25日の夢↓に触発されたのか、ひとつ忘れていたことを思いだしました。身近な人何人かにはお知らせしたと思いますが、11月1日付けで出版された楽譜が1曲あります。何年か前に書いた無伴奏混声合唱の小品「子守唄」(詩は立原道造)の女声合唱版アレンジです。アレンジとは言え、混声と女声では響きの構造が全く違うので、いくつかの要素を差し換えたり、ディナーミクが変わったりしています。カワイ出版から出ている「とりお・ざ・しみずのうたざんまい〜おかあさんコーラスのための」(改訂新版)に収められています。定価は1700円+税。改定前の旧版には収録されていないので御注意下さい。混声合唱版の方は出版されていません。楽譜を御希望の方は御一報下さい。同じ本に新しく収められた中では瑞慶覧尚子さんの「ばんがむり」が面白そうで気になりました。まだ音は聴いていないんですが、透明な合唱とピアノで響いたら、広がってゆく空間がきれいだろうなぁ。沖縄民謡を素材にしたものってピンからキリまでいろいろありますが、中でも瑞慶覧さんは着実に丁寧な仕事を重ねられていると思います。強く存在感を主張はしないものの、たしかな世界。

25日の未明に見た変な夢。場所はとこかのパーティー会場。何か、僕の曲の初演が終わったあとの打ち上げらしい。「オメデトウゴザイマス」とか曲の感想とかを話しかけてくる人々をかきわけて進み出てきたのが大江健三郎さん。あの丸メガネをかけている。大江さんはなにやらたくさん書き込んであるサイン色紙を僕に渡した上で今日の曲が良かったとかなんとか、話しかけてくれた。しばし話した後で大江さんは、あの丸メガネの奥から僕の目をじっと見据えて、シリアスな顔つきで「君の目はギャンブラーの目だ。」って言ってくるんです。続けて「大きな勝負に出るべきだ」とかなんとか。その後で目覚めてしまったので、夢はそこで終わりなんだけど、大江さんの本って高校生ぐらいの時に無理して読んでみたことがあるとか、何かの対談を読んだとか、そのぐらいの知識しか無いので、理由ない尊敬の念は漠然と持っているものの、特に憧れているわけでもない。ましてや面識があるわけもない。夢が、何かの象徴なのだとしたら、いったい何の象徴なんだろう?大江健三郎さんと、ギャンブラーの意味するものって?僕には珍しくカラフルな夢で、はっきり記憶が残っただけに気になる・・・。

