることがあるので時々使います。3000円以上注文したら送料無料だし、商品が在庫切れだとか、絶版だとかの場合にも予めその旨を表示してくれているので嬉しい。そんなわけで国内版の楽譜が必要になった時には時々利用させてもらっています。昨日も必要な楽譜があったので3冊注文しました。注文後すぐに注文確認メールをが届きます。メールの送信者名は−楽譜ネット−と表示されていました。それが今日の午後になって「品切れのお詫び」というメール。残念ながら注文した3冊ともが絶版らしいんです。(涙)まぁ、それはしょうがないでしょう。無いものは仕方ないです。でも、このメールの送信者名が楽譜ネット♪ になってるのはどういうこと???♪マークを使うなんてけしからん!なんて言うつもりはないけど、せっかくメールを使い分けるならお詫びメールの送信者 名に楽しげな♪マークを使うのはやめた方が賢明ではないかと思います。はい。基本的には品揃えのいいところだから、在庫切れになっちゃうことなんてあまりないんだろうけどねぇ。・・・ということを直接文句言わずに、こんなところで細々と書いてる僕は小心者。(笑)

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