夭逝の瀧廉太郎の呪いなのかなんなのか(^_^;)瀧廉太郎のアレンジが予想外に手間取ってしまいました。書き始めてみたら規模が膨らんで、単純なアレンジの枠を超えてしまった、というのが現実なので、手間取ったというよりも計画性が足りなかった、と言うべきなのかもしれない。「荒城の月」は一番最初に書きはじめたのに、脱稿したのは一番最後。最初に持った着想にこだわり過ぎて、うまくまとめられなくなったんです。最終的には、その着想を捨てることでどうにかまとまりました。楽譜を書いていると、小さなアイディアがポツポツと出てきて、それをうまく組み合わせられるように考えて行くわけですが、浮かんだアイディアは無駄にしたくないと言う哀しい貧乏根性のおかげで収拾がつかなくなることが良くあります。捨てる勇気が大切だってことは、言葉としては理解しているつもりなんだけどね。でもなかなか実行には移せません。最初に湧いた直感的なインスピレーションをありがたがりすぎているのかもしれないなぁ。勿論、一面では最初の閃きのようなものがイメージを助けてくれて、地道な作業からは生まれない発想を作ってくれることもあるんだけどね。取捨選択をうまくやれるようになりたいもの。おかげで鈴優会のみなさんには大変迷惑をかけましたが、でも初演は良くなりそうな予感です。ハーモニー感覚が抜群です。初見でも相当たしかな音楽を作ります。僕が言葉や身ぶりで少しサポートするだけで、音楽の構造や流れ、イメージを、つかんで描きわけるような引き出しもあります。本番の程良い緊張感の中で、どんな音楽を聞かせてくれるか。脱稿した側としてはわくわくして楽しみにステージを聴きたい一心。演奏する側はそれどころじゃないと思いますが。ごめんなさい。作品を委嘱するのは初めての体験、と仰っていましたが、世の中僕みたいな作曲家ばかりではないので、「作曲家」のイメージを僕基準にしないようにお願いします。(笑)「委嘱」ってのは多かれ少なかれスリリングな経験にはなりそうですけど。σ(^_^;)瀧廉太郎の曲は、ただ和声付け(単純であれ、コったものであれ)しただけでは、今日的感覚で新たに楽しむのにちょっと無理があるように思えたので、編曲の作戦として、原曲のメロディを尊重しつつも全く違う要素と結びつけて新しい世界に置いてみる、というやり口を主に使いました。トランスクリプションではなく、殆ど作曲ですね。お知らせが直前になってしまっいましたが、日曜の2時から、都合の良い方は是非是非こまばエミナースまでおいで下さい。他のステージの曲も充実した演奏が楽しめそうですよ!混声合唱団 鈴優会 第13回定期演奏会2003年12月21日(日)13:30開場 14:00開演こまばエミナースホール(京王井の頭線『駒場東大前』駅 徒歩6分)入場料¥1,800(全席自由)第1ステージ『Te Deum』KV.141 W.A.モーツァルト第2ステージ『瀧廉太郎の6つの歌』 堀内貴晃 編曲(委嘱初演)I. 荒城の月 II.雀 III.ひばりはうたひIV.秋の月 V.お正月 VI.箱根八里第3ステージ『昔の踊りうた(L.バルドシュ)』『谷茶前節(瑞慶覧尚子)』『ムダンサス(O.エスカラーダ)』『春の声(J.シュトラウス)』第4ステージ『どちりなきりしたん』 千原英喜指揮:名島啓太 ピアノ:太田由美子ゲスト出演:飯塚友浩(ダンス)

渋谷にあるシアターイメージフォーラムで今月末までブリテンのウォーレクイエムに映像をつけた作品を上映しています。配給はアップリンク・ファクトリー。音楽作品に後付けで映像がついたりすると、何か違和感を覚えることがありますが、この作品はそういうのを感じなかったな。音楽と映像がケンカしていないと言うか。もともとテクストがイマジネーションを広げている音楽であることが関係しているのかも知れないけれど、映像によって付け加えられた意味を自然と受け入れられます。もちろんウォーレクイエムだから戦争と死が大きなテーマになっているし、それについて考え直すことも大きかったんだけれど、それよりなにより、見えるもの、聞こえるものがただただ美しい・・・。間違ってもいわゆる「癒し系」の美しさなんかじゃないんだけどね。最後までじっと心を傾けていると、静謐な、深い感動に包まれます。ホントにただただ美しかった。これはきっと言葉では書けない。きっとあの時間を共有しないとわからない類の感動じゃないかと思うのです。東京での上映は今月末までです。もうあまり日がありませんが興味のある方は是非。ローレンス・オリヴィエの遺作でもあります。僕もなんとかもう一度観ておきたい。いろいろもろもろを早く片付けないと行けない・・・(涙)この作品の監督、デレク・ジャーマン氏は、思いっきりドイツ人ぽい名前をしていながらも実はイギリス人。9月末から10月頭にかけて連続レイトショーもあったらしいのに、情報を仕入れるのが遅くて観損ねてしまいました。悔しいなぁ。他の作品でどういうことをやっているか観てみたかった。もはやこの監督は故人。新作は見られないとしても、他の作品に触れてみたいです。昨日からなぜか左手親指の付け根の関節が痛む。どこかにぶつけたような感じなんだけど、目立った傷も記憶もないので原因不明。どうしたのかな?ピアノを弾いていても痛みが気になるので憂鬱な土曜日でした。集中すれば気にならなくはなるんだけどね。

天気の良い一日。朝から楽譜を書いていたけど、あんまり天気がいいので、昼食後にちょっと自転車で町の探検。思えば4月から始まった中村橋生活なのに、駅から自宅までの一本道以外の事をまだ殆ど知らないからなぁ。と、そんなわけでウチと反対方面に向かって走ってみて鷺宮駅あたりまで。途中にはリサイクルショップや珈琲豆の専門店もあることが判明して嬉しい限りです。特に珈琲豆のお店は、中村橋からも徒歩5分くらいのところにあるから、これからはわざわざ江古田まで行かなくても済むかな。残念ながら今日は休みだったけど、店頭看板にあった「コーヒー大福」ってのが、かなり気になりるところです。和菓子屋さんが味のバリエーションのためにコーヒー大福をやることはあるんだろうけど、何故にコーヒー屋さんが大福を!?餅部分は外注するのかなぁ?それとも自作してるんでしょうか。1個150円と、強気な値段なのも気になります。おいしいのか勘違い商品なのか?試さないわけにはいかないなぁ。近日中に実現させます。その他にも実は近所に美術館や図書館があることとか、スーパーやマクドナルドがあることも発見。怪し気な面白そうな中華屋さんや焼肉屋さんもいくつか見かけました。中村橋って結構飲食店に溢れた町なのかも知れない。少しずつ開拓してみます。

白ばら会合唱団が定期演奏会(今年の12月8日です)で猫祭を取り上げてくださるとのことで、練習に行ってきました。本郷にある東大構内での練習。この合唱団は東京大学の学生とお茶の水女子大学の学生を中心に構成された、非常に歴史のある合唱団。現在の人数は7、80人と聞きましたが、多分今までで一番人数の多い猫祭になると思います。大体自作の練習に立ち会う時は、指揮者の方に練習を進めていただきながら横からコメントを挟んでいくかたちを取る事が多いのですが、今日は違いました。前半に普段通りの練習を見せていただいて、後半には完全に僕が前に立って振りながらいろいろ伝えていくというかたち。何しろいきなりだったので僕の指揮もかなりアヤシかったはずですが、合唱団のみなさんが集中力の高さでちゃんと合わせてくれました。大学の合唱団は良くも悪くも、長い練習期間の間に表現を体に染み込ませるように表現の純度を上げていく一方で、表現の自由度が狭まってしまう団体が多いような気がしますが、白ばら会の人たちはあまりそういう感じはなかったですね。何か言った時にパッと切り替えて新しい表情を見せてくれる。適応力があります。前半に見せていただいた練習でも基礎的なことに重点を置いていましたし、そのあたりが適応力につながっているのかもしれません。楽譜の意図を、音楽の呼吸という視点から少し話させてもらいましたが、きっと本番までにまだまだ変化してくれることでしょう。楽しみです。ところで練習後の会話で、お茶の水女子大が茗荷谷にあることを初めて知りました。上京してから8年間、お茶の水にある大学だと信じて疑わなかったのに・・・。いやぁ、驚いた驚いた。

今日は自作の改訂と編曲。無伴奏混声合唱のための「薔薇」は、来年2月に向けて楽譜を書き直しています。初演の時は時間切れで、思うように掘り下げられなかった部分もあるので、納得できるようにと再チャレンジ。作曲家によっては終止線を弾いたら最後、二度と直さないってタイプの人もいますが、僕はなかなかそうできません。ヘビ年生まれで執念深いのか(笑)いつまでもより良くなるように書き直していたい衝動に駆られます。現実には締め切りがあるのでどこかで区切りをつけなくてはいけないんですが。なるべくその時々の時間的条件の中での最善は尽くしていきたいと考えています。今回の改訂の締め切りは今週水曜日の夕方。「薔薇」はたかだか3ヶ月前の楽譜だけど、やっぱり今見ると気に入らないところがたくさんあるので(^▽^;)細かいところも含めていろいろ変わりそうです。今日はイントロ部分で新しいアイディアの導入を実現。単純な音を少し足しただけだけど、少しは奥行きが出たかな。どうして7月に思い浮かばなかったんだろうなぁ。(涙)div.する部分も増えそうです。CANTUS ANIMAEのみなさんすいません。ちょっと難易度が上がるやもしれません。でも、音楽をより上質にしたい。尤も、作曲家にとっての改訂って客観的な視点に立ってみると「改悪」だったりもします。それでも最後には自分を信じるしかないんですけどね。滝廉太郎のアレンジも並行して進めています。もうすぐ第一便の楽譜を送りますのでいましばしお待ち下さい。>鈴優会のみなさま。一工夫ある滝廉太郎をお届けしますね。

今日は天気も良かったので散歩がてら、駅前の美容室へ。伸び放題だった頭を短くしてきました。似合っているかどうかは別として。(^_^;)美容室でいつも困るのは美容師さんとの会話です。もともと話下手ってのも関係あるんでしょうが、なんとも面倒。美容師さん「今日はお仕事おやすみなんですか?」堀内「在宅で仕事してます」美「お仕事は何をされてるんですか?」堀「作曲やってます」美「うわー、すごいですね!どんな曲作ってるんですか?」堀「まぁクラシックとかを・・・」美「やっぱりシンセとか使うんですか?」堀「生楽器用に書く事の方が多いですね」美「じゃあ楽器とかされてるんですよね」堀「一応ピアノも少し弾けますけど」美「やっぱり毎日練習するんですよね?」堀「作曲なんで弾かない事もあるんですけど・・・」美「じゃあ頭の中で作っちゃうんですか?かっこいいなぁ」堀「でも楽器も使います」美「やっぱり将来は作曲家で成功するんですか?」堀「ええまぁそうなったらいいな、と。難しいですけどね」美「つんく♂みたいなやつですね。」堀「いや、ジャンルが違うんですけど」なんて会話を続けていくのは僕には辛い。マイノリティは十分自覚してるから、知られていなくても別にヘコみません。だから、あまり突っ込まれるよりも放っておいてくれた方が楽なんだけど、どうやら美容師さん側は「相手の身辺環境を聞き出すのが会話の糸口」なんてことを教えられているようで、ほぼ例外なく上に書いたようなことを聞かれます。会話があまりに面倒になってきたらこっちから美容業界のことを聞いたり当たり障りない天気の話をしたりしてやりすごしたりもするんですけどね。通りすがりのお店にふらっと入って明らかに一度だけの付き合い、なんて時には申し訳ないけれど適当に嘘をついちゃいます。「サラリーマンで今日は休日。散歩のついでに寄りました」くらいに言っておくと、追求も少なくて楽。他の作曲家のみなさんはどうしているんでしょう?

今日は久しぶりにオーケストラのコンサート。新日フィルの定期演奏会に行ってきました。気がつけばサントリーホールに行くのも久しぶり。半年ぶりくらいかなぁ。今年はサントリーサマーフェスティバルもなんだかんだで行きそびれたので、本当にひさしぶりの溜池山王下車でした。で、新日フィルのコンサートに足を運んだ理由はプログラム。マルティヌーの交響曲6番と、クルタークのQuasi una fantasia、それからベルリオーズの幻想交響曲というプログラムだったからです。みなさん御想像のとおり、僕の目的としては1番)クルターク2番)マルティヌー3番)ベルリオーズという感じで足を運んだわけですが、聴いたあとの印象は1)ベルリオーズ、2)クルターク、3)マルティヌーという感じかなぁ。どれももちろん面白いには面白いんだけど、クルタークはその特徴である静謐な音響が他の作品(例えばミクロコスモス、古の幼子の声など)ほどに際立っていない事や、作品自体の規模の小ささ(おそらく、時間経験としてかなり長い間聴感覚を惹き付けないとクルタークの魅力は発揮されない)などに理由があってどこか入り込めない要素があったんでしょう。ただ、実際の演奏でクルタークに接したのは初めてなので収穫は多かったです。マルティヌーは面白いし、精神分裂みたいな楽想の展開がどうも普遍的ではないような気がします。個々の発想や音響としてはとても面白いし、興味深いんだけど。時間感覚が何か違うなぁ。きっと、この時間感覚がちょうどハマる人にはとても面白いんだろうけど、少数派じゃないかな。いや、もちろんそれでも面白かったですよ。東欧の作曲家独特の節回しは、個人的には大好きなんです。ベルリオーズはもちろん時代様式的に一番古いです。が、様式の中での語法の熟練度はやっぱり抜きん出ているし、(当時における)実験的な試みもたくさん。おまけにキャッチーな音響にも溢れています。やはり名曲と呼ばれるだけの理由はあるのかな。生で聴いてみると意外な程に面白かった。語法や技法を越えたところにある魅力の秘密を、もしかするとこの曲から見つけられるかもしれない。自分で良い曲を目指すのも大切だけれど、やっぱり過去の名品への適切なリサーチも必要です(きっと)。そんな意味で収穫の多いコンサートでした。もちろん、エラソウなこと言う前に自分の曲で示せ、ってのは当然ですね。頑張らねばいけません。ベルリオーズだったら来年(27歳)に幻想交響曲を書いてるわけですからねぇ。

引き続き滝廉太郎と取り組む日々。音楽之友社から「瀧廉太郎歌曲集」(¥1500)なるものが出ているのを知って、早速購入してみたんですがやっぱり知らない曲ばかり〜〜〜。 (T▽T)何人か周りの人にも聞いてみたけれど(いろんな年代の人に)、やっぱり知られているのは「花」「荒城の月」「箱根八里」と、せいぜい「お正月」くらいだという結論に至りました。ここで、この楽譜を買って仕入れた新しい知識を少し披露。1)「花」は組歌「四季」全4曲の1曲目である。2)この組歌(くみか?くみうた?)は   1曲目「花」が2部合唱+ピアノ   2曲目「納涼」が独唱+ピアノ   3曲目「月」が無伴奏混声合唱   4曲目「雪」が混声4部合唱+オルガン(!)+ピアノ  と、曲ごとに全く編成が異なるという、かなり前衛的な  体裁を取っている。3)荒城の月と箱根八里は1900年に文部省が募集した  新しい中学唱歌の為に応募した曲である。1人3曲  まで応募できるので、あと1曲「豊太閤」も応募した。  結果は見事当選。200曲以上の応募の中から勝ち抜い  て3曲ともが選ばれた。(当選作は全38曲だった。)4)水戸黄門こと徳川光圀公の短歌にまで曲をつけている。  (荒磯)5)滝廉太郎ではなく瀧廉太郎である。(あぁ、勘違い)こういう事はわかったけれど、それでもやっぱり曲は知らないボク。(-。−;)どうせ殆ど知られていない曲ならどれを選んでもそう結果は変わるまい、ということで僕が曲に興味を持てるかどうか、を基準にすることにしました。一通り楽譜を眺めたけど、やっぱり生き残っている曲は生き残るだけの理由があるなぁと実感。知られていない曲は、やはり魅力がほとばしっていないと言うか、技法がこなれていないと言うか。ドイツロマン派の音楽に憧れていたことは伺えますが、正面きってロマン派風にしようとした(であろう)曲は修得した和声を必死に使おうとしているような感じで、固さが残ります。日本風の風情と結びついたような曲は、あまり理論や技法のことを気にしていなかったのか、のびやかだったり、意外なくらいドラマティックだったりします。ただ、こういう系統は全部短調で色合いも似ているので、今回のように複数曲を持ってきてアレンジするには厳しいかな。せいぜい2曲程度にしないとくどくなるかな。他には幼稚園のための歌がいくつもあります。(「お正月」は幼稚園唱歌として書かれたものです。)これらは、ピアノ伴奏や和声の付き方は一様に固いですが(きっと当時の幼稚園の先生が弾けるように、という配慮でしょう)メロディはあまり肩肘はっていない感じで自然。ペンタトニック風なものが多いですね。きっと、自然に浮かぶメロディを書き留めた、っていう感じなんでしょうね。こういうのはメロディ自体が持つ和声の縛りも弱いので、いろんな角度から見ていけそうです。ただ、弱点は曲がどれも短すぎる事。(幼稚園向きだからしょうがないけれど)不自然にならないように繰り返したり、別の味付けを試したりしないと今回の目的には適わないかな。なにしろ「箱根八里」とか「荒城の月」と一緒に並べてもおかしくないようにしなくてはいけないので。いくつかをまとめてメドレーにする作戦もあるかもしれない。そんなわけで、ページをぱらぱらめくりながらあーでもないこーでもないと、想像を膨らませてます。締め切りまであまり日もないと言うのに。(^_^;)

